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■■■ 日本の基底文化を考える [2018.8.22] ■■■
鳥崇拝時代のノスタルジー[43]
−常陸國風土記の鳥−

「古事記」だけ眺めて、「風土記」を無視するのも気になるので順次目を通しておこう。

「常陸國風土記」には9つの郡が記載されているが、香取を除けば、鳥について独自性を感じさせる記述はほとんど無い。暁の"鶏鳴狗吠"との言い回しもあり、すでに文化的には中央と同質化しているのかも。

ただ、土を啄ばむのが珍しい習性と思ったのか、鳥の記載が一ヶ所ある。現在の印旛域水系は大きく変わっているだろうから参考になるのかはわからぬが、山田川辺りらしい。
夏月の熱い日、・・・避暑で涼を追って、・・・
筑波の
(歌垣)雅曲を唱って、久慈の味酒を飲む。是、人間の遊びとは雖も、頓と、塵の中の煩わしきを忘れる。其の里の大伴村に涯(崖)が有り、群れ鳥が飛んで来て、それを啄咀して食す。

全体では、土着の抵抗者を平定していく物語りが多いが、そこでの鳥の登場はマイナーな印象。

香取と筑波の間に位置する茨木では、國巣の悪き性分表現につかわれている。もちろん梟。
古老曰く、昔、國巣(俗語ではツチクモ又はヤツカハギと云う。)在り。・・・常に穴に居住。・・・狼の性で、梟の情、・・・。

その茨木の北、流海に囲まれている行方の地では鴨がいる。どこにでも居る渡り鳥だが、特別な事績ありと。地名の由来である。
無梶河より、国の境(部陲)に達し、鴨の飛び度るあり。天皇御射。
鴨、迅くも弦に応え墜ちた。其の地を、鴨野と謂う。

この地、無梶河にも由来があり、地名では玉造現原に当たる。いかにも重要そうだ。それに、北側には香取神宮が分祀されていると記載しているから、要衝の地と思われる。従って、なんらかの背景がありそうだが、残念ながら想像がつかぬ。

この地からは多少離れるが、国見話がある。鳥に成り切った感覚で行うのであろう。
大足日子天皇(景行天皇)、下總國印波の鳥見丘(@印旛香澄)に登り、留連し遥望。

平定作戦に鳥的文化が使われたことも書いてある。
伊多久(潮来)に、成敗した國栖を葬った話も収載されている。大宴会で安心させて一気にかたをつけたようだ。
天の鳥琴、天の鳥笛、波に随い、潮を逐いかけ、杵嶋の唱曲を七日七夜も遊楽と歌舞を。

地形を考えれば、とんでもない数の渡り鳥が見られた地の割に、とんとその話が無い。中央の貴人との関係で登場しているだけに思えてくる。

久慈と多賀の境にある神峰山の話もそんなイメージを高める。
東の大きな山は、賀禮の高峯と謂うが、即、天ツ~有り。名は立速男命で一名速經和氣命。本、天より降り、・・・~の祟り甚だ厳しい。・・・~告を聴き、遂に、賀禮の峯に登る。其の社は石以て垣と為す。・・・皆、石と成って存す。凡そ、諸鳥で経過するものは、盡く、急に飛び避り、峯の上に當たることも無い。古来より然ること為し、今も亦これと同じ。
古墳があったということか。鳥と共に去れりなのだろう。

香取辺りについての記述は長いが、最後の方に、白鳥の面白い話が収載されている。これは別途とりあげたい。

尚、この他にも鳥の記述はあったのかも。
[逸文]【河内】浮嶋村に鳥有り。「賀久賀鳥[ミサゴ]」。其の吟囀の音愛すべき。大足日子天皇[景行天皇]、此の村の行宮に停まりてたまうこと三十日。其の間天皇、此の鳥の聲を聞こしめし、伊賀理命を遣わして、網を張りて捕らしめたまう。悦感したまいて、鳥取と云う姓を給いけり。・・・
[存在疑問譚] 別有鳥 名尾長 亦號酒鳥・・・
[存在疑問譚] 撚糸を結び付けた雉によって雷神の所在を知る伝承話。

(参照:ママ引用ではありません。)
秋本吉郎[校注]:「風土記」日本古典文学大系2 岩波書店 1958年

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