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■■■ 「酉陽雑俎」の面白さ 2018.1.9 ■■■

酉陽雑俎的に「無門関」48則を読む

「無門關」@1228年は、無門慧開[1183-1260年]が代表的禅僧の語録を48則に編纂し、評唱(全体的評釈)と頌を付けた公案集。決して、「酉陽雑俎」執筆時代の内容が多い訳ではないが、公案は、成式の時代のインテリ層の息吹を残している筈だから、どうしても触れておかざるを得ない。

公案集と言えば、古則を収録している唐末の「趙州録」、圜悟克勤:「碧巌録」@1125年、曹洞宗系の万松行秀編:「従容録」@1223年も定番ではあるが、「無門関」を選んだのは、圧倒的に人気を博している書なので、どのように受け取られているかわかり易いから。他意はない。マ、禅を一応知っておかねばとなると、臨済宗の事実上の経典と言われているし、道元の「正法眼蔵」は長い上にえらく読みにくい文章だから、ココに落ち着くしかなりということなのだと思われる。ただ、説話の態をなさない上、訳のわからぬ話だらけの書に、一般の人々が手を出すのだから、恐れ入る。
もちろん、そんなことがおきたのは江戸期に入ってからの日本でのこと。識字率が高く、檀家制度が組み込まれた安定した社会ならではの現象と言えよう。

本来的には、解釈無用ということで創られた書籍の筈だし、「師」の認定なき僧や俗家による注釈本出版は"禁"ではないかと思うが、書店の棚をみると解説本が溢れかえっているのが実に面白い。(末尾に訳書等の、ほんの一部のリストを付けた。・・・どの一冊も読んだ覚えがないが、「無門関」を多少は知っているところを見ると、誰かの"公案物語"に目を通したことがあるのは間違いない。このリストに、非禅宗信者の著作が入っていることでもわかるように、書籍は玉石混淆である。おそらく、小生が読んだのは石だと思うが、玉など無いとの見方もあるらしい。と言うのは、一書を除けば誤解を与えるだけだから読むナとアドバイスを受けたことがあるから。オ〜、流石、セクトの世界、と感銘を受けた覚えがある。お蔭で、その本を読まなかった訳だが。マ、フォントと体裁が自分の趣味に合う本を選ぶのが最善ではないか。但し、岩波文庫版だけはお勧めしない。その理由はお読み頂ければわかるかも。)

と言うことで、"酉陽雑俎的に読んで見ると"こんな風になるというお話を書いておこうと思う。(「酉陽雑俎」は奇書と見なされているが、見方によっては在家向仏教書でもある。それは、仏典の引用譚や寺塔記、はたまた金剛經鳩異があるからという訳ではない。なにを意図して、信じてもいない荒唐無稽の鬼神話をしたり、腐敗した僧侶の様子を描くか、考えてみた結果である。公案は部外者にはさっぱり合点がいかぬトンデモ話の集成だが、禅の世界の人々にとっては、祖師達の苦闘を体験するための糧でもある。それなら、俗家のインテリからすれば、「酉陽雑俎」も似たような役割を果たしていると言えまいか。)・・・
【目次】 1-趙州狗子 2-百丈野狐 3-胝豎指 4-胡子無鬚 5-香嚴上樹 6-世尊拈花 7-趙州洗 8-奚仲造車 9-大通智勝 10-清税孤貧 11-州勘庵主 12-巖喚主人 13-コ山托 14-南泉斬 15-洞山三頓 16-鐘聲七條 17-國師三喚 18-洞山三斤 19-平常是道 20-大力量人 21-雲門屎 22-迦葉竿 23-不思善惡 24-離卻語言 25-三座説法 26-二僧卷簾 27-不是心佛 28-久響龍潭 29-非風非幡 30-即心即佛  31-趙州勘婆 32-外道問佛 33-非心非佛 34-智不是道 35-倩女離魂 36-路逢達道 37-庭前柏樹 38-牛過窗櫺 39-雲門話墮 40-倒淨瓶 41-達磨安心 42-女子出定 43-首山竹篦 44-芭蕉 45-他是阿誰 46-竿頭進歩 47-兜率三關 48-乾峰一路
【参考】禅宗僧侶[「無門關」に登場する禅師]の系譜
1__________[→目次]
【一 趙州狗子】 趙州和尚因僧問。狗子還有佛性。也無。州云無。
僧:「ワン公にはたして仏性がありますかネ?」
趙州従
禅師のお答…「無」。
サロンでは、これぞ公案の最高峰との評価が定まっている。見方を変えれば、禅宗の、素晴らしくキャッチーなコピーということになろう。
実際、この公案にハマル人が多いそうな。
そんなお方がお側にいたら、「ハワイに行かず、"ム〜ム〜ぜん"でリラックス三昧かネ?」と声を掛けてみるのも一興。ここで揶揄されたと血相を変えた気配を感じたら、すかさず、「修行が足りぬゾ!インドの山奥にでも往ったら?」と"ドドンがドン"と喝を一発。これで、普段の人に戻ること請け合い。駄目なら諦めヨ。
無門禅師の解説によれば、「無」の公案こそが、宗門の関所だそうである。ここで、趙州禅師と相見まえることができれば、その後は次々と先人の素晴らしい師匠との交流が待っており、慶賀にして、快感を味わうことができるそうだ。
常識人だと、「一切衆生 悉有仏性」[涅槃経]との御言葉に従うから、僧侶同士で何を馬鹿げた会話をしているのダ、と言いたくなるが、そんなことを口にすると間抜けな俗人と見なされるし、世間的にも角が立つから止めておいた方がよい。
2__________
[→目次]
【二 百丈野狐】 百丈和尚。凡參次有一老人。常隨衆聽法。衆人退老人亦退。忽一日不退。師遂問。面前立者復是何人。老人云。諾某甲非人也。於過去迦葉佛時。曾住此山。因學人問。大修行底人還落因果。也無。某甲對云。不落因果。五百生墮野狐身。今請和尚。代一轉語貴。脱野狐遂問。大修行底人還落因果。也無。師云。不昧因果。老人於言下大悟。作禮云。某甲已脱野狐身。住在山後。敢告和尚。乞依亡僧事例。師令無維那白槌告衆。食後送亡僧。大衆言議。一衆皆安涅槃堂。又無人病。何故如是。食後只見師領衆。至山後巖下。以杖挑出一死野狐。乃依火葬。師至晩上堂。舉前因縁。黄蘗便問。古人錯祇對一轉語。墮五百生野狐身。轉轉不錯。合作箇甚麼。師云。近前來與伊道。黄蘗遂近前。與師一掌。師拍手笑云。將謂。胡鬚赤更有赤鬚胡。
百丈懐海禅師、突然、「食事を済ませたら葬式!」と。
裏山で死んだ野狐のコトだった。
手厚い儀式の後、その前世由縁話が語られた。
お側に呼ばれた黄檗希運
禅師、師の横面をひっぱたく。
(これは、「ひと芝居」
[→]で取り上げた。)
黄檗禅師、「馬鹿野郎!下らぬ茶番劇に時間を費やしやがって。」と、師の百丈に、ガツンと一撃。
これで、テスト合格。
"初祖"達磨⇒・・・・⇒"六祖"慧能⇒・・⇒百丈⇒黄檗という引き継ぎが決まったのである。
長々と語られる野狐前世談だが、もともとは僧侶。修行すれば解脱できるから、「不落因果」と教えたので、畜生道に転生させられた。
百丈禅師は、やってきた亡僧に、「不昧因果」と教え悟らせ、輪廻から脱出させたとの逸話。
無門禅師の解説によれば、解脱の境地に達したと悦に入る僧侶は心せよということで、ココに真髄があるらしい。
どう見たところで、百丈禅師の風流もナンナンダであり、将に、"不落不昧 千錯万錯"だノウ、と結んでいる。
3__________[→目次]
【三 胝豎指】 胝和尚。凡有詰問。唯舉一指。後有童子。因外人問。和尚説何法要。童子亦豎指頭。胝聞。遂以刃斷其指。童子負痛號哭而去。胝復召之。童子迴首。胝卻豎起指。童子忽然領悟。胝將順世。謂衆曰。吾得天龍一指頭禪。一生受用不盡。言訖示滅。
禅師、何を尋ねられても、答えは一本指を示すだけ。
寺の小僧、その真似がお得意。
それを知られ、指詰に。
痛くて泣いて逃げ出したら、呼ばれたので振り返った。
小僧、師の指を視た瞬間、悟った。
この指立ては、師の天龍から教えを受けた禅だが、
胝は死に当たって、使用しきれなかった、と。

