[→本シリーズ−INDEX] ■■■ 日本の基底文化を考える [2018.9.8] ■■■ 鳥崇拝時代のノスタルジー[59] −"飛鳥"の由来− "飛鳥なのになぜ明日香村?" …寄せられる質問の中なかでもトップクラスです、とのこと。 →「明日香と飛鳥あすかの由来」(C)明日香村 語源説は色々あるのはよく知られているが、小生は、「古事記」の地名命名譚を選択したい。 王が、明日、倭に上ったということから、"明日(アス)神宮を拝む場所(カ)"の意味と解釈する訳だ。信じ難い強引な説だが、絶妙感覚と言えなくもない。 要するに、晴れ晴れとした気分で明日入ろうという気分の表現であり、その心根はわかる気がするからだ。 他のアスカは万葉仮名と同じで、多分、音からする後付け。そこから語源を探れば様々な説が展開可能だが、なんらかの思想に沿っての創作以上ではなかろう。(安宿、阿須賀、阿須可、安須可) 特に、重視すべきなのは、遠きアスカと近きアスカがあるとの指摘。 都として、特別な思いがあると言っているようなものだからだ。 その辺りを考えれば、"飛鳥"という表記が生まれた理由も想像がつこう。 言うまでもないが、飛鳥とは飛ぶ鳥であって、常識的にこの文字をアスカと呼ぶのには無理がありすぎる。飛ぶ鳥の明日處と言われていたが、後略するようになったと解釈する以外に手はなかろう。当然、"飛鳥"は通称用語でしかなく、正式にはあくまでも"明日處"。従って、"飛鳥"という言葉自体には特段の意味は無く、矢鱈に鳥が集まる場所だったとの表現以上ではなかろう。 しかし、アスカの地名が2つあるとなれば、話は別である。両方とも"明日處"と名付ける必然性が無いからだ。 そうなると、この2箇所は、それぞれ、特別な鳥が舞い降りた場所とその鳥が飛び立った場所と見なすのが自然だ。 問題は、その鳥とは何かだ。 どう考えてもそれは聖徳太子。 ○高市明日香橘寺…生誕地 ○太子町叡福寺…墓地 そんな気にさせるのは、わざわざ鳥年号を用いた時期があるから。 ○白雉[650-654年] or 白鳳 ○朱鳥[686年] or 朱雀 それに、"飛鳥"という地名が686年以前に使われた証拠は無い。はっきりしているのは、朱鳥改元時の宮号"飛鳥浄御原"が公的に"飛鳥"を使い始めたという点。 「古事記」はその辺りがわかるように記載している。秀逸。 本シリーズ−INDEX> 超日本語大研究−INDEX> 表紙> (C) 2018 RandDManagement.com |