[→本シリーズ−INDEX] ■■■ 日本の基底文化を考える [2018.7.18] ■■■ 鳥崇拝時代のノスタルジー[8] −山鳥は独り寝の習性とされてきた− 山鳥/山鶏ヤマドリは、雉の近縁だが、余り目立つ存在ではない。雉は隠れてはいるものの明るい場所を好むが、山鳥は低地や低山の樹木が茂る暗い林地内で棲息しているからだ。にもかかわらず、"やまどり"としてよく知られていたようだ。 「枕草子」"鳥は"には、"山鳥。友を恋ひてなくに、鏡を見すればなぐさむらむ、心わかう、いとあはれなり。谷隔てたる程など心苦し。"と。 その原点は、「萬葉集」で見ることができる。 ▼寄物陳思[巻十一#2694] あしひきの 山鳥の尾の 一峯越え 一目見し子に 恋ふべきものか ▼大伴宿禰家持が坂上大嬢に贈れる歌一首、また短歌[巻八#1629] ねもころに 物を思へば 言はむすべ 為むすべもなし・・・あしひきの 山鳥こそば 峰向かひに 妻問ひすといへ うつせみの 人なる我れや 何すとか 一日一夜も 離り居て 嘆き恋ふらむ・・・ ▼寄物陳思[巻十一#2802] 思へども 思ひもかねつ あしひきの 山鳥の尾の 長き此の夜を ちなみに、この注の"ある本の歌に曰はく"作者不詳の歌とは、よく知られる【百人一首#3】の藤原定家お気に入りの作品。柿本人麿が詠ったことにしたのだろう。 足引きの 山鳥の尾の 垂り尾の 長々し夜を 一人かも寝む 秋の長夜、独り寝は寂しいことであるナというだけの内容。前半はその単なる枕。しかし、どうしてこんなにも尾が長いのかと思ってしまう鳥であり、そこから受けた情感は忘れられないのだと思う。忘れ去られてはならぬということで、秀逸な歌と評価したと思われる。 尚、定家自身もこれにちなんだ歌を詠んでいる。 ひとりぬる 山鳥の 尾のしだり尾に 霜置きまよふ 床の月影 [「拾遺愚草」#1051] 要するに、山鳥には、昼は夫婦で居るが、夜になると谷を隔てて別れて寝るという習慣ありとされていたという話がモチーフ化されただけ。どういう理由でこのような説が生まれたのかは定かではないが。 さらに、突拍子もないことだが、鏡が関係してくる。 ▼[巻十四#3468] 山鳥の 尾ろのはつ尾に 鏡懸け 唱ふべみこそ 汝に寄そりけめ 山鳥の尾と鏡の関係など、全く思いつかぬ。一体なんなのだろう。 この歌を踏まえた作品が数々生まれているから、平安朝院政期の和歌の世界では人気を呼んだ山鳥と鏡のお話があったのだろう。 表現の新境地を切り拓こうと苦闘する院と貴族のサロンでは、魅力的な題材とうことで。知の世界で遊ぶ清少納言の感覚と同じだ。 一応、尾が鏡のようであり、しのぶ妻の影がそこに映っていると解釈する説を見かけるが、小生には合点がいかぬ。 捕獲して鳴かなかった鸞鳥に、自分の姿を鏡に映させたら鳴いたとの伝説を詠んでいるとも言われているが、こちらも違和感は拭えない。ガイスト的には"昔闘賓王獲一鸞鳥,不鳴, 是有意借酒戕壽了。 結尾兩 後懸鏡映之乃鳴。後世因稱鏡爲鸞鏡。"[[南朝宋]范泰:「鸞鳥詩序」@「藝文類聚」]というもの。 鸞は想像上の鳥だろうから、概念がよくわからないし、鏡に映った美しい己の姿を見るのだから、懐かしき友達を思い出すだけでなく、自己愛の可能性も高かろう。 ともあれ、これをもとに、話が作られたようで、サロンではそれが流行したようだ。(海外から帝に山鳥が奉納されたが鳴かず。鳴かせた女御を后にと仰せに。機転を利かせた女御が鏡を見せ鳴かしたというもの。) 山鳥の はつをの鏡 影ふれて 影をだに見ぬ 人ぞ恋ひしき [源俊頼:「散木奇歌集」#1113] (参照) 中川ゆかり:"「山鳥のをろのはつを」−万葉歌受容の一つの場合−"文学史研究 26, 1985 (Wikisource 万葉集 鹿持雅澄訓訂 1891年) 本シリーズ−INDEX> 超日本語大研究−INDEX> 表紙> (C) 2018 RandDManagement.com |