ヤクザは小指を詰めるが、禅寺では小指など生ぬるいということになる。ヤクザ同様、身内に対する掟は格別厳しいものがあるようだ。
老師は鈍そのものだゼ、アリャなんだと思っていても、それに耐えることに意義ありとされる組織のようで、ヤクザ組織同様、結局のところ、それが故に尊い教えを授かったりするものらしい。
身内だからできること。
但し、「天龍一指頭禪」はその後引き継がれなくなったようである。ちなみに、指ではなく、釈尊に倣って切花を見せるというパフォーマンスはずっと前から行われていないようだ。理由は定かではないが。
4__________
[→目次]
【四 胡子無鬚】 或庵曰。西天胡子。因甚無鬚。
或庵師体禅師のご詰問。・・・
「西域の胡人は鬚無しとは如何に。」

コーカソイドの人種的特徴は、肌色黒で深目高鼻、それに、なんといっても多鬚。
鬚があるからこそ、アイツは胡人とわかるというのに、ナゾかけかいな。
駄洒落での回答は拙いのだろうから、無門禅師の頌に任せる以外に手はあるまい。・・・
癡人面前,不可説夢。
戯け者の面前で、夢など説くべからず。
胡子無鬚,惺惺添
胡人に鬚が無いと言ったりして、
 明白なことをゴチャゴチャさせるな。

5__________
[→目次]
【五 香嚴上樹】 香嚴和尚云。如人上樹。口啣樹枝。手不攀枝。不踏樹。樹下有人。問西來意。不對即違他所問。若對又喪身失命。正恁麼時。作麼生對。
香厳智閑禅師のご下問。・・・
樹木の枝を口で咥えてぶる下がっていたら、質問を浴びた。
「西からやって来たご本意は何でありましょうヤ?」と。
無即答なら対応せずだし、対応すれば落ちて失命。
はてさて、どうしたものネ。

馬鹿げたケースを作るものヨ。作者は、飛びぬけた秀才僧侶であるのは間違いなかろう。
そもそも、口だけで木からぶる下がって、一体、何をしたいのか。
そんな素っ頓狂に、質問して、まともな回答が期待できるかネ。
あるいは、口を開けさせて、木から落としたいだけかも知れぬが。
マ、禅宗の修行とは、皆で、こんなことをしているのだゼ、とあからさまにしてくれたのである。
無門禅師の頌の言う通り。
香嚴真杜撰,惡毒無盡限。
香嚴は真に杜撰な輩だ。毒の塊。際限なき悪行。
卻衲僧口,通身迸鬼眼。
僧侶に口を閉ざさせ、全身これ、鬼神の眼。
6__________
[→目次]
【六 世尊拈花】 世尊昔在靈山會上。拈花示衆。是時衆皆默然。惟迦葉尊者破顏微笑。世尊云。吾有正法眼藏涅槃妙心實相無相微妙法門。不立文字教外別傳。付囑摩訶迦葉。
釈尊は靈山での説法集会で、花を手にとって聴衆に示された。
その時、皆、ただ黙すのみ。
唯一、摩訶迦葉
尊者が微笑を浮かべた。
そこで、釈尊は言った。
「私には、
 "正法眼藏"、"涅槃妙心"、"實相無相"と言う
  微妙法門がある。
 不立文字、教外別淀ということで、
  摩訶迦葉に付託する。」

