[→本シリーズ−INDEX]

■■■ 日本の基底文化を考える [2018.7.29] ■■■
鳥崇拝時代のノスタルジー[19]
−雁が音−

雁/鴈は誰でも知る鳥のようだが、カリとガンという2つの名称があり、それはどう違うのかとか、大型鴨のことだろうとか、あやふやな知識のままであることが多い。
名前の方で言えば、後者は雁擬や落雁とか、経済用語と化した雁行という言葉で、誰でもが知る言葉だが、前者は今や書物から得ただけの知識に近かく、歌を好む人以外はほとんど使わないのでは。文字の読みが突然違ったのは、武士がどうしても漢語発音にしたかったからだろう。ところが、昔の言葉を棄てたくない人が少なくなかったので並立している訳だ。はてさて、現代人はどちらがお好きだろうか。あるいは、そんなことは一切考えず、標準として指定された言葉を淡々と使うだけか。

さて、雁類と鴨類であるが、現代人から見ると、はっきりした分類とは言い難い。大きさの違いで区分できないことはないが、それなら、そのような名前を付ける筈で、両者は全く別な概念である。
ただ、"かり"がいかにもブロードな見方なので、戸惑う訳である。しかし、そうなるのも致し方あるまい。渡来難民貴族や帰国僧といった屈指の知識人が、それぞれ異なる概念を持ち込んだりするので、大ぐくりに表現するしかなかっただけだろう。

現在の分類によれば、雁の一族には、以下のような種が含まれている。鴨という名前も含まれていたりして、ややこしいが、とりあえず、鴨は積極的な恋の鳥で、雁は控え目で耐え忍ぶ愛が似合う鳥とのイメージで眺めるとよかろう。

匂鴨ニオイガモ
豆雁マメガン
頭黒鴨ズクロガモ
尾立鴨オタテガモ
白鳥ハクチョウくぐひ(鵠, 久々井)
   黒鳥/黒鴨コクチョウ@豪州
《雁/鴈(雲鳥)》ガンかり
 黒雁コクガン
   四十雀雁シジュウカラガン
 御門雁ミカドガン
 白雁ハクガン
 真雁マガン
   酒面雁サカツラガン
    *支那鵞鳥/鵝シナガチョウ(家雁)
   印度雁インドガン
   灰色雁ハイイロガン
    *(欧州系)鵞鳥
   菱喰/鴻雁ヒシクイうかり(大かり)
   雁金カリガネかりがね
【遠縁の"雁"】爪羽雁ツメバガン、鵲雁カササギガンAnseranatidae@豪州〜ニューギニア、鴨系の埃及雁エジプトガン

このグループで、わかりにくいのが真雁の一族である。もともとは、すべで"かり"と呼ばれ、細かくは形容表現で済ましていたのだろうが、それでは分別上無理が生じるので"真"の"かり"を設定することにしたようだ。これを切欠として、"かり"を"がん"と呼ぶようにしたのだと思われる。
そこでお大いなる混乱が生まれる。
種の名称に雁金カリガネがあるからだ。
誰が考えても、"雁が音"の呼び換えだろうから、"かりがね"が鳴き声をあらわすのか、はたまた特定の種を示しているのかよくわからない訳だ。

ただ、そのようなことに精力を費やしたくもないので「萬葉集」の雁の歌を引いて並べてみた。
かなりの数にのぼり、その鳴き声にはえらく感ずるところがあったことがわかる。

