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■■■ 日本の基底文化を考える [2018.8.29] ■■■
鳥崇拝時代のノスタルジー[50]
−鵯合−

橘成季が1254年に著わした「古今著聞集」は、平安期の詩歌管弦話を中心としたお話を収集整理したもの。
収録されている鵯鳥(ヒヨドリ)の愛玩飼育話を取り上げてみたい。

義経の鵯越の逆落しで有名になって流行ったのではなく、もともと平安貴族のお好みだった。

鵯鳥は、夏は昆虫、秋は果実、冬は木の実といった季節の旬を求めて移動す生活をしており、環境適応性が高くて飼いやすかったことも大きかろう。果物に目が無いから、雛から育てれば、ヒトに懐くし。
ただ体色は灰褐色。その姿にとりたてた特徴もなさそうで(栗色の耳羽はあるが。)特段魅力的とは思えないが、時に、大きな声で鳴くのが一番の楽しみだったのだろう。現代感覚では、群れてかん高く鳴くので、喧しい鳥でしかない。もちろん、果樹園芸農家にとっては猛烈な害鳥だから、どちらかといえば嫌われ者に近いかも。

と言うことで眺めてみよう。(尚、藤原家隆[1158−1237年]は後鳥羽院〜土御門院の時代の人。寂蓮の婿で定家と並び称された俊成の門人。)

「宮内卿家隆 秘蔵の鵯荻葉を侍従 隆祐に預くる事」巻二十"魚蟲禽獣"(第三十編)#704
宮内卿家隆卿、秘蔵の鵯"荻の葉"と云ふを、子息の侍従 隆祐に預けて飼はせるを、侍従 住吉(神社)へ持ちて下りたりけるを、取りにやるとて、"葉山"と云ふ鳥を代わりにやりたりければ、侍従 "荻の葉"を送るとて、鳥に付け侍りける。
 涼しさは 端山("葉山")の影も 変らねど
  猶吹き送れ 萩の上風

この歌を感じて、やがて又"荻の葉"を返しやるとて、宮内卿(詠みき、)
 これも又 秋の心ぞ たのまれぬ
  葉山に換わる 萩の上風


「後久我太政大臣通光 秘蔵の鵯おもながを壬生家隆に贈る事」巻二十"魚蟲禽獣"(第三十編)#705
後久我太政大臣家に、"おもなが"と云う鵯のありけるを、家隆卿所望せられけるを、おとゞ暫しつき見給ひければ、詠みて遣わしける。
 いかにせむ 山鳥の尾も 長き夜を
  老の寝覚めに 恋つゝぞ鳴く

即ち便につけて贈られけり。定めて返しありけむかし。尋ねて記すべし。

「承安二年五月東山仙洞にして公卿侍臣以下を左右に分かちて鵯合の事」巻二十"魚蟲禽獣"(第三十編)#690
1172年、"無名丸"、"千與丸"を筆頭に、皆が自慢の愛玩鵯を持ちより、鳴き声を競わせる"鵯合"が行われた。演奏や歌舞が行われる御大層な遊戯である。
僧侶や北面の武士も参加しているところからみて、鵯飼いは社交に不可欠なたしなみだったと見て間違いないだろう。
・・・ということがわかるように、この本は編集されているのが憎い。

「僧圓慶 鵯の毛を(毟)るに、家隆詠歌の事」巻十六"與言利口"(第二十五編)#563
同卿(家隆)のもとに、權寺主(三井寺副寺主)圓慶と云ふ僧侍りけり。毛を遅く換へけると、いら/\しき物(者)にて、其鳥を捕らえて、毛をつるりと毟りてけり。二品(家隆)聞かれて、此興の事に思ひて、歌を詠みて札に書きて、壬生の辻子に立てられけり。
 鵯鳥を 毟りつくみ(尽く身 鶫)の 裸腹
  しり
(知り 尻)すゞ(鈴)にして 鳴り渡るなり
僧侶にしては随分と短気だが、換羽が遅くて、"鵯合"に間に合いそうにないということで焦りまくったのだろう。お蔭で、その無茶苦茶な行為が知れ渡ってしまい大評判になったというコト。

(出典:ママ引用ではなく勝手に改訂していますのでご注意の程)「古今著聞集」日本古典文学大系 84 [永積安明 島田勇雄 校注] 岩波書店 1966年
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