無門禅師の解説の切れ味抜群。
釈尊は金色に輝かず、黄色の土のように沈み込む。コレ解説不要。
黄面瞿曇傍若無人。壓良為賤。懸羊頭賣狗肉。將謂多少奇特。只如當時大衆都笑。正法眼藏作麼生傳。設使迦葉不笑。正法眼藏又作麼生傳。若道正法眼藏有傳授。黄面老子誑閭閻。若道無傳授。為甚麼獨許迦葉。
黄色の顔をした釈尊は傍若無人の振舞い。
善良なる人々を力で圧して賤民にした。
羊頭狗肉の言い草。多少は奇特なことを言うかと思えば。
考えても見よ。あの時に大衆が笑ったとしたら。
"正法眼藏"を皆に生で伝授したというのかネ。
もし、"正法眼藏"が伝授できたというなら、
 黄色の顔をしたご老人が言葉巧みにだましたことになろう。
そうでなく、"正法眼藏"は伝授できないというなら、
 どうして、摩訶迦葉のみに法嗣を許したのか、となる。

指でなく、花でよかった。
7__________
[→目次]
【七 趙州洗 趙州因僧問。某甲乍入叢林。乞師指示。州云。喫粥了也未。僧云。喫粥了也。州云。洗盂去。其僧有省。
趙州従禅師が僧から質問を受けた。・・・
僧:「道場に入ったばかりなので、師匠、どうかご教示のほど。」
趙州:「粥の食事は済ませたか?」
僧:「済ませました。」
趙州:「使った盂を洗っておけ。」
僧、自省。

茶番劇や暴力行為無しに悟りに導こうとの強い意志を感じさせるから、趙州のセンス流石と評価することもできるが、凡庸なさもありなん型の話と言えなくもない。
無門禅師の頌は一理ある。
只為分明極,翻令所得遲。
明々白々過ぎ。
そうなると、かえって遅くしてしまうとも言える。

早知燈是火,飯熟已多時。
照らす燈火が火であると早く分かっていれば、
もっと前にご飯は炊き上がっていたのである。

8__________
[→目次]
【八 奚仲造車】 月庵和尚。問僧。奚仲造車一百輻。拈卻兩頭。去卻軸。明甚麼邊事。
月庵善果禅師の僧への質問。…
名人奚仲は100輌もの車を造った。
 ところが、両輪と車軸を取去ってしまう。
 ここから、何が明らかになるかネ?」と。

ソリャ、車輪も車軸も無い車両ってなんダとなろう。分解して一体全体何の意味があるかなど、どうにでも言えること。ともあれ、車の概念は、はっきり決まっているようで、決まっていないから、答えヨと言われても往生する。
無門禅師もこんなの答えられるものかネ、と。
若也直下明得。眼似流星。機如掣電。
直下に明らかな回答を出せるとしたら、その眼は流れ星のようなもの。雷電に打たれたような作用機序発揮と言えよう。
9__________
[→目次]
【九 大通智勝】 興陽讓和尚。因僧問。大通智勝佛。十劫坐道場。佛法不現前。不得成佛道時如何。讓曰。其問甚諦當。僧云。既是坐道場。為甚麼不得成佛道。讓曰。為伊不成佛。
郢州興陽山清譲禅師が質問を受けた。・・・
Q:「とんでもなく長い時間道場で座禅修行に没頭したのに、
   大通智勝佛には、佛法の世界が来ず仕舞。
   どうして、佛道成就できないのでしょう?」
A:「It's a good question.」
Q:「道場で座禅修行しているのです。
   佛道成就できないとは、甚だ不可思議。」
A:「それはナ、そのお方が成佛しなかったからだヨ。」
"古今東西、これほど知恵のある仏はいませんゾ"というような名前の仏様が、いくら座禅修行をしても、成仏できないのである。一縷の修行僧が成仏している一方で。
そもそも、仏様が成仏する要無しであり、衆生のように、仏性を自ら見つけ出す必要は無いのに、何を考えているのか。
10__________
[→目次]
【十 清税孤貧】 曹山和尚。因僧問云。清税孤貧。乞師賑濟。山云税闍梨。税應諾。山曰。青原白家酒。三盞喫了猶道。未沾唇。
曹山本寂禅師に、僧侶の清税が面談。
清税:「拙僧、孤独にして、貧困そのもの。
   師に乞いたいものヨ、ノウ。
   錢、衣服、糧食等の救濟を。」
曹山:「税 阿闍梨殿。」
清税:「うん。」
曹山:「名産の白家醸造酒を3杯飲んで猶求道かネ。
   唇が未だに潤おっていないとでも言うのかィ。」

僧侶は所詮は大泥棒と言った江戸期の禅師がいたが、今や、そんなことはどうでもよい話。
日本の高僧がパレスより豪勢な生活をしているとは露知らず、ビックリしたと語ったのは、来日したフランスの高官。そもそも、日本の一般のお寺は家業化しており、住職は在家信者となんら変わらぬ家庭生活者にすぎない。従って、出家に特段の意義を与える状況にはない。
そんな状況で、清貧を誇る、自称"孤高"の僧侶のお話を取り上げても無意味であろう。
ただ、無門禅師の頌は愉快。
貧似范丹,氣如項羽。
貧しさでは漢の官僚 范丹[112-185年]にも似て、
気力では項羽の如し。

活計雖無,敢與鬥富。
生計も成り立たぬというのに、
敢えて、富の競争とくる。

11__________
[→目次]
【十一 州勘庵主】 趙州到一庵主處問。有麼有麼主豎起拳頭。州云。水淺。不是泊處。便行。又到一庵主處云。有麼有麼主亦豎起拳頭。州云。能縱能奪能殺能活。便作禮。
趙州従禅師が出かけた時のこと。
庵に立ち寄り、庵主たる住職に声をかけた。

趙州:「見せるもの何か有るかい?」
庵主:「−。」そして、拳骨を立てた。
趙州:「水が浅い。ここではとても停泊できぬワイ。」
さらに先へと進むことに。
又、庵に立ち寄り、庵主たる住職に声をかけた。

趙州:「見せるもの何か有るかい?」
庵主:「−。」そして、こちらも、拳骨を立てた。
趙州:「勝手にし放題だろうが、簒奪だろうが、
  あるいは殺すも活かすも自由自在だ。」
ということで、拝礼したのである。

