[→本シリーズ−INDEX] ■■■ 日本の基底文化を考える [2018.8.2] ■■■ 鳥崇拝時代のノスタルジー[23] −不倫の象徴カモ− 橿原 大軽〜石川は、古代、"軽"と呼ばれていた地。 そこには、湊も道もあり、市も開かれていた。 「萬葉集」に登場する「剣池」[巻十三#3289]と「軽の池」があった。こうした池は一種の溜池だから、そのママ残っているとはとうてい思えないが、「剣池」として現存しているらしい。流石。 "軽"と言えば、軽皇子と同母妹軽大郎女の事件が想起される。隠れた恋は発覚すれば、必ず一波乱を呼ぶ。だからと言って、恋心は止めようがないから、隠り妻はなくならない。 ▼寄物陳思 [巻十一#2656] 天飛ぶや 軽の社の 斎槻 幾代まであらむ 隠り妻ぞも この歌は詠み人知らず。 一方、隠れた恋なのか、公認かはわからねども、同じ"軽"の地の歌が「軽の池」として詠まれている。作者は、天武天皇・大蕤娘の紀皇女。鴨が登場。 ▼紀皇女の御歌一首 [巻三#390] 軽の池の 浦廻廻る 鴨すらも 玉藻の上に 独り寝なくに この皇女だが、弓削皇子との相聞歌が別途収載されている。その辺りで何か問題を起こした可能性を示唆していそう。そうなると、不倫相手が伊予に左遷され詠んだ歌カモ。 ▼寄物陳思 [巻十二#3098左注] 右ノ一首ハ、平群文屋朝臣益人伝ヘテ云ク、昔聞ク紀皇女竊カニ高安王ニ嫁ヒテ責メラレシ時、此ノ歌ヲ御作レリト。但高安王ハ左降シテ、伊与ノ国守ニ任ケラル。 「軽の池」の歌では、"鴨"として登場するが、種としては真鴨ではなく、軽鴨と見られている。軽鴨は、近縁とは言え、異なる種の真鴨とも自然交配することが知られており、禁断の恋にはピッタリということもあろうか。 と言うか、この歌を名付親とする説が流布している。 常識的には、"カル"だらけの地だから、その地の名が"軽"となったと考えがちだが、軽の地の鴨を"カル"と呼ぶようにしたとの説の方が確かに味がある。小生は、軽鴨の本名は、換羽中の真鴨の名称とされている"泥鴨"だと見るが、それでは余りに風情が無さ過ぎ。 不倫の象徴に祀り上げるには、やはり"軽"でなくては。 尤も、現在はそういう訳にはいかなくなってきたカモ。 軽鴨は、春のニュース・バラエティ番組になくてはならないスターだからだ。親の後ろに付いて一列で追いかける子鴨の映像はなくてはならない訳で。愛情あふれる家族イメージを打ち出そうという時に、不倫話はいかにも無粋。 (Wikisource 万葉集 鹿持雅澄訓訂 1891年) 本シリーズ−INDEX> 超日本語大研究−INDEX> 表紙> (C) 2018 RandDManagement.com |