[→本シリーズ−INDEX]

■■■ 日本の基底文化を考える [2018.7.22] ■■■
鳥崇拝時代のノスタルジー[12]
−愛の鳥−

"をし"(オシドリ)の漢字は鴛+鴦。語源は"愛"だろう。(𪅍=紫鴛鴦との記載を見かけたが、情報が少なく。真偽の程はわからない。)
は屈んで丸く盛り上がった姿の象形で、央も丸くなっているが窪んだ様子を示しているらしい。

「枕草子」"鳥は"では、雌雄の仲睦まじさが語られている。
 水鳥、鴛鴦いとあはれなり。
 片身にいかはりて、羽の上の霜払ふらむ程など。

観察と言うより、漢典の知識からの歌か。
宋の康王が侍従 韓憑の妻を側室にした上に、重刑に処したため自殺。妻も、墓を共にして欲しいとの遺書を残し自殺。王はそれを許さずに向かい合って埋葬。しかし、両方から梓の木が生えてきて絡みあった。そして、・・・。
又有鴛鴦,雌雄各一,恆棲樹上,晨夕不去,交頸悲鳴,音聲感人。宋人哀之,遂號其木曰「相思樹。」「相思」之名,起於此也。 [「搜神記」卷十一]

鳥による情景描写は当たり前のことだった時代である。唐高祖に重用された詩人の有名な作品にも鳥名がつらつら登場してくる。もちろん鴛鴦も。・・・
 「長安古意」 盧昭鄰[637-689年]
 長安大道連狹斜 青牛白馬七香車
 玉輦縱横過主第 金鞭絡繹向侯家
 龍銜寶蓋承朝日
吐流蘇帶晩霞
 百丈游絲爭繞樹 一群嬌
共啼花
 
花戲蝶千門側 碧樹銀臺萬種色
 複道交窗作合歡 雙闕連甍垂

 梁家畫閣天中起 漢帝金莖雲外直
 樓前相望不相知 陌上相逢相識
 借問吹簫向紫煙 曾經學舞度芳年
 得成比目何辭死 願作
鴛鴦不羨仙
 比目
鴛鴦真可羨 雙去雙來君不見
 生憎帳額
好取門簾帖雙
 雙
雙飛繞畫梁 羅幃翠被鬱金香
 片片行雲著鬢 纖纖初月上

 
黄粉白車中出 含嬌含態情非一
 妖童寶馬鐵連錢 娼婦盤龍金屈膝
 御史府中
夜啼 廷尉門前欲栖
 隱隱朱城臨玉道 遙遙翠沒金堤
 挾彈飛
杜陵北 探丸借客渭橋西
 客芙蓉劍 共宿娼家桃李蹊
 娼家日暮紫羅裙 清歌一囀口氛
 北堂夜夜人如月 南陌朝朝騎似雲
 南陌北堂連北里 五劇三條控三市
 弱柳青槐拂地垂 佳氣紅塵暗天起
 漢代金吾千騎來
翡翠屠蘇鸚鵡
 羅襦寶帶為君解
歌趙舞為君開
 別有豪華稱將相 轉日回天不相讓
 意氣由來排灌夫 專權判不容蕭相
 專權意氣本豪雄 青紫燕坐春風
 自言歌舞長千載 自謂驕奢凌五公
 節物風光不相待 桑田碧海須臾改
 昔時金階白玉堂 即今唯見青松在
 寂寂寥寥揚子居 年年歳歳一床書
 獨有南山桂花發 飛來飛去襲人裾


ただ、清少納言は、鴛鴦の番の"仲睦まじさ"に思いを寄せたのではなく、雄が自分の美しさをアピールして意中の雌を妻にする行為に心惹かれていたのではないかという気もする。(一夫一婦制の鳥は少なくない筈だが、たいていは、鶴のように外見は性別でたいして変わらない。雄の美しさという点では、引けをとらぬ雉になると、一夫多婦制となる。)
そんな風に思うのは、中宮定子に仕え、離婚・恋人・再婚の遍歴を抱えているから。しかも、雌は人目につかぬ樹木の洞で産卵し、子を育てる。ここらも、生活実感的に似ていると感じた筈。
共感を覚えた人も少なくなかったようである。
うち払ふ 共寝ならねば 鴛鴦の 上毛の霜も 今朝はさながら [和泉式部「新撰朗詠集」冬]
(尚、最近は、ほとんどの本で、毎年番が変わるとだけ記載されている。ところが、どのような観察から得られたのかには触れていない。相手を変更する意義についても何の示唆も無い。)

小生は、オシドリの習性にはわかっていない点がかなりあると見ている。現代人は、比較的薄暗い水面を好んで、番でバラバラと生活している場面だけで考えてしまいがち。だが、女系制度の観点で考えると、そんな生活がこの鳥の本質ではないかも。環境が変わってしまった現代では見ることができなくなってしまったが、番形成の特別な仕組みがあった可能性があろう。それは、おそらく、隠れた小さな湖沼での歌垣的大密集。そこで選んだ相手と、各所に散らばる訳である。

そんなことでか、日本各地に鴛鴦の契に関する伝承を見ることができる。そのストーリーは大同小異。鴨とされているが、「鴨雌見雄死所来出家語」@「今昔物語」本朝仏法部 巻十九 本朝付仏法 第六も鴛鴦を指している可能性があろう。代表説話としては、「馬允某陸奥国赤沼の鴛鴦を射て出家の事」@「古今著聞集」巻二十 魚蟲禽獣#713と 「鴛之夢見事」@「沙石集」(巻九14)

最後に「萬葉集」の作品を並べておこう。
鴨君足人かものきみたりひとが香具山の歌一首、また短歌 反し歌二首 [巻三#258]
人榜がず 有らくも著し 潜きする 鴛鴦沈鳧と 船の上に棲む
寄物陳思 [巻十一#2491]
妹に恋ひ 寝ぬ朝明に 鴛鴦の こよ飛び渡る 妹が使か
[巻二十#4505]
礒の裏に 常呼び来棲住む 鴛鴦の 惜しき吾が身は 君がまにまに

菅鳥も鴛鴦のことではないかという説があるらしい。愛を語れる水鳥は他にいそうもないが、名前があまりにかけ離れている。葦鴨なら、そう書けばよかろう。葦切と考えるのが自然だと思う。
寄物陳思 [巻十二#3092]
白真弓 斐太の細江の 菅鳥の 妹に恋ふれか 寝を寝かねつる

尚、「古事記」中巻で父君の品陀和氣命[応神天皇]から、大雀命が日向 諸県君の娘である髮長比賣を賜わり、詠む歌の、"をし"は残念なことに鴛鴦とは読めないようだ。
  (みち)の後(しり) 美知能斯理
  こはだ乙女は 古波陀袁登賣波
  争はず 阿良蘇波受
  寝しく"をし"ぞも 泥斯久袁斯叙母
  (うるは)しみ思ふ 宇流波志美意母布

(Wikisource 万葉集 鹿持雅澄訓訂 1891年)
[→鳥類分類で見る日本の鳥と古代名]

  本シリーズ−INDEX> 超日本語大研究−INDEX>  表紙>
 (C) 2018 RandDManagement.com