<大移動:大和へ行く>
膳王の歌一首 [巻六#954]
朝には 海辺に漁りし 夕されば 大和へ越ゆる し羨しも
<大移動:常陸へ行く>
[巻二十#4366]
常陸指し 行かむもが 吾が恋を 記して付けて 妹に知らせむ
<大移動:国へ行く>
詠鴈 [巻十#2130]
我が宿に 鳴きし雁がね 雲のうえに 今宵鳴くなり 国へかも行く
<詠鴈>
詠鴈 [巻十#2128〜#2139]
秋風に 大和へ越ゆる 雁がねは いや遠ざかる 雲隠りつつ
明闇の 朝霧隠り 鳴きて行く は吾が恋 妹に告げこそ
 [#2130]
さを鹿の 妻問ふ時に 月をよみ 雁が音聞こゆ 今し来らしも
天雲の よそに雁が音 聞きしより はだれ霜降り 寒しこの夜は
秋の田の 吾が刈りばかの 過ぎぬれば 雁が音聞こゆ 冬かたまけて
葦辺なる 荻の葉さやぎ 秋風の 吹き来るなへに 雁鳴き渡る
押し照る 難波堀江の 葦辺には 寝たるらし 霜の降らくに
秋風に 山飛び越ゆる 雁がねの 声遠ざかる 雲隠るらし
朝に行く 雁の鳴く音は 我がごとく 物思へかも 声の悲しき
雁がねの 今朝鳴くなべに 雁がねは いづくさしてか 雲隠るらむ
ぬば玉の 夜渡るは おほほしく 幾夜を経てか 己が名を告る
雁に寄す [巻十#2266]
出でて去なば 天飛ぶの 泣きぬべみ 今日今日と言ふに 年ぞ経にける
巫部麻蘇娘子が雁の歌一首 [巻八#1562]
たれ聞きつ こよ鳴き渡る 雁が音の 妻呼ぶ声の ともしきまでに
帰る雁を見る歌二首 [巻十九#4144, #4145]
(燕)来る 時になりぬと 雁がねは 本郷偲ひつつ 雲隠り鳴く
春設けて かく帰るとも 秋風に 黄葉む山を 越え来ざらめや [一ニ云ク、春されば帰るこの]
[巻二#182]
鳥座立て 飼ひしの子 巣立ちなば 真弓の岡に 飛び還り来ね
四年丁卯春正月、諸王諸臣子等に勅して、授刀寮に散禁めたまへる時によめる歌一首、また短歌 [巻六#948]
真葛延ふ 春日の山は 打ち靡く 春さりゆくと 山の辺に 霞たな引く 高圓に 鴬鳴きぬ 物部の 八十伴男は 雁が音の 来継ぐこの頃 かく継ぎて 常にありせば 友並めて 遊ばむものを 馬並めて 行かまし里を 待ちかてに 我吾がせし春を かけまくも あやに畏し 言はまくも 忌々しからむと あらかじめ かねて知りせば 千鳥鳴く その佐保川に 石に生ふる 菅の根採りて 偲ふ草 祓へてましを 行く水に 禊ぎてましを 大王の 命畏み 百敷の 大宮人の 玉ほこの 道にも出でず 恋ふるこの頃
覊旅にてよめる [巻七#1161]
家離り 旅にしあれば 秋風の 寒き夕へに 雁鳴き渡る
但馬皇女の御歌一首 一書ニ云ク、子部王ノ作 [巻八#1515]
こと繁き 里に住まずは 今朝鳴きし 雁に副ひて 行かましものを
天皇のみよみませる御製歌二首[巻八#1540]
今朝の朝明 雁が音寒く 聞きしなべ 野辺の浅茅ぞ 色づきにける
忌部首黒麻呂が歌一首[巻八#1556]
秋田刈る 仮廬もいまだ 壊たねば 雁が音寒し 霜も置きぬがに
大伴家持が和ふる歌一首 [巻八#1563]
聞きつやと 妹が問はせる 雁が音は まことも遠く 雲隠るなり
大伴家持秋の歌四首 [巻八#1566, #1567]
久方の 雨間も置かず 雲隠り 鳴きぞゆくなる 早稲田雁が音
雲隠り 鳴くなるの 行きて居む 秋田の穂立 繁くし思ほゆ
右大臣橘の家にて宴する歌七首 [巻八#1574, #1575, #1578]
雲の上に 鳴くなるの 遠けども 君に逢はむと 廻り来つ
雲の上に 鳴きつるの 寒きなべ 萩の下葉は もみつるかも
今朝鳴きて ゆきし雁が音 寒みかも この野の浅茅 色づきにける
遠江守櫻井王の天皇に奉らせる歌一首 [巻八#1614]
九月の その初の 使にも 思ふ心は 聞こえ来ぬかも
宇治河にてよめる歌二首 [巻九#1699, #1700]
巨椋の 入江響むなり 射目人の 伏見が田居に 渡るらし
秋風に 山吹の瀬の 響むなべ 天雲翔る 渡るかも
弓削皇子に献れる歌三首 [巻九#1701〜#1703]
さ夜中と 夜は更けぬらし 雁が音の 聞こゆる空を 月渡る見ゆ
妹があたり 衣雁が音 夕霧に 来鳴きて過ぎぬ ともしきまでに
雲隠り 雁鳴く時に 秋山の 黄葉片待つ 時は 過ぐれど
泉河の辺にてよめる歌一首 [巻九#1708]
春草を 馬咋山よ 越え来なる が使は 宿過ぐなり
筑波山に登る歌一首、また短歌 [巻九#1757]
草枕 旅の憂けくを 慰もる こともあれやと 筑波嶺に 登りて見れば 尾花散る 師付の田居に 雁がねも 寒く来鳴きぬ 新治の 鳥羽の淡海も 秋風に 白波立ちぬ 筑波嶺の よけくを見れば 長き日に 思ひ積み来し 憂へはやみぬ

