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■■■ 日本の基底文化を考える [2018.8.13] ■■■
鳥崇拝時代のノスタルジー[34]
−古手本格的魚獲水鳥−

阿比アビを取り上げておこう。本格的魚獲水鳥で、北極圏の湖沼を繁殖地としている渡り鳥。

分岐分類で見ると、類縁はこんな感じらしい。・・・
┌───────阿比アビの類縁

【本格的魚獲水鳥の一族】

┌─────企鵝ペンギンの類縁
│┌┤
││└─────水薙鳥ミズナギドリの類縁
││┼┼┼┼┼┼┼┼管鼻鴎フルマカモメ
││┼┼┼┼┼┼┼信天翁アホウドリ
││┼┼┼┼┼┼┼海燕ウミツバメ
││┼┼┼┼┼┼┼潜海燕モグリウミツバメ
└┤
│┌─────鸛/鵠の鳥コウノトリの類縁
└┤
┼┼┌───朱鷺/鴇トキの類縁
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┼┼││└───鷺サギの類縁
┼┼└┤
┼┼┼│┌───ペリカンの類縁
┼┼┼││┼┼┼┼撞木鳥シュモクドリ
┼┼┼││┼┼┼┼嘴広鸛ハシビロコウ
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┼┼┼┼│┌──軍艦鳥グンカンドリの類縁
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┼┼┼┼┼│┌─鰹鳥カツオドリの類縁
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┼┼┼┼┼┼│┌鵜/ウの類縁
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┼┼┼┼┼┼┼└蛇鵜ヘビウの類縁

阿比は初期の分岐で、一番進化したタイプは鵜ということになる。
いかにも、古代の超人的渡り人の仲間と思われる面々が揃っている。
素人的には、なんとはなしに分岐のストーリーが浮かんでくるので納得の図。

"アビ"と書かれると、西洋の言葉に聞こえてしまうが、日本語の筈。但し、もともとの名称は、"かずくどり(潜鳥)"のようだ。島嶼的な地域にはまだまだ残っている言葉と思うが、現地では方言と考えていそう。

この鳥、身体のかなり後方に自由自在に動く脚がついており、かなり大き目の足は趾の間に(水掻き)がある。当然ながら、この手の鳥は潜水上手。潜水上手こそが誇りだった海人のセンスからすれば、驚嘆すべき能力だった訳で、"アビ"という名称は"足広"という綽名と考えるのが自然である。
ところが、全く異なる名前の類縁も存在している。
 大波武オオハム
 白襟大波武シロエリオオハム
都合3種で、図鑑の写真で見れば違いはわかるものの、それは繁殖時の姿。日本への渡航時はどれもほとんど変わらず、見分けが付くとは思えない。
想像に過ぎぬが、"ハム"とは種の名称ではなかった可能性を感じる。つまり、すべては綽名の"あび"だったが、身体の大きさが違うのがいるネ、という認識。それはそれ、海人のこと、、大食漢鳥と、少しか喰わぬ鳥との言い回しにしたのでは。つまり"食む"という名称。現代の"アビ"は"小食む"である。
武家は、訓から漢語に代えたい訳で、"潜る"という意味の"波武"を"ハム"に当てたということでは。
そう思うのは、この"大小ハム"達は瀬戸内海の古戦場近くに出現し、その辺りでは、総称的に"平家鳥"と呼ばれていたからである。
と言っても、その名前で有名になったのではなく、豊島・大崎下島・斎島海域で阿比神として祀られているから。神のお遣い役であり、漁撈せよ、と"吾を呼ぶ"鳥とされた訳だ。(江戸元禄期に始まったらしい、「鳥持網代」で中心的役割を担った。キビナゴを追い込むので、それを狙った大物一本釣り漁獲が期待できる仕組み。[記録:広島県の文化財-アビ渡来群游海面@呉豊浜])

ここからの推定にすぎぬが、日本にわざわざやって来るのは、漁港が文字通り津々浦々あり、餌が豊富なせいだろう。その上、魚群探知約として大切に守ってもらえて安全性が高かった点も大いに魅力的だったろう。
わざわざ内陸部に入る必然性も無いから、漁師以外は余り目にすることはなかった筈。現代は全く逆だと思う。
[→鳥類分類で見る日本の鳥と古代名]

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