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■■■ 日本の基底文化を考える [2018.8.8] ■■■
鳥崇拝時代のノスタルジー[29]
−小鳥の猛禽−

秋の晴天下、辺りを眺め渡せそうな高いところに止まり突然甲高い声を出す鳥がいる。お蔭で、その存在がすぐにわかる。
ただ、気分で声調を変えるので"百舌"。それならモモナキと呼びそうなものだが、どういう訳かモズ。
縄張りを主張するための発声と説明されているが、周囲の鳥を追っ払うために鳴き方を変えている訳ではないので、今一歩説得力に欠ける理屈だ。と言って、雌呼び込みとも考えにくい。小生の推量は、小鳥の反応を誘う為の頭脳プレー。驚いて早速逃げてくれれば、それはそれ、昆虫が飛出したりするから、その辺りを観察すればよい。逃げ足が遅い小鳥とか、急いで隠れたりすれば、そこらもチャンスありである。

小鳥を襲うのでいかにも強そうだが、体躯自体は小鳥の範疇。ただ、嘴や爪の特徴や、行動習性は100%猛禽類と言ってよかろう。
にもかかわらず、生物分岐分類上は鷲鷹の仲間ではなく、世間の感覚とは乖離がある。異端の小鳥なのだ。

実際、長らく、猛禽類としての位置付けの鳥だったようである。
武家政権により鷹狩が権力の象徴とされ、それに対抗するが如く、百舌飼いが流行っていたそうだから。・・・
1206年のこと。 [「吾妻鏡」第十八巻]
 將軍家仰云。有櫻井五郎者。以可令取鳥之由申之。慥欲見其實。是似嬰兒之戯。
確かに、鷹狩と比較すれば子供の遊びだ。でも実朝は是非にも見てみたい訳である。そして名人早速登場。
 一羽於左手。
そして、御前で百舌狩をご覧に入れるのである。
 櫻井候庭上。黄雀在草中。合取三翼。上下感嘆甚。

狭い国土で、チマチマした地形だらけだから、こちらの愉しみの方が情緒的だし、日本には向いていると思うがどの程度人気が沸いたのだろうか。問題は、百舌がどこまでヒトに馴れるかであろうが。

「萬葉集」には、磯の猛禽類たる雎鳩ミサゴ同様、恋の歌に登場させている。

ただ、現代だと秋になると開けた地にやって来て、春には去る林禽というイメージだが、古代の餌場としては野原の方が魅力的だったろうから、それほど注目を浴びる存在ではなかった可能性があろう。

"訪問しますよ〜"と、"お越しにならなくなったけど、見つめておりますわヨ〜。"の対だろうか。
鳥を詠める [巻十#2167]
秋の野の 尾花が末に 鳴く百舌の 声聞くらむか 片待つ我妹
鳥に寄す [巻十#1897]
春されば もず(伯勞鳥)の草潜き 見えねども 吾れは見やらむ 君が当たりは

ついでながら、上記で使われている「鵙」は貝偏になっているが、もともとの文字は、「[目+犬+鳥]」。鼻の効く猟犬ならぬ目の効く猟鳥を意味していることがわかる。
しかし、百舌鳥がモズであるかはなんともいえない。親類のツグミには、そのような鳴き方をする鳥がいておかしくないからだ。何の意味もなさそうな特徴で猛禽類の名称にあてているのは腑に落ちぬ。
もともとは異なっていたが、同類とされたと見る方が自然。「鵙」と書くのが気に喰わぬと考える人が多かったのではないか。

そうなると、【伯勞鳥伝説】についても触れておかねばなるまい。
周の宣王の臣下尹吉甫は後妻の嘘で孝行息子の伯奇を追放。自殺した伯奇が鳥になって鳴いていると。話には様々なバージョンがあるのは、長子相続制度を旨とする儒教勢力が積極的に拡宣したからでは。西の殷(商)の燕に対比した、東の伯勞という考え方があったので、それに思想を被せた可能性があろう。
「東飛伯勞歌」蕭衍@484年頃(南北朝)
 東飛伯勞西飛燕 黄姑織女時相見
 誰家女兒對門居 開華發色照里閭
 南窗北挂明光 羅幃綺帳脂粉香
 女兒年幾十五六 窈窕無雙顏如玉
 三春已暮花從風 空留可憐與誰同


(Wikisource 万葉集 鹿持雅澄訓訂 1891年)
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