<花>
詠花 [巻十#2097, #2126]
雁がねの 来鳴かむ日まで 見つつあらむ この萩原に 雨な降りそね
秋萩は に逢はじと 言へればか 声を聞きては 花に散りぬる
花に寄す [巻十#2276]
雁がねの 初声聞きて 咲き出たる 屋戸の秋見に 来我が背子
<鹿>
雁を詠める [巻十#2131]
[再掲]さ牡鹿の 妻問ふ時に 月をよみ 雁が音聞こゆ 今し来らしも
鹿鳴を詠める[巻十#2144]
は来ぬ 萩は散りぬと さ牡鹿の 鳴くなる声も うらぶれにけり
<黄葉>
穂積皇子の御歌二首 [巻八#1513]
今朝の朝明 雁が音聞きつ 春日山 もみちにけらし 我が心痛し
黄葉を詠める [巻十#2181, #2183, #2191, #2194, #2195, #2208, #2212, #2214]
雁が音の 寒き朝明の 露ならし 春日の山を もみたすものは
雁がねは 今は来鳴きぬ 吾が待ちし 黄葉早継げ 待たば苦しも
雁が音を 聞きつるなべに 高圓の 野の上の草ぞ 色づきにける
雁がねの 来鳴きしなへに 韓衣 龍田の山は もみちそめたり
雁がねの 声聞くなべに 明日よりは 春日の山は もみちそめなむ
雁がねの 寒く鳴きしゆ 水茎の 岡の葛葉は 色づきにけり
雁がねの 鳴きし日より 春日なる 三笠の山は 色づきにけり
夕されば が越え行く 龍田山 しぐれに競ひ 色づきにけり
<月>
月を詠める [巻十#2224]
この夜らは さ夜更けぬらし 雁が音の 聞こゆる空よ 月立ち渡る
<霜>
霜を詠める [巻十#2238]
天飛ぶや の翼の 覆ひ羽の いづく漏りてか 霜の降りけむ
<山>
山に寄す [巻十#2294]
秋されば 飛び越ゆる 龍田山 立ちても居ても 君をしぞ思ふ

寄物陳思 [巻十二#3048]
み狩りする (猟路)羽の小野の 櫟柴の なれはまさらず 恋こそまされ
[巻十三#3223]
天霧らひ 渡る日隠し 九月の 時雨の降れば 雁がねも 乏く来鳴く 神奈備の 清き御田屋の 垣つ田の 池の堤の 百足らず 斎槻の枝に 瑞枝さす 秋のもみち葉 まき持てる 小鈴もゆらに 手弱女に 吾はあれども 引き攀ぢて 枝もとををに ふさ手折り 吾は持ちて行く 君が挿頭に
或る本の歌に曰く [巻十三#3281]
我が背子は 待てど来まさず 雁が音も 響みて寒し ぬば玉の 夜も更けにけり さ夜更くと あらしの吹けば 立ち待つに 我が衣手に 置く霜も 氷に冴えわたり 降る雪も 凍りわたりぬ 今更に 君来まさめや さな葛 後も逢はむと 大船の 思ひ頼めど うつつには 君には逢はじ 夢にだに 逢ふと見えこそ 天の足り夜に
反し歌 [巻十三#3345]
葦辺行くの翼を 見るごとに 君が帯ばしし 投矢し思ほゆ
海邊望月作九首 [巻十五#3665]
妹を思ひ 眠の寝らえぬに 暁の 朝霧隠り 雁がねぞ鳴く
引津の亭に舶泊てし時よめる歌七首 [巻十五#3676]
天飛ぶや を使に 得てしかも 奈良の都に 言告げやらむ
[巻十五#3691]
天地と 共にもがもと 思ひつつ ありけむものを 愛しけやし 家を離れて 波のうえゆ なづさひ来にて あら玉の 月日も来経ぬ 雁がねも 継ぎて来鳴けば たらちねの 母も妻らも 朝露に 裳の裾ひづち 夕霧に 衣手濡れて 幸くしも あるらむごとく 出で見つつ 待つらむものを 世の中の 人の嘆きは 相思はぬ 君にあれやも 秋萩の 散らへる野辺の 初尾花 仮廬に葺きて 雲離れ 遠き国辺の 露霜の 寒き山辺に 宿りせるらむ
右の二首は、守大伴宿禰家持がよめる。 [巻十七#3947]
今朝の朝明 秋風寒し 遠つ人 が来鳴かむ 時近みかも
右の二首は、守大伴宿禰家持。 [巻十七#3953]
雁がねは 使ひに来むと 騒くらむ 秋風寒み その川の辺に
[巻十九#4224]
朝霧の 棚引く田に 鳴く雁を 留め得ぬやかも 我が宿の萩
天平勝寶五年八月の十二日、二三の大夫等、各壷酒を提ひきさげて、高圓野に登り、聊か所心を述べて作める歌三首 [巻二十#4296]
天雲に 雁ぞ鳴くなる 高圓の 萩の下葉は もみち堪へむかも

(Wikisource 万葉集 鹿持雅澄訓訂 1891年)
[→鳥類分類で見る日本の鳥と古代名]

  本シリーズ−INDEX> 超日本語大研究−INDEX>  表紙>
 (C) 2018 RandDManagement.com