趙州が、自分勝手に、庵主の合格、不合格を決めているように映るが、実は、試験を受けているのは趙州であろう。
庵主はすでに自分の世界を持っており、趙州に何を言われようが、フ〜ンだろう。自由自在でないのは趙州の方。
12__________
[→目次]
【十二 巖喚主人】  瑞巖彦和尚。毎日自喚主人公。復自應諾。乃云。惺惺著。他時異日。莫受人瞞。
瑞巌師彦禅師の毎日のことだが、
ご自分にご自分で「主人公」と呼びかけ、
それに対応し、「ハイ。」と応えていた。
と言うことで、こうも言っていた。
「ぼんやりするな!」・・・「ハイ。」
「これから先、だまされるでないぞ!」・・・「ハイ、ハイ。」

二重人格者になりきって、遊んでいたのであろうか。
無門禅師は猛烈なことを言っている。・・・
若也傚他。總是野狐見解。
もしも、そんなものを手本として真似でもすれば、それこそ、野狐流の"正しい考え"ということになってしまう。
こんな仕草をしたところで、仏法とはなんの係りもないという訳だ。
13__________
[→目次]
【十三 コ山托 コ山一日托下堂。見雪峰問者。老漢鐘未鳴鼓未響。托向甚處去。山便回方丈。峰舉似巖頭。頭云。大小コ山未會末後句。山聞。令侍者喚巖頭來。問曰。汝不肯老僧那。巖頭密其意。山乃休去。明日陞座。果與尋常不同。巖頭至僧堂前。拊掌大笑云。且喜得老漢會末後句。他後天下人不奈伊何。
徳山宣鑑禅師が食堂にやってきたので声がかかる。
雪峰:「合図の鐘や鼓の音も響いていないというのに、
  老僧よ、
  食器の托を持って何処へ行かれるか?」
徳山は辺りを通って、自分の方丈へと去ってしまった。
雪峰義存
禅師は、この次第を、巌頭全禅師に伝えた。
巌頭:「大禅師で細かなこともわかるコ山師だが、
  "最後の一句"に出会っていないと見える。」
徳山はこれを耳にして、侍者に、巌頭を呼び寄せ問い詰めた。
徳山:「汝は、この老僧に対して、不肯の姿勢で臨むのか?」
すぐに、巌頭は徳山の側によって、密談。
その意をお伝えしたのである。
すると、徳山、静かになり、去っていった。
その翌日のこと。
いつものように、徳山が法座に上り説法。
その様、尋常ならざるものがあった。
僧堂前には、拍手し大笑いの巌頭がいた。
巌頭:「実に慶賀なるかな、
  老師も、ついに"最後の一句"を頭に入れたようですナ。
  こうなると、後は、天下の人々も、いかんともし難くなろう。」

おそらく、食事係の典座が、なにか粗相でもして食事が遅れているのに気付いて、ノコノコと食堂にお出ましになったのであろう。矢鱈に細かいことに気をかけ、なんにでも厳しい禅師であることが想像できるシーンである。
にもかかわらず、まだお呼びしていないのに、食堂に来るなどもっての他ですゾと、ご注意を受けたのであるから愉快きわまる。
これでは、叱咤どころか、グウの音も出まい。
挙句に、"後句"も知らぬのか、と言われたのでは立つ瀬なし。
師は修道場では絶対的だが、これではかたなし。
14__________
[→目次]
【十四 南泉斬 南泉和尚。因東西兩堂爭貓;兒。泉乃提起云。大衆道得即救。道不得即斬卻也。衆無對。泉遂斬之。晩趙州外歸。泉舉似州。州乃脱履。安頭上而出。泉云。子若在即救得貓;兒。
南泉普願禅師のこと。
東堂 v.s. 西堂の僧勢が猫の子で争っているところに出くわす。
そこで、猫をつかみあげて言った。
南泉:「皆で道を示すことができたら、その猫は救ってやろう。
  それができなかったら、即時、猫を斬殺するゾ。」
皆、対応しなかったので、猫斬殺。
その晩のこと。
趙州従が外から帰ってきたので、南泉はその話をした。
すると、やおら、趙州は履物を脱いだ。
そして、それを頭の上に安置して、出て行った。
南泉:「もしも趙州がいたなら、
  あの子猫を救うことができたのに。」

生き物の命を奪うことに特段の罪悪感を持っていないと宣言したようなお話。日本でも、僧兵ありきの時代が長かったように、必要と思えば、猫の子を殺したからどうのこうの言われる筋合いではない。宗派争いで殺されることもありうる訳だし。
無門禅師の頌はここでも痛快。
趙州若在,倒行此令。奪卻刀子,南泉乞命。
もしも趙州がいたら、斬殺されたのは猫の子ではなく南泉。その前に、南泉は刃物を奪い取られて、命乞い。
ワッハッハ。
15__________
[→目次]
【十五 洞山三頓】 雲門因洞山參次。門問曰。近離甚處。山云査渡。門曰夏在甚處。山云湖南報慈。門曰幾時離彼。山云八月二十五。門曰放汝三頓棒。山至明日卻上問訊。昨日蒙和尚放三頓棒。不知過在甚麼處。門曰飯袋子。江西湖南便恁麼去山。於此大悟。
洞山守初禅師が雲門文偃禅師にご挨拶。
雲門:「どこから来たのか?」
洞山:「査渡でございます。」
雲門:「夏籠もりは、どこで過ごしたのか?」
洞山:「湖南の報慈寺でございます。」
雲門:「何時、そこを出発したのか?」
洞山:「八月二十五日のことでございます。」
雲門:「汝を三頓棒でひっぱたくところだが、今回は放免。」
洞山そこで退席したが、翌日、意味を問うべく参上。
洞山:「昨日、和尚様には三頓棒を放免して頂きました。
  しかしながら、
  どんな所に過ちがあったのかわかりませんでした。」
雲門:「お前さんは、単なる飯袋に過ぎぬ。
  江西から湖南までの素晴らしい修道場から
  どのような気分で去って来たのかネ。」
洞山、そこで悟った。

