[→本シリーズ−INDEX] ■■■ 日本の基底文化を考える [2018.9.30] ■■■ 鳥崇拝時代のノスタルジー[81] −迦毛大御神[日本書紀の金鵄譚]− 葛城の鴨の祖先譚話を書いていて、なんとなくわかった気になってきた。烏と鴨を同族と考える人がいるとは思えないが、それがまかり通るのである。しかも、どうもその地域では鷹信仰もあったようだ。雀信仰も実はこの辺りかも。 ([8代天皇]大倭根子日子国玖琉命の皇子の比古布都押之信命と、宇豆比古(木国造)の妹 山下影日売との間に生まれた、武内宿禰の第二子 許勢小柄は許勢臣・雀部臣・軽部臣の祖との記述。それに鳥名の天皇大雀命の后の出身地も葛城高宮だった。) これだけならどうでもよい話だが、第2代から第9代天皇についての「古事記」の記載事項が、宮や陵の名称だけで、事績が全く語られていない理由がこの辺りから透けて見えそうなので、ココ、結構重要かも。 小生は、この空白状況を政治的な行為の結果と見なすつもりはない。そう判定する根拠が余りに乏しいからである。但し、正式な国史である「日本書紀」はなんとも言えない。天皇家の伝承だけでなく、王朝を支える勢力の伝承も加え、パワーバランス重視の記述をせざるを得ないからだ。 (従って、古代書はこの2つしか無いからといって、両者を融合して検討することは避けざるを得ない。) 例えば、「金色の鳶」が神武天皇の弓弭に止まり長髄彦の軍は眼が眩んで戦うことができなくなったとの有名な金鵄譚があるが、これは、あくまでも「日本書紀」収載話。「古事記」にはそれを示唆する話は微塵も無い。 このことに気付いた瞬間に、"太安万侶、流石!"感が生まれるのである。 (尚、鳥信仰の時代、鳶は闘いで重要な地位を占めており、登場自体は自然なこと。実際にそのような伝承が存在していて当然だと思う。・・・ 黄帝/軒轅與炎帝/榆罔戰於阪泉之野@北京 延慶 帥(黄帝側) 熊・羆・狼・豹・貙・虎 為前驅 雕・鶡・鷹・鳶 為旗幟 此以力使禽獸者也 [「列子」黄帝]) と言うことで、ここらについて書いておきたい。 先ず、9代まで、その宮と御陵地を並べておこう。 ○畝火之白檮原宮@橿原 (1神倭伊波礼毘古命⇒畝火山之北方白檮尾上@橿原) ○神沼河耳命@橿原 (2神沼河耳命⇒橿原之衝田岡@橿原) ○片塩浮穴宮@大和高田 (3師木津日子玉手見命⇒畝火山之美富登@橿原) ○軽之境岡宮@橿原 (4大倭日子鉏友命⇒畝傍山之真名子谷上@橿原) ○葛城掖上宮@御所 (5御真津日子訶恵志泥命⇒掖上博多山上@御所) ○葛城室之秋津嶋宮@御所 (6大倭帯日子国押人命⇒玉手岡上@御所) ○黒田廬戸宮@田原 (7大倭根子日子賦斗邇命⇒片岡馬坂上@王子) ○軽之堺原宮@橿原 (8大倭根子日子国玖琉命⇒剣池之中岡上@橿原) ○春日之伊邪河宮@奈良 (9若倭根子日子大毘毘⇒伊邪河之坂上@奈良) 細かいことを見ようという訳でなく、宮がどのように変遷したかを俯瞰的に見ておきたいだけ。 奈良盆地西側の葛城地域が中心ということが確認できれば十分。そこらの地名を示唆する天皇名もあるし、おそらく、后もここら辺りの出自が多かった筈だ。 ともあれ、すべて宮は盆地内。 だからこそ、日本の都は城塞都市でなかったと考えることもできそう。平安京も平城京も盆地の北部ドン詰まりに位置しており、盆地から流出する川の出口は1ヶ所で、完璧な地峡。