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■■■ ジャータカを知る [2019.6.7] ■■■
[89] 傍生
😿傍生とは聞き慣れない語彙だが、梵語のtiryañc-yoniの意訳で、"横の-生れ"という傍行生類との語義らしい。
畜生と同義とされているが、こちらは畜養生物のことではなく、梵語前半だけ音訳した単語だそうだ。[@「世界大百科事典」平凡社]但し、「韓非子」等の漢籍では家畜の意味で使われているという。
直立歩行がヒトのメルクマールということだろうか。

すでに記載したが、空海:「秘密曼荼羅十住心論」では畜生でなく、傍生になっている。
そこでは、空海の傍生観が見てとれる。・・・
《異生(=異なる生を受けた者:梵夫)羝羊(=牡羊)住心第一》 [→写像@NIJL]
…羊とされてはいるものの、山羊を指していると思う。
《定義》
  異生羝羊心者 異生羝羊心とは
  此則 此れ則ち
  凡夫不知善悪之迷心 凡夫の善悪を知らざる迷心
  愚者不信因果之妄執 愚者の因果を信せざる妄執。
  我々所執常懐胸臆
  虚妄分別鎮心意
  遂陽而渇愛
  拂華燭而焼身
  既同羝羊之思草婬
  還似孩童之愛水月
  不曾觀我自性
  何能知法實諦
  違教違理
  從此而生
  從冥入冥
  相續不断
  比循廻於車輪
  均無端於環玉
  昏夜長遠金何響
  雲霧靉靆日月誰搴
  來途無始歸舎幾日
  不覺火宅之八苦
  寧信罪報之三途
《動物観》
  遂乃 遂に乃ち
  嗜滋味乎水陸 滋味を水陸において嗜み
  耽ウルワシ色乎乾坤 華色を乾坤において耽る
  放鷹催犬 鷹を放ち犬を催し
  腹之禽命 腹の禽命を断ち
  走馬彎弓 馬を走らせ弓を彎き
  殺快舌之獸身 快舌の獸身を殺す
  涸澤竭鱗族 澤を涸らし鱗族を竭し
  傾填斃羽毛 填を傾け羽毛を斃す
  合圍以為樂 合い圍むを以て樂しみ
  多獲以為功 多く獲たりを以て功と
  不顧解網之仁 解網の仁を顧みず
  豈行泣辜之悲 豈 泣辜の悲しびを行はむ
  無度晝夜樂只
  或抄掠他財物奸犯人妻妾
  四種口過三種心非
  誹謀人法播植闡提
  無時不作無日不行
  不忠不孝無義無慈
  五常不能羅網
  三乗不得牢籠
  祖習邪師依憑邪教
  不曾求出要一向營眼前
  如是衆生名曰愚童羝羊

ほぼ同時代の唐の仏教徒の著作「酉陽雑俎」には飼鷹の蘊蓄だけの巻[→]がある。宦官の遊びの最たるものだったから、お付き合い上不可欠だったことがわかる。日本でも、天皇を含めて上流階級の遊びとして大流行していたに違いないのである。空海はこうした風潮に対してお小言を発している。仏僧としては当たり前の姿勢ではあるものの、鷹狩好きのパトロンに対してなかなかできることではない。なにせ、鷹狩に血道をあげるのは、動物達と同一レベルの行為か、それ以下の行為と言い放っているのだから。

ヒトは単に直立歩行ができるというだけで、傍生より立派な生物ではないのですゾ。心して精進しなければ、死後の世界は傍生行間違い無し。・・・と力説しているのである。
もっとも、殺戮は致しませんが禁酒遵守などマッピラ御免。次の世は傍生でも結構という話もあるかも。
 大宰帥大伴卿讃酒歌十三首
 この世にし 楽しくあらば 来む世には 虫に鳥にも 我はなりなむ
   [「万葉集」巻三#347 大伴旅人]

ただ、この論説はそこに眼目がある訳でなく、悟りに達するための第一段階を解説することにある。

ジャータカの凄いところは、ヒトと動物達の間に精神的境界線が引かれていない点。しかも、両者ともに、仏法僧を敬い徳を積む行為をする個体もいれば、それとは無縁な個体も数多く存在することを指摘している点にも注目すべきであろう。動物にも仏性(大乗の概念)ありは大前提と言ってよいだろう。
もっとも、その仏性の定義は曖昧そのものだが。

ただ、動物にも仏性があったからと言って、ナンナンダという点を忘れてそれを云々しても意味は薄い。[→]
 趙州和尚因僧問。狗子還有佛性。也無。州云無。 [「無門関」第一則]
アンタ、"悉有仏性 如来常住 無有変易"@大乗経典「大般涅槃経」師子吼菩薩品の解釈に時間を費やしているのかネ。
悟りを開こうと修行中の身だと言うのに、そんなことに関心を払って何の意味があるのかィ。"犬に仏性無し"で結構だゼ、との和尚のキツーイ一発である。

釈尊は、畜生の生き様をよく観察していたようで、学び行為や慈悲の姿勢が存在することを知っていたようである。
ただ、肉食動物は生きるために殺戮は不可欠だし、同族と言えども餌の取り合いになるのが普通。そんな状況だと、すべての動物が恐怖の日々を過ごす以外になかろうと見ていたようだ。善行を積もうと考える個体もあろうが、それを続けるのは不可能に近いと考えていたということ。
「癡慧地経」(瞿曇[訳]:「中阿含經」卷第五十三(一九九)大品癡慧地經第八)には、"畜生界"からの転生可能性が語られている。その世界は、恐れや怯えで生きていくことになるから、善行を積むなど無理筋という趣旨。(慧覚[訳]:「賢愚經」は南伝パーリ語仏典で別。)

世尊告諸比丘:「我今為汝説愚癡法、智慧法,諦聽,諦聽,善思念之。」
  :
「何畜生苦?」
  :
 愚癡人者,
 以本時貪著食味
 行身惡行 行口 意惡行 彼行身惡行 行口 意惡行已
 因此縁此 身壞命終
  :
○地生蟲(蚯蚓)
  …闇冥中生,闇冥中長,闇冥中死
○瘡蟲(蛆)
  …身中生,身中長,身中死
○魚 摩竭魚 龜 (鰐) 婆留尼(海蛇)
     提鼻(大魚) 提鼻伽羅(呑舟之大魚) 提提鼻伽羅
  …水中生,水中長,水中死
○象 馬 駱駝 牛 驢 鹿 水牛 猪
  …齒齧生草樹木食
 猪 狗 犲(=豺狗) 烏 拘樓羅 拘稜迦
  …食屎不淨

生活環境と食性での"不浄"感が漂うような分類である。ヒトも同様に糞類できると示唆しているようなもの。ジャータカの世界とは大きく異なっている印象は否めまい。

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