至極順当で珍しくわかり易い。
洞山和尚が、真面目一途に描かれているのが肝だが、言い換えれば、間抜けでもある。常套句たる"近離甚處来"を知らないのだから。日本的には好かれるタイプ。(教団を率いる役割は考えもの。)
求道一途なのだろうが、実際はロマンの世界に迷い込んでいたのかも。なにせ、出身は西崇信であり、そこからはるばる広東乳源の雲門山光泰院まで歩いてきたのだから。当然ながら、托鉢による乞食生活だったろう。
16__________
[→目次]
【十六 鐘聲七條】 雲門曰。世界恁麼廣闊。因甚向鐘聲裏披七條。
雲門文偃禅師の一言。
「世界はこんなにも大きく広々としているというのに、
 食事時の鐘の音が聞こえると、
 七条の袈裟を着用して出向かねばならぬ。
 どういう因縁なのかネ。」

全くその通り。
一宿一飯の恩義という訳でもなかろうが、集団での食事とは兵営あるいは首領様の宴会のようなもの。そのような統制型集団食事が当たり前になっていくと、組織は活き活きしてくるもの。
しかし、自由人にとってはつらい習慣である。と言うか、自由人と組織人は対立概念だから、その辺りの問題を持ち出されても、解決しようがない。組織としては、一番避けたい議論である。
17__________
[→目次]
【十七 國師三喚】 國師三喚侍者。侍者三應。國師云。將謂吾辜負汝。元來卻是汝辜負吾。
国師の南陽慧忠禅師、3度に渡り侍者を呼んだ。
侍者も3度それに応えた。
慧忠:「私があんたに背いていると思ったのだが、
 あんたが、私に背いているのか。」

国師の称号を得た僧侶はかなりの数にのぼる。鳩摩羅什や玄奘なら当然視されるだろうが、一般的には、なんらかの基準で選ばれた訳ではなさそうである。もちろん、名を成した僧が含まれてはいるものの。密では金剛智と不空、浄土系では法照、華嚴では澄觀、法藏。禅では、南宗がお嫌いな北宗の神秀も。
ココ「無門関」に登場する国師は慧忠。[「碧巌録」十八則]
その内容は、ほとんど"cliché"。従って、一般読者からすれば、いたってつまらぬ話にみえてしまう。四六時中、こんな"修行"を喜んで続けている、師と侍者たる法嗣候補の神経には恐れ入る。凡人にはとても想像がつかぬヮ。
だが、よく見ると、わざわざ、"国師"と書いてあり、これこそがミソとも思えてくる。
"国師"となり長安を寺だらけにしたものの、北宗禅の"強固"な組織は廃仏の断で、あえなく瓦解。段成式は、その系譜に連なる普寂の弟子、天才的僧侶一行を尊敬していたようだが、いかに素晴らしい人材が生まれようと、どうにもならないのである。
白隠禅師にしても、立派な仏師であっても賊にいともあっさり殺されてしまったことを知った瞬間に仏法を探る修行のはかなさを感じ、仏門から離れようとも思ったと吐露しており、それが現実世界である。
もともと、インド仏教にしてから、宗教組織を支えたパトロンとは王族。上に被さるバラモンからの権力奪取と、富の源泉たる国際交易に、仏教組織が不可欠だっただけと言えなくもなかろう。国際的変動が生まれ、環境が変わってしまえば、パトロンも消失。そうなれば、ひとたまりもなかろう。
段成式は在家仏教徒だが、その辺り、百も承知の助。
18__________
[→目次]
【十八 洞山三斤】 洞山和尚。因僧問。如何是佛。山云。麻三斤。
洞山守初禅師質問を受ける。
僧:「仏とはどういうものですか?」
洞山:「佛が着る麻製衣の一着分の反物。」
公案物語には必ず引かれるから、人々を惹きつける魅力がある話なのだと思われる。麻の農作業中か、はたまた、衣類の洗濯をしているのかはわからぬが、高僧の作務の最中についつい僧侶が声を掛けたシーンを彷彿させられるとの解説が溢れかえっているということでもある。
そうなると、日本人的にはえらく嬉しいお話。多分、大陸的発想だとそうはならないだろうが。
無門禅師の頌なかりせば、そんな情感を覚えて終わってしまうところだ。
突出麻三斤,言親意更親。
"麻三斤"とのお言葉は突出している。
それは親しさに満ちている。
だが、その意を汲み取ると、そこには更なる親しさが。

來説是非者,便是是非人。
来たりて、"是非[道理の有無]"を説く者がいるが、
この話の"親しさ"の情感を味わって喜ぶだけなら、
それは、まさに"是非"の人以上ではない。

なかなかのご指摘。
しかし、どうしても、"親しさ"が嬉しくなってしまうのである。
考えてみれば、この状況で、高僧がこんな質問はしまい。つまり、ついつい質問している僧を、勝手に、凡人たる自分の姿に代えてしまっているということ。
そんな状況の話を「無門関」に収録する訳がなかろうて。
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[→目次]
【十九 平常是道】 南泉因趙州問。如何是道。泉云。平常心是道。州云。還可趣向否。泉云。擬向即乖。州云。不擬爭知是道。泉云。道不屬知。不屬不知。知是妄覺。不知是無記。若真達不擬之道。猶如太虚廓然洞豁。豈可強是非也。州於言下頓悟。
南泉普願禅師と、弟子の趙州従禅師の対話。
趙州:「道とはどんなものですか?」
南泉:「平常心が道である。」
趙州:「それに向かって修行する旨趣と考えてよいでしょうか?」
南泉:「追求すれば、即、離反することになろう。」
趙州:「なんとしても追求する姿勢なかりせば、
  道を知ることも無いのではありませぬか?」

南泉:「道とはナ、知る知らないという話ではないのだ。
  "知る"とは妄想、"知らぬ"とは無記にすぎぬ。
  若しも、真に、追求する必要の無い道に入ったとしたら、
  原初の"虚"の世界、"空洞"同然の状況に到達するもの。
  無理矢理にどうのこうのという訳にはいかないのだ。」
言下に趙州悟る。