ヒトもモノもそこが入口だから天然の防衛線でもある。京都盆地なら長岡京の南だし、奈良盆地なら王寺-橿原の山並の切れ目。 逆に、北側山越えは避難路だ。平安京なら比叡山越えか鯖街道だし、平城京は北の木津川か甲賀や伊勢に至る山越え路。 明日香の場合はは平城京と逆の盆地南端部に位置するから、吉野に出る山越路が逃亡ルートとなる。 簡略すると、宮はこんな風に分類できる。 ∬淀川水系∬ 【琵琶湖】 ○近江大津宮[667-672年] 【京都盆地】 ●平安京[794年〜]…北端 ●長岡京[784-794年]…盆地淀川出口 【山城 相楽】 ●恭仁京[740-744年]@木津川 加茂 ∬大和川水系∬ 【奈良盆地】 ●平城京[710-740, 745-784年]…北端 ●藤原京[694-710年]…中央 <明日香>…南東 ○飛鳥浄御原宮[672-694年] <葛木=葛城>…南西 ○畝傍橿原宮, 等 ∬河内湾∬ 【上町台地U生駒山塊】 ○難破宮[744年] ▲離宮 ○紫香楽宮[745年]@近江 甲賀 こうした地勢状況を考えた上で、日向から出立した、高千穗宮の神倭伊波礼毘古命の進軍状況を見る必要があろう。 【豐】 宇沙 【筑紫】岡田宮…1年 【阿岐】多祁理宮…7年 【吉備】高島宮…8年 速吸門…槁根津彦/大和国造の祖 【浪速】停泊@青雲 白肩津 ⚔@楯津(地上戦敗退) 【紀】 男之水門(紀ノ川河口近辺) 五瀬命 崩御⇒竈山陵 思うに、青雲 白肩津に到達した軍勢は、それまでの地域の総力を結集したものだったろう。にもかかわらず、河内湾から上陸して、あっけなく登美(能那賀須泥)毘古に敗れてしまう。五瀬命を失うという大敗戦だった。いかに大軍だろうが、地峡の高台で用意周到に防衛線をはる軍勢を破るのは簡単ではなかったのだ。しかし、登美毘古側の損害もただならぬものがあったと考えるべきだろう。結果、以後、抗戦続行か和睦追求かで意見が割れることになった可能性は高かろう。 一方、皇軍は、五瀬命の言葉通りに、紀ノ川水系を上り、山側から奈良盆地に入る道を選択し再度闘いを挑むことに決定した訳だ。そのルートは盆地内勢力にとっては避難路であり、そんなところから攻められたら苦境に立つのは自明。極めて合理的な判断と言えよう。ただ、土地勘を欠く軍勢が、簡単にそのような進撃が可能である筈はない。 そこで登場したのが案内役の八咫烏だ。葛城勢力の戦闘終結派=反登美毘古部族が派遣した可能性が高かろう。もともと、九州〜瀬戸海の勢力と交流が深かった部族なら、そのような行為に踏み切ってもおかしくあるまい。 それに、皇軍は敗戦で疲労したとはいえ、英気を養って力を回復すれば、大軍だけに、奈良盆地に入りさえすれば勝負アリなのは自明だし。(「古事記」記載のルートは、この辺りの地勢での進軍を考えると極めて合理的な選定である。) <熊野>大熊出没…「古事記」の熊野は紀伊半島南東の新宮域の地名ではなさそう。 布都御魂(武器補充) by 高倉下 八咫烏(烏トーテム族)登場 <吉野河 河尻>…紀の川の阿陀より上流 有尾族(猿トーテムの山岳部族)登場 贄持之子…【阿陀】鵜飼始祖 氷鹿@井光川…【吉野】首始祖 石押分之子…【吉野】国巣(国栖)始祖 <宇陀 穿>…東北側分流上流 [兄:敵対]宇迦斯 [弟:服従]宇迦斯 <伊那佐山> <忍坂@桜井 大室> 土雲 八十猛 <−> 登美毘古討伐 邇藝速日命参上(葛城勢力従属化)…"献天津瑞以仕奉也。" <−> "言向平和荒神夫琉神等 退撥不伏人等"(不服従勢力一掃) 橿原南東辺りの"磐余"命 <畝傍 白檮原宮>…大和地区平定 この行軍過程で、「古事記」が金鵄譚を収録しなかったのは、闘いの結節点はソコではないと判断したからだろう。