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■■■ 日本の基底文化を考える [2018.8.10] ■■■
鳥崇拝時代のノスタルジー[31]
−反仏教のドラミング−

"木つつき"を漢字化すると、ご存知、啄木鳥。
木を嘴で突く(≒啄ばむ)との言い回し。ドラミングの音が気になるので名付けられたのだろう。
"ケラ"とも呼ばれるが、これは"ケラつつき"の略で、ケラは"虫けら"として使われる語彙。隠れて一生を過ごす"螻蛄"のこと。こちらの方が"木つつき"より古そう。

主要な種は以下の通り。
 《啄木鳥》キツツキけらつつき 【】中国語
  蟻吸アリスイ…蟻食 最小 . or 地啄木
  赤啄木鳥アカゲラ 大斑啄木鳥
  緑啄木鳥アオゲラ 日本緑啄木鳥
   山啄木鳥ヤマゲラ…山棲ではない 灰頭緑啄木鳥
  熊啄木鳥クマゲラ…最大 黒啄木鳥
  小啄木鳥コゲラ 小星頭啄木鳥

ここまでなら、なんということもないのだが、驚くことに、これらの名称より早くから使われているのが"寺つつき"らしい。どう考えても、土着の言葉ではないのに、一世風靡したらしい。不自然な展開になるが、"テラ"が"ケラ"に変化したとの見方もできる訳だ。

後世ではあるが、この名前の出自を題材にした作品がある。どんなイメージで"寺つつき"を見ていたか参考になる。[鳥山石燕:「今昔画図続百鬼」1779年]要するに、赤啄木鳥(土着という点では緑啄木鳥の筈だが.)的反仏教派として討伐された、物部守屋の妖怪ということ。もちろん、大集団で聖徳太子の四天王寺や法隆寺の木の柱を襲ったとされる訳だ。その元ネタは言うまでもなく、平家物語の仏教説話増補版たる「源平盛衰記」巻十"守屋成啄木鳥事"。この頃に創作されたのではなく、かなり古い出自と考えるべきかも。

従って、啄木鳥が詠まれているということは、その辺りを踏まえて、と考えるしかない。
経りにける 森の梢に 遷り来て 飽かずが 秀なる 寺啄かな
   藤原家隆[「壬二集」#0999]
寺啄 花の心を 知らむとて 花を一房 突き出したれ
   無住[「沙石集」]
  (ご注意:漢字化は誤っているかも知れません。)

どうも、古い和歌には余り起用されなかったようである。音については、今と違って、昔の日本は敏感だったからドラミングは邪魔な音という気分が強かったのかも。

白楽天は使っているが。
  「寓意詩五首」其五 白居易
 婆娑園中樹 根株大合圍
 蠢爾樹間蟲 形質一何微
 孰謂蟲至微 蟲蠹無已期
 孰謂樹至大 花葉有衰時
 花衰夏未實 葉病秋先萎
 樹心半為土 觀者安得知
 借問蟲何在 在身不在枝
 借問蟲何食 食心不食皮
 豈無
啄木鳥 嘴長將何為
唐代としてはこんな感じか。
  啄木謠」 陳標@宗太和
 丁丁向晩急還稀 啄遍庭槐未肯歸
 終日與君除蠹害 莫嫌無事不頻飛


後代になると、隠遁的生活の静寂を破るものとされたようにも思える。
 「無事」 馬臻
 無事毎日不出戸 滿院松竹森交加
 晝眠厭聽
啄木鳥 早涼喜見牽牛花
 一真自可了生死 萬事不必論等差
 誰能屑屑管迎送 客來且試山中茶


人生に関して達観の詩が単純であるだけに、生物観察眼的には冴えて見える。
  啄木鳥 劉家魁
 一切都好在的嘴上 一切都壞在的嘴上 啄的木去 一切都不要放在心上
   (http://www.fengtipoeticclub.com/03Fengti/liujk/liujk-menu.html)
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