イヤー、いかにも、若くてなりたての僧に、老師が静かに諭している様子を彷彿させて、なかなかの雰囲気を醸し出しているといえよう。
と言うか、無門禅師の頌がその情感を一気に盛り上げてくれるのである。
春有百花秋有月,夏有涼風冬有雪。
春は花が咲き乱れ、秋となれば月。
夏には涼しい風がそよぎ、冬は雪。

若無閑事挂心頭,便是人間好時節。
若しも、くだらぬ事が心からなくなってしまえば、
これぞ正しく、人間として、好時節到来と言えよう。

花鳥風月あるいは雪月花の文芸世界を切り拓いたとも言えるが、自然を慈しむ心根は詩文として昇華される以前にできあがっているもの。
花鳥風月といっても、色々あるのだヨ、というのが「酉陽雑俎」の指摘するところでもある。その多様性の世界の一部であり、一体でもあるというのが自分という存在ということになろうか。
20__________
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【二十 大力量人】 松源和尚云。大力量人因甚抬不起。又云。開口不在舌頭上。
松源崇嶽禅師の話。
「大きな力が出せる人が、
  どうして脚で立ち上がることができぬのか?」
さらに、
「口を開けて話すが、
  どうしてそれは舌の上ではないのか?」

"無心"でステーキを食べれる訳がなかろう。
ナイフとフォークが必要だし、グレービーや付け合わせが無ければ欲しくなろう。そうした感情は自然に出てくるように思ってしまうが、身に着けさせられた習慣にすぎない。そんなものを無視し、手掴みで肉にかぶりついてもおいのだが、そんな仕草はおよそ考えられまい。
歩くことも同じ。乳児期に叩き込まれた結果だ。狼に育てられれば、立ち上がることができないのだから、"無心"になったら脚があがる訳がない。
だが、凡人からすれば、それがどうした?であろう。
そんなことを考えることで、はたして"自由"が達成されるものかネ、というのが正直なところ。その手の"無心"に何の意義があるのか、凡人には理解不能なのである。マ、意義が無いからこそ意義があるという理屈かも知れぬ。
そもそも、凡人からすれば、いくら修行を重ねようと、自分の心をマニュピレートできるものか、はなはだ疑問。しかし、可能と考えるなら座禅三昧しか手はないのであろう。そして、一端、そこに嵌りこんでしまえば立ち上がる気力が湧いてくるとは思えない。
確かに、そこから立ち上がってみよ、というのは猛烈な修行である。
21__________
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【二一 雲門屎 雲門因僧問。如何是佛。門云乾屎
雲門文偃禅師、僧の質問に答える。
Q:「仏とはどんなものですか?」
A:「乾いた棒状の大便だ。」
茶席の掛け軸にするお方はいないようだが、「仏様はウンコ。」で遍く知られる話である。もちろん、こう発言した和尚様を糞坊主と呼ぶことになる。
尚、糞ではなく、トイレットペーパーなどあり得ない時代だから、糞かきベラであると見なす人も少なくないが、仏性はそれぞれの人の心にあるという考え方なら、糞そのものとした方が落ち着きがよかろう。
無門禅師の解説には一理あり。
動便將屎來。戸。佛法興衰可見。
都合がよいということで、
"乾いた棒状の大便"
(という誰もが不浄と思うもの)を使って、
それこそ、
(宗派のパトロンである)門戸を支えようとする姿勢に、
仏法の興衰が見て取れる。

ただ、この辺りは社会的にウンコがどうとらえられているかで、大きく違う。東京のお笑い芸人では滅多に見られないが、ウンコネタ連発無しでは納まらない地域もあるのだから。
22__________
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【二二 迦葉竿】 迦葉因阿難問云。世尊傳金襴袈裟外。別傳何物。葉喚云。阿難。難應諾。葉云。倒卻門前竿著。
摩訶迦葉尊者と阿難陀尊者の会話。
阿難陀:「釈尊は法嗣の尊者に
 金襴の袈裟をお授けになりましたが、
 それ以外に、別途何をお伝えされたのでしょう?」

摩訶迦葉:「阿難!」
阿難陀:「ハイ!」
摩訶迦葉:「門前の旗竿を倒しておけ。」
釈尊より一回り年長で法嗣の兄弟子と、釈尊より1世代若く終始釈尊のお側にいた弟弟子の、阿吽の呼吸を描いたのだろうか。マ、身内話であろう。
そう考えると、"世尊拈花"の第一段に次ぐ、法嗣儀式第二段のシーンということになろうか。(摩訶迦葉の説教が行われなくなることを、法嗣が旗竿を倒すことで、お示ししたということ。)
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【二三 不思善惡】 六祖因明上座。趁至大嶺。祖見明至。即擲衣於石上云。此衣表信。可力爭耶。任君將去。明遂舉之如山不動。踟悚慄。明曰。我來求法。非為衣也。願行者開示。祖云。不思善不思惡。正與麼時那箇是明上座。本來面目。明當下大悟。遍體汗流。泣涙作禮問曰。上來密語密意外。還更有意旨否。祖曰。我今為汝説者。即非密也。汝若返照自己面目。密卻在汝邊。明云。某甲雖在黄梅隨衆。實未省自己面目。今蒙指授入處。如人飲水冷暖自知。今行者即是某甲師也。祖云。汝若如是。則吾與汝同師黄梅。善自護持。
六祖"慧能は
(五粗により法嗣とされたが、寺男にすぎない。
師の言いつけ通りに、独り、南方の山へと逃げるが如くに去っていったのである。僧侶達は、法嗣は、当然ながら、格別優秀な一番弟子たるべしと考えていた。そこで、その証拠品を取り返すべく後を追った。)

