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■■■ ジャータカを知る [2019.4.7] ■■■
[28] 瘤牛
🐄インドの牛とはセブZebu/瘤牛。街中を自由にうろつく野良牛も含めすべて家畜である。野生は別種。
 ●ガウルGaur or Indian bison/印度野牛
 ▲ニルガイNilgay or Blue bull/藍牛羚@インド全域
    …馬的な首。森林棲息の大型のアンテロープ。馬鹿と呼ぶべきか。

尚、インドの信仰では、水牛[→]は牛とは峻別された存在。

インドはその面積や地域多様性で欧州とほぼ同レベル。瘤牛と言っても、種類は多岐にのぼる。(ハリアナHariana種, ギルGir種, サビワールSahiwal種, カンクレーKankrej種, コサリKosali種, ・・・。)
おそらく、現代でも欧米型の乳牛種は少ないだろう。気候の違いもあるが、酪農業というより、古代から農業を支えるための飼育動物に近いからだ。

遊牧主体経済が農耕定着化により一変した時点で、牛が突然にして宝と化して以来の伝統だろう。牝牛五宝"パンチャガウヤ"panchagavyaは古代から現代まで通用するのだから。
  ミルク
  ギー(バター)
  ヨーグルト
  糞(固形燃料 灰は修行者用塗紛)
  尿(浄水…人口過多域だと地上水は有菌でこちらは無菌。)
この程度だと、フ〜ンと聞き流してしまうが、その文化の深さは半端なものではない。それがわかるのは。牛に関する語彙の多さ。英語に日本語の"牛"に当たる単語が多いのはよく知られているが、サンスクリットになるとそれば山のよう。ほんの一部だけ以下に示しておこう。 [spokensanskrit.org dictionary]・・・
    vatsA…female calf
    azvatara…male calf
    bAlavatsa…young calf
    khaNDa…calf with horns half grown
    gRSTi…cow which has had only one calf
    samAMsamInA…cow bearing a calf every year
    abhivAtA…cow that nourishes her calf
    avatsA…cow whose calf is dead
    baSkayaNI…cow with a young calf
    pazu…cattle
    kSudrapazu…small cattle
    mahApazu…large cattle
    vRSa…bull
    mahokSa…great bull

  
さて、そのような風土だと、牛が神と化しておかしくない。
インド的宗教では、なかなか諸元を見つけるのが難しいが、古そうな話だと、自然神のウシャスUshas/烏莎斯[曙光女神]の乗り物で登場する辺りか。牛では戦車にはならないし、疾風の如く動くのも無理があるが、頭赤金色牝牛が曳く二輪車が用いられている。朝の世界再生感だからそれで十分なのだろう。

祭祀供犠的端緒としては、火神アグニ祭祀の護摩にギーをくべる行事があたっていそう。天上に乳製品の煙が立ち上ることで無上の捧げモノの意味付けがなされていそう。遊牧時代は馬の供犠だったが、それが牛に代わったものの、馬と違って大規模屠殺は即生産低下に繋がり社会が不安定化するので禁止されたのだろう。犠牲に代わり牛の乳・糞尿で済ますようになるのだ。

その結果、乳製品を尊像に塗るとか掛ける祭祀が一般化したと思われる。シヴァのシンボルであるリンガ(男根)にミルクを掛けるのも、単なる性的な意味付けではなく、神聖は牛の乳に意味がありそうな気がする。

ただ、牛が特別視されるようになった由縁はどう見ても「如意牛」神話。・・・叙事詩「ラーマーヤナ」のカーマデーヌKāmadhenu/瑪コ亨努[有翼白牝牛神](=スラビーSurabhī/蘇羅毗)。ここで、乳海神話に登場する14貴宝の1ツになる訳だ。

カーマデーヌの夫は聖仙カシュヤパで息子がナンディNandī[乳白色の牡牛="四足動物守護神"&"舞踏音楽奏者"]
そのナンディは、ベーダ教の出自でないシヴァShiva/湿婆(=大自在天Maheśvara/大K天 or 伊舎那天@十二天)の侍者である。
シヴァ妃パールヴァティーこと"Maheshvari"[三目女神の偉大な女神]も牡牛上に座す。

一方、ヴィシュヌ化身のクリシュナKrishnaとは牛飼い青年である。実は、これがヴィシュヌの出自では。・・・乳絞り乙女ラーダーRadha間の恋愛を描いた官能的な叙情詩と言われる「牛飼いの歌(ギータ・ゴーヴィンダGita Govinda)」@12世紀が一世風靡。

もちろん、仏教でも、牛の神聖さを示唆する話は少なくない。
釈尊は、現在のインド・ネパール国境地帯に住んでいた釈迦族の王子だが、その姓の"ゴータマGautama"はパーリー語で最も優れた牛という意味らしい。牛の精霊信仰の部族だろう。(その辺りのお話から、生誕地の祇園精舎の守護神が牛頭天王となっているのかも知れぬ。天然痘防疫対策に牛痘という風合いの信仰に映る。)
そして、悟りを開いた切欠に映るのが、スジャータから頂戴するのが乳粥。苦行を捨て、気力を回復する素になった訳で。

ジャータカにも数々の牛譚があるが、講和によく使われているのが姆尼迦豚譚[#30]。気付かないとわかりにくいが、牛に対する尊崇の念を与える話である。
金満家の村長宅に兄の黒牛と弟の赤牛に3匹の豚がいた。赤は年がら年中文句をつける体質。黒は、不平不満だらけじゃ楽しくなかろうと注意したが納得せず。懸命に働いて草と藁だ。豚など遊んでいて御馳走三昧なのに、と。黒は笑いとばす。そして、結婚式の日に、豚がどうなったかわかるのだ。
もっとも、この話だけとれば、下積み生活に不平を言わずにただただ黙々と働いた方がよいゾと勧めているとも言える。宗教ができることはその程度か、と考えさせてしまう説話でもある。

觀喜滿譚[#28]はインドに於ける牛とヒトの関係を如実に示している。息子のように育ててもらっている牛が、貧乏生活をみかね、重い車を牽引できるから、賭けをするように言う。ところが、いざ曳こうとする時に「根性無し!」と言って棒を振り上げてしまい、牛はビックリして動けず負けてしまう。
マ、立派な人に見えても、表面を取り繕っているだけで、所詮はその程度。
帰宅し、牛は、どうしてそうなったか説明し、さらに賭け金を倍にしてもっと大きな勝負をと。
もちろん、今度は「頑張れ、賢い牛君!」との掛け声で勝利。

両者ともに、牛に対する人々の情感があってこそ生きて来る説話だ。

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