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■■■ 日本の基底文化を考える [2018.7.31] ■■■
鳥崇拝時代のノスタルジー[21]
−秋沙考−

"秋沙"は「萬葉集」に登場する。場面から見て"川秋沙"。漢字はママ。
鳥を詠める [巻七#1122]
山の際に 山際尓
渡る秋沙 渡秋沙乃
行きて居む <行>将居
その川の瀬に 其河瀬尓
波立つなゆめ 浪立勿湯目
読みは"あきさ"とされているが、現在の呼び方では"あいさ"。よくある音便展開だ。
"沙"を万葉仮名と見なせば、秋の"早"か"去"という意味で考えるのは納得し易い理屈である。
渡ってくる季節だが、大陸では"秋"だが、日本では晩秋〜初冬。"早"では時期的に合わないから、"去"にせざるを得まい。

しかし、よく考えて見ると、万葉仮名なら、"秋沙"という漢字に拘る必要はなかった筈である。ここでは意識的に外来語の"秋沙"を使ったと見てよかろう。
ただ、大陸に於ける呼び方は"秋沙鴨"で、1文字追加になるが。小生は、この中国語の"秋沙"を"あきさ"と読むことにしたのではないかという気がする。訓とすべき言葉はあったのだろうが、それを敢えて使わずに。
おそらく、その方がしっくりくるから。と言うのは、鴨類集団と共に水面に居ることが多く、古代の環境下なら、それこそゴッタ混ぜの大群だった可能性が高いと見て。まさに秋になると、砂漠の砂のような、水辺の"沙"状態化するということ。

だが、それだけの話で終わらない。

秋沙類は北半球北部に遍く分布している鳥。当然ながら、中国と日本の種はほとんど変わらない。
歌に詠われている川秋沙にしても、東アジアではポピュラーな種であり、"普通秋沙鴨"と命名されている。"common"の訳であろう。この群の代表種はこうなっている。・・・
  《秋沙アイサ類…あきさ
    川秋沙カワアイサ
    海秋沙ウミアイサ
    高麗秋沙コウライアイサ
   巫女秋沙ミコアイサ
   氷鴨コオリガモながひき
   黒鴨クロガモ
    天鵞絨金黒ビロードキンクロ
    荒波金黒アラナミキンクロ
   晨鴨シノリガモをきのけんてう(沖帳)   
調べると、高麗秋沙に当たると思われる中華秋沙鴨が、今から第三紀氷河期残存の化石に匹敵する種との主張すがあったりする。白髪三千丈の国だから驚きはしないが、そのように考える文化的素地があることを示唆していそう。(通説せは、上記の群の基底種は晨鴨である。)
おそらく、蒙古辺りの寒冷地から避寒でヒトの居る地域に偶々出てくるタイプだと思うが、神々しい深い山からやってくるということで、尊崇の念が残っているいるように思われる。

日本においても、古代の人々は、秋沙の習性を眺めていて、貴ぶべき一族と、直観的に感じ取っていた可能性が高い。現代人の目から見れば、どうということもない水鳥にすぎぬが、潜水漁法上手は確かに賞賛に値する。そして、海人同様、寝る時は陸(樹木)に上がるから、祖先の超人のイメージが被さるのでは。海中深く潜って海神の御託宣を頂戴できる鳥は、これ以外にあり得そうにないし。それに、頭の毛がなんとなく冠的に生えていることもその感を強める。
そうとでも考えなければ、単なる冬季の渡り鳥に"巫女"と名前をつけることはあるまい。
晨鴨にしても、古名は、大礼時に高御座御帳をげ開く役[女官]を指す。意味深。

ちなみに、以下のような和歌が伝わっている。
「夫木和歌抄」[巻十七#7039〜7042]
あはぢしま 松ふく風の おろすかと 聞けば磯べに あきさ立つなり  俊恵
群れわたる 磯へのあきさ 音さむし のたの入江の 霜の曙 長明
あきさゐる あらき浜への まつかねに ころもてしきて さぬるかなしさ
なるみかた あきさわたると みしほとに 磯のたまもは つららゐにけり 仲正

(Wikisource 万葉集 鹿持雅澄訓訂 1891年)
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