[→本シリーズ−INDEX]

■■■ 日本の基底文化を考える [2018.8.23] ■■■
鳥崇拝時代のノスタルジー[44]
−播磨國風土記の鳥−

「播磨國風土記」を見てみよう。

【播磨国総説】、【明石】、【赤穂】は欠落しているし、残存部も欠落や乱れが見てとれるので、完全とは言い難いが、360ほどの地名解説書ととも言えるから、鳥が登場する部分を眺める程度なら十分すぎる位では。

【賀古】@加古川
(景行天皇)詔して云う。「此處、浪の響きと鳥の聲で甚だ譁し。」而して、高宮にお遷りに。
【印南】
【餝磨】
【揖保】
大鳥山、鵝、此の山に栖む。故に名は《大鳥山》。
鷁住山》、鷁住と號する所以の所は、昔、此の山に鷁が多く住んだから。それ故に、名が為った。
雀嶋、雀嶋と號する所以の所は、雀が此の嶋に聚まったから。故に曰く、《雀嶋》。
鈴喫岡、鈴喫岡と號する所以の所は、品太天皇(応神天皇)の世、此の岡に御田したとき、鷹鈴が堕落した。求めたものの、而して得られず。故に、號して《鈴喫岡》。
【讃容】
船引山、近江天皇(天智天皇)の世、道守臣、此の國の宰(みこともち)と為り、官船を此の山に於いて造り引き下ろすよう命令。故に曰く、船引山。此の山にが住む。一つには、韓國の鳥と云う。枯れ木の穴に栖み、春時に見え、夏には見えず。
【宍禾】
【神前】
【託賀】@西脇〜多可
大羅野と云う者だが、昔、老夫と老女とが袁布山(@黒田地区)中に羅(網)を張った。禽鳥を捕るに衆鳥多く来て羅を負いて飛び去って、件の野に於いて落ちた。それ故に曰く、《大羅野》。
【賀毛】@加古川中流域
賀毛と號する所以の所は、品太天皇(応神天皇)の世、鴨の村に雙の鴨が栖を作り卵を生んだ。それ故に曰く、《賀毛郡》。上鴨里、下鴨里、右二つの里で鴨里と號する所以の所は、已に上に於いて詳らか。只、後に、分けて二つに里に為しただけ。故に曰く、上鴨、下鴨。品太天皇(応神天皇)巡行の時、この鴨飛び発って、修布井樹に居った。この時天皇、問いて云う。「何の鳥哉?」侍従の當麻品邇遲部の君 前玉が応えて言う。「川に於いて住む鴨なり。」勅令で射させた時、一本の矢が発せられた二つの鳥に的中。即ち、矢を負いて山の岑に従って跳び越した處の者は、《鴨坂》と號した。落ち斃れた處の者は、《鴨谷》と號した。羹を煮た處の者は、《煮坂》と號した。
【美嚢】

逸文【明石】
《驛家》、・・・難波高津宮天皇の御世、楠が井の上に生えた。・・・仍、其の楠を伐採し舟を造る。其の迅速なこと飛ぶが如し。・・・仍、速鳥と號した。・・・
唱曰く、 住吉之 大倉向而 飛者許曾 速鳥云目 何速鳥

鳥に擬えて名称をつけた楠の神聖な巨木から造った有名な高速船である。

(参照:ママ引用ではありません。) 秋本吉郎[校注]:「風土記」日本古典文学大系2 岩波書店 1958年
[→鳥類分類で見る日本の鳥と古代名]

  本シリーズ−INDEX> 超日本語大研究−INDEX>  表紙>
 (C) 2018 RandDManagement.com