惠明上座が大嶺までやってきたのを見て、法嗣の証である五粗から頂戴した衣と鉢を石の上に置いて、この衣は"信"の表象だから、力で争って入手可能なものとは違う。貴君に任せるから、将に持ち去ればよかろうと語った。
早速、惠明上座は、ソレを持ち上げようとしたが、山の如くで動く気配がしない。躊躇と共に、戦慄に襲われたため、我は法を求めてやってき来たのであり、衣入手の為ではござらぬと言った。
そこで、六祖は
「善を思い、悪を思うことをやめよ。
 この時、惠明上座の本来の自己とは、どのようなものか?」と。
この言葉で、惠明上座は大悟。全身に汗が流れたのである。
涙を流しながら、拝礼し、質問。
「この密語密意の外に、更に別の意旨がありや無しや?」
六祖は言った。
「我が、今、
 汝の為に説い説いたるところは、全くもって秘密に非ず。
 若しも、汝が自己の真面目に目覚めたなら、
 秘密とは、かえって、汝のなかに存在しているということ。」と。
惠明上座は言った。
「某は黄梅の地で、
 他の僧等に追随して修行に励んでまいりましたが、
 実のところ、
 自己の真面目に目覚めることはできませんでした。
 今、御指図を頂戴し、
 人が水を飲んでその冷暖を知るように、自知できました。
 今、わかりました。
 行者様こそ、某の師でございます。」と。
六祖は言った。
「汝がかくの如きなら、
 即ち、吾も汝も黄梅の地の五祖を師と仰ぐ一門。
 善を護持するように。」

追い詰められた行者の、ここ一発の発言と、崇拝する師から法嗣とされている寺男に対する畏敬の念の歯車が噛みあったのであろう。
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【二四 離卻語言】 風穴和尚。因僧問。語默渉離微。如何通不犯。穴云。長憶江南三月裏。鷓鴣啼處百花香。
風穴延沼禅師の僧の質問に対する回答。
Q:「語る、あるいは黙すことで、
  離微を渉猟するとしたら、
  どのようにすれば離微を犯さずに済みますか?」

(浅学の身には、何を質問しているのかさっぱりわからん。"離"は、言葉による表現を脱し、差別なき世界に入ることを意味し、つまり実存ということとか。"微"は、そんな世界での多様な現象を指すとの用語解説がある。つまり、離微一体であって、言葉と沈黙はどちらも実在の片面しか示し得ないということのようだ。・・・其れ入れるときは離、其れ出づるときは微。[僧肇:「宝蔵論」離微体浄品第二]:気が出るのが語で、気が入るのが黙なのだろうか。)
A:「我は、江南の春、三月の頃をいつも思い出す。
  鷓鴣が啼き、
  様々な花が咲き乱れ、その香りが漂ってくる場所として。」

実に馬鹿げた質問であり、こういう手合いを衒学の輩と呼ぶ。これに、まともに対応する人も又同じ穴の貉。
その点では、風穴禅師はまともに見える。ただ、凡人には、詩を吟ずる意味は全くわからない。心の風景を見ているなら、それを実存と呼べるか考えてみよということかネ。
ともあれ、江南春と言うからには、唐代の寺が立ち並ぶ情景を呼び起こす詩と考えるのが自然ではなかろうか。・・・
   「江南春絶句」 杜牧[803-853年]
 千里鶯啼拷f紅,水村山郭酒旗風。
 南朝四百八十寺,多少樓臺煙雨中
言うまでもないが、そんな世界は今何処なのである。
あるいは、純粋な光景でもよいと思うが。
  "江南三月春光暮,蝴蝶明飛繞深圃。"[許稷:「江南春」]
  "鷓鴣啼竹樹,杜若媚汀洲。"[李中:「江南春」]
(ご注意) 岩波文庫版の訳者西村恵信注によれば、風穴和尚の言は、杜甫の詩を借りているとのことだが、どの詩を指しているのかは記述されておらず、杜撰すぎる。これが定説となっているようで、どの解説をとっても断言的表現。ところが、ザッと書籍とネットリソーシスを眺めても、杜甫の詩などどこにも示めされていない。無理矢理内容的に似た詩を選べば"王母鳥"登場となりかねず、とても納得できるレベルではない。そもそも、杜甫の詩は儒者的情緒感が溢れており、禅師の共感を呼ぶとは思えないが。ただ、無門が"前人舌頭"と解説しており、どこからか引いてきたのであろう。)
ちなみに、鷓鴣には"懷南"の意味がある。
  →
「鷓鴣と五時鶏」@「酉陽雑俎」の面白さ
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【二五 三座説法】 仰山和尚。夢見往彌勒所安第三座。有一尊者。白槌云。今日當第三座説法。山乃起白槌云。摩訶衍法離四句絶百非。諦聽諦聽。
仰山慧寂禅師の夢の中でのお話。
(兜率天に住む)弥勒菩薩の所に往って、第三座に就いた。
そこには尊者が一人いて、槌を打って、声をあげた。
「今日は、第三座が説法する日に当たっていますヨ。」と。
そこで、仰山は立ち上がって槌を打ってから説法。
「大乗
[摩訶衍]の法は、
 四句から離れており、
 もちろん百句でもなく、それらを超越したもの。
 しかと聞き終えたか。しかと聞き終えたか。」

よくある夢話の類であるが、要するに、禅宗は哲学的な論理の地平では理解できないと主張したかったのであろう。凡人的に言えば曖昧模糊以外の何物でもないが。
もっとも、狭くてチマチマした国土に住む日本人にとってはそれは生きていく上で必須の思考法であるから、難しい論理ではない。つまり、・・・
 「A or B?」に対する答:
  大陸での主流派:「A」
  大陸での反主流派:「B}
  大陸の異端:「not A nor B」
  禅かぶれ:「A and B」
  日本人:「or」
御覧のように、四句超越の哲学的発想は、大陸では受け入れられる素地は少なかろうが、日本的風土では違和感どころから馴染みのもの。
無門禅師の頌はズバリ。
白日青天,夢中説夢。捏怪捏怪,誑一衆。
白日青天なり。
にもかかわらず、夢中で夢を説く。
まさに、奇奇怪怪そのもの。
聴衆一切騙しの技。

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【二六 二僧卷簾】 清涼大法眼。因僧齋前上參。眼以手指簾。時有二僧。同去卷簾。眼曰。一得一失。
"法眼"清涼文益禅師のこと。
食事の席に着いた時だが、目の前に僧が参上してきた。
そこで、文益は簾を指し示した。
たまたま2人の僧がおり、師の指示を汲み取り、
 簾を卷き上げた。