葛城地域の最高祭祀者たる邇藝速日命が神器を倭伊波礼毘古命奉じ、従属化を確約すれば、一件落着だからだ。 つまり、葛城地域は、邇藝速日命が共通祭祀をとり行うことで、まとまっていた鳥トーテム部族集団の地。権力集中していた訳でなく、連合政権なので、共通祭祀制度を失うと自動的に解体の道を歩むことになる。四分五裂状態になれば、分家筋はバラバラと各地に散っていくしかない。従って、そんな状況での王朝史を描こうとすれば錯綜甚だしい話しか残らない。そのなかから、代表的な事績を選択するなど至難の技。 「古事記」が記載しなかった理由は、そんなところでは。当然ながら、王朝樹立実現に至る進軍についての記載も淡泊なものになる。 一方、正式の国史である「日本書紀」はこのような姿勢をとる訳にはいくまい。葛城地区から全国に散らばった部族にとっては、生き残っていくために極めて重要な歴史が含まれているからだ。 従って、熊野からの道筋や闘いの状況描写は出来る限り詳しく記述されることになる。なかでもハイライトは邇藝速日命であり、その出自を天孫族と明確に示してもらう必要がある訳だ。倭伊波礼毘古命に葛城の祭祀器を奉じた話だけでは困るのである。と言うのは、二代からの葛城地域での天皇事績伝承が錯綜していて、意味ある話を収載できそうにないからでもある。初代天皇を支え切った天孫族(天羽々矢一隻と歩靫[高天原出自の標章]及び天磐船での降臨)であることを国書に記載することは最優先課題だったのである。 このことは、倭伊波礼毘古命より早くから天孫族が葛城地区を支配していたことになる。当然ながら、系譜上で位置付ける必要がでてくる。 ところが、「古事記」では、葛城地区の中心勢力の祖はあくまでも迦毛大御神。それは大国主の御子 阿遅鉏高日子根神でもある。そこに、倭伊波礼毘古命が全く知らない天孫族が突如関係してくるとの話をママ記載する訳にはいくまい。 尚、「古事記」に記載されている系譜は以下の通り。 天照大御神 ┼│<誓約>五皇子 ┼├正勝吾勝勝速日 ┼│┼天之忍穂耳命┬萬幡豊秋津師比売命(高御産巣日神の娘) ┼│┼┼┼┼┼┼┼※ ┼├正勝吾勝勝速日 ┼│┼天之菩卑能命┬ ┼│┼┼┼┼┼┼┼└─建比良鳥命・・・出雲氏等祖 ┼├天津日子根命・・・諸氏族祖 ┼├活津日子根命 ┼└熊野久須毘命 ┼※ ┼├─天火明命 ┼└─天邇岐志国邇岐志天津日高日子番能 ┼┼┼┼邇邇芸命┬木花之開耶姫(大山祇神の娘) ┼┼┼┼┼┼┼┼├─火遠理命/海幸彦 ┼┼┼┼┼┼┼┼├─火闌降命/火須勢理命 ┼┼┼┼┼┼┼┼└─彦火火出見尊/山幸彦 ┼┬ ┼├─登美(能那賀須泥)毘古 ┼│┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼↓? ┼└─登美夜須毘売┬邇藝速日命 ┼┼┼┼┼┼┼┼┼└─宇摩志麻遅命…物部連 穂積臣 采女臣の祖 本シリーズ−INDEX> 超日本語大研究−INDEX> 表紙> (C) 2018 RandDManagement.com |