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■■■ 日本の基底文化を考える [2018.8.12] ■■■
鳥崇拝時代のノスタルジー[33]
−もの悲しさを生む鳥−

"鷸(=鴫:国字)"といえば、定番の和歌あり。
 秋、ものへまかりける道にて
心なき 身にもあはれは 知られけり 鴫立沢の 秋の夕暮
    西行法師[「新古今和歌集」---「山家集」#470]
黙読するだけで、ドキッとさせられる。それは、習わされる和歌の大半が、いかにも技巧を凝らした印象を与える上に、かなり広範な知識が要求されるのに対し、こちらはそのものズバリだから。ママ表現であり、即時、西行法師の心情を共有している気分に浸れる訳だ。(俊成:"鴫立沢のと言える、心幽玄に姿及びがたし")
詠んだ場所は、後世、湘南大磯とされた。
西行法師の鴫を詠った歌を引用しておこう。
草茂げみ 沢に縫はれて 伏す鴫の 如何によそだつ 人の心ぞ [「山家集」#1275]

ただ、シギといっても、いささか広い概念である。比較的長い足で干潟をトコトコ歩き、尖った長い嘴で餌をほっくり当てる鳥といったイメージはあるものの。これは個体の姿だが、普通は矢鱈に騒がしい群れである。千鳥ほどとんでもない大群ではないにしても、大集団が普通。従って、羽音が繁々しいと言われているようだ。
小生は、鳴き騒ぐ方が気になる。どちらにせよ、今はそんな情景は全く見ることができなくなってしまい、判断しかねる。主観的ではあるが、その鳴き声はどことなく物悲しさを感じさせるものがある。明るさが無いのだ。
翻び翔る鴫[志藝]を見てよめる歌一首 [巻十九#4141]
春設けて 物悲しきに さ夜更けて 羽振き鳴く鴫 誰が田にか食む
太上天皇との難波の宮に幸せる時の歌 右の一首は、高安大島。 [巻一#67]
旅にして 物恋ひしきに 家語も 聞こえざりせば 恋ひて死なまし
____ 物恋ひ鷸の 鳴く事も____

しかし、西行の歌はそのような情景とは無縁。広大な干潟あるいは湿地帯ではなく、そこから入った沢である。だが、そこで、突然の羽音に驚かされることはなんら珍しいものではない。(鴫という文字や、田鷸が存在しているが、田圃の構造から見て、稲田好みという意味ではなく、蓮田周辺や、稲を刈った後の湿田を指しているのだと思う。干潟は餌は豊富だが、満潮になると移動を迫られる。周囲に休める場を欠くと困るから、田圃に移動はおおあり。尚、沢だが、環境の色調と合えば擬態的条件が揃うので、結構安心して休息できそう。)

広い場所を好まない種もいるが、そんなことはどうでもよい。大衆から離れてじっと動かずに立ち尽くす鴫もいるというだけのこと。だからこそ、しみじみ感がつのるのである。

そう考えると、この歌も、日本における鳥の扱い典型例と言えそうだ。
大陸とは違い、分類は極めて大雑把。と言うか、できる限り情緒的に大きくまとめることを重視しているということ。ある意味、漢字によって、細かく種を定義しする方法論には批判的と言ってもさしつかえなかろう。
従って、漢字圏としての最低遵守すべきルールを自分なりに考え、それぞれの鳥に文字をあてたのである。

"鷸"にしても、その種の数は半端なく、それを知らぬ筈はないのである。日本こそ、そのメッカなのだから。以下に代表を示したが、極めて多岐に渡る種を総まとめで"鷸"と呼ぶのである。何を指しているかは、その時の状況によってわかるという仕組み。つまり、標準化された用語とは違い、状況表現から察するしかないのである。そのため、感情が入り込んだ概念を伝えることが可能になる訳だ。いかにも、雑種共存社会らしき振舞い。
人為的に大民族を形成させる中華帝国とは、体質的に水と油。

 《鷸/鴫》シギScolopacidaeしぎ(騒)
 ・京女鷸キョウジョシギ
  尾羽鷸オバシギ@海辺
   鶉鷸ウズラシギ
   千島鷸チシマシギ
   襟巻鷸エリマキシギ
   三趾鷸ミユビシギ
   小紋鷸コモンシギ
  箆鷸ヘラシギ
  浜鷸ハマシギ…群生活
  雲雀鷸ヒバリシギ
  当年トウネン…小さい体躯
  錐合キリアイ
 ・尾黒鷸オグロシギ
 ・大杓鴫/大尺鷸ダイシャクシギ
  小鴫コシギ
 ・大嘴鷸オオハシシギ
  襟巻鷸エリマキシギオオハシシギ
  山鷸ヤマシギ
  田鷸タシギ
   青鷸アオシギ
 ・鰭脚鷸ヒレアシシギ
   赤襟鰭足鴫アカエリヒレアシシギ
  反嘴鷸ソリハシギ@海辺
  磯鷸イソシギ
  草鷸クサシギ…単独生活
   黄足鷸キアシシギ…群生活
 珠鷸タマシギ
 背高鷸セイタカシギ

今見かける鳥は、留鳥だったりもするようだが、本来的にはほとんどが渡り鳥。南半球から北半球への長い旅路の途中に立ち寄る地が日本である。
多種多様であるから、大きな群れのなかに孤立した他の種が混じったりするが、それぞれ順次、一団となって旅立って行く訳である。短期滞在者であるから、延べ滞在者の数たるやとんでもない状況だったと思われる。
餌場は湿地帯で主には干潟だったろうが、近辺の安全な陸休んでいた訳である。そこでは姿勢を正してじっとしているのが習性。
古代の日本列島には、そんな好適地がいくつもあったから、日本列島経由の帰還が多数派か。
【豪州】
├→インドシナ半島海南縞大陸沿岸渤海大陸北方の営巣地
└→フィリピン台湾日本列島→・・・
【NZ】
└→メラネシアパプアニューギニア小笠原本州→・・・
┌─────────────────北海道←─┘
├→樺太大陸北方の営巣地
└→アリューシャンカムチャッカアラスカ大陸北方の営巣地

言うまでもないが、野鳥は貴重な食材でもある。"シギ焼き"(事典によれば, 武家で供された、漬物茄子肉詰め柿葉蓋の嘴付料理の"擬"ということ.)という言葉が現代でも使われるから、上手モノの肉として扱われていたに違いない。なにせ、古事記にも、囮猟の話で登場する位だから、極めてポピュラーと見て間違いなかろう。
せわしなき長い旅路の途中で、ほんの少々の休息中に、次々と命を落としていく訳だ。仏教徒としてはそんな知識などなくとも、実情は肌でわかっていたに違いない。
そして、他ならぬ自分達も、渡り鳥同然に、この地にやって来たのではなかろうかと、遠い昔に思いをはせたりして。

(Wikisource 万葉集 鹿持雅澄訓訂 1891年)
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