清涼:「一人は合格。もう一人は落第。」
なんの意味もない下らぬ作業をさせておいて、その仕草に優劣をつけ、一体、どういう了見なのだ、と誰でもが感じるようにできているお話。しかも、そこから発展して考えさせるような内容とは言い難い。
所詮は選抜話以上でも以下でもないからだ。
眼前に展開しているのだから、誰でも見るだけでその違いは簡単に認識できるが、標準レベルを想定して、そこからの乖離を推定するのは簡単なことではない。そもそも、そのような標準レベルに意味があるのかもわからぬ。世の中、ほとんどの行為の良し悪しについて、絶対的基準がある訳ではないのは誰だってご存知。
当然ながら、無門禅師は、清涼は失敗したと指弾。マ、禅師といっても、社会の一角を担う勢力を率いている頭領であり、組織マネジメント能力を発揮しなければならない立場。おいそれと聖人然として生活していられる訳がないのである。
もっとも、太鼓持ちも少なくないだろうから、そのような読み方をしてはならぬとの主張も少なくなかろうて。
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【二七 不是心佛】 南泉和尚。因僧問云。還有不與人説底法麼。泉云有僧云。如何是不與人説底法。泉云。不是心不是佛不是物。
南泉普願禅師と僧の対話。
僧:「人に説かなかった法はおありでしょうか?」
南泉:「有る。」
僧:「それはどんな法でしょうか?」
南泉:「それは、心でなく、仏でもなく、物でもない。」
ハハハ、のお話。
老師は言う、「誰にも言ったことのない、とっておきの法があるのジャ。」と。
と言っても、説法しないのではなく、言葉で伝える能力が無いから、説法できないだけのこと。もちろん、そんな能力を磨く気などさらさらない。言葉では伝えようがない貴重なコトがあると信じているからである。
そもそも、心、仏性、空、実体、・・・、は、すべて作られた概念でしかなく、わかったようなわからないような用語にすぎない。修行すれば、ある時、これらをわかった気になるだけのこと。
そうなると、「心=仏性=空=実体=・・・」となんでもが一つになり、超越した境地に到達できる訳だ。
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【二八 久響龍潭】
ここは例外的な箇所で、本則の前に、無門禅師の解説を読む必要がある。
【無門曰】コ山未出關時。心憤憤口。得得來南方。要滅卻教外別傳之旨。及到州路上。問婆子買點心。婆云。大コ車子内是甚麼文字。山云。金剛經抄疏。婆云。只如經中道。過去心不可得。見在心不可得。未來心不可得。大コ要點那箇心。コ山被者一問。直得口似檐。然雖如是。未肯向婆子句下死卻。遂問婆子。近處有甚麼宗師。婆云。五里外有龍潭和尚。及到龍潭納盡敗闕。可謂是前言不應後語。龍潭大似憐兒不覺醜。見他有些子火種。郎忙將惡水。驀頭一澆澆殺。冷地看來一場好笑。
徳山宣鑑禅師の話。
出身地にいた頃は、心では憤慨することがあったが、
それを口に出してうまく言い表せなかった。
しかし、南方にやってきてからは、自信満々。
"教外別伝"を旨とする宗派
(禅宗)を論破せねば、と。
州に至り、
路端にある茶店の婆様に点心を注文。

すると、
茶店の婆様:「大コのある和尚様の車に文書が積まれていますが、
 どんな書籍ですか?」

徳山:「"金剛經"の注釈書だが。」
茶店の婆様:「そのお経には道がかかれておりますナ。
  "過去心不可得。見在心不可得。未來心不可得。"と。
  大コのある和尚様は点心を注文されましたが、
  さすれば、そのうちのどのお心でのことですか?」
徳山は、たったこの一問を浴びせられただけだったが、
口が一文字になり、まるで庇のように閉じたまま。
この状態であるとはいえ、
婆様の一言で叩きのめされたことを肯定することもできず、
婆様に尋ねることとなった。

徳山:「ご近所にどなたか宗匠がおられますか?」
茶店の婆様:「五里ほど行くと、龍潭和尚がおられます。」
そこで、早速にして、龍潭和尚にお会いして論戦。
 それは、完璧な敗北に終わった。
故郷での論破するといきがっていた徳山だが、
 ここでは通用せず心変わりしたのである。
一方、龍潭はこの若者に憐憫の情を感じてしまい、
 不覚にも、自らの醜悪さには思い至らなかったのである。
つまり、徳山に僅かな悟りの火種を見出したため、
 慌てふためいて汚れた水をぶちまけてしまったのだ。
頭から浴びせられれば火は消えるしかない。
従って、
冷静になってこの場を眺めれば、まるっきりのお笑草。

本則は、この後の続編ということになる。
【二八 久響龍潭】 龍潭因コ山請益抵夜。潭云。夜深子何不下去。山遂珍重掲簾而出。見外面K卻回云。外面K。潭乃點紙燭度與。山擬接。潭便吹滅。山於此忽然有省。便作禮。潭云。子見箇甚麼道理。山云。某甲從今日去。不疑天下老和尚舌頭。也至明日龍潭陞堂云。可中有箇漢。牙如劍樹。口似血盆。一棒打不回頭。他時異日向孤峰頂上立吾道在。山遂取疏抄。於法堂前將一炬火。提起云窮諸玄辨。若一毫致於太虚。竭世樞機。似一滴投於巨壑。將疏抄便燒。於是禮辭。
徳山宣鑑禅師が龍潭崇信禅師に教えを受けていて、
 ついに夜になってしまった。

龍潭:「夜も更けた。そろそろ下がったらよかろう。」
徳山、丁重な礼の後、簾を上げて外へ出た。
見ると、外は真っ暗だったので、すぐに戻って来た。

徳山:「外は真っ暗闇で、これではなんともお暇できませぬ。」
そこで、龍潭は燭台の芯に火を灯し、渡した。
徳山が将に受け取ろうとした時である。
 龍潭がやおら火を吹き消した。
徳山に、忽然として、自省の念が湧いてきた。
 そこで、拝礼したのである。

龍潭:「君はどんな道理を見出したのかネ。」
徳山:「某は、今日から先、
  天下の老和尚様のおっしゃることを疑ったり致しません。」
その翌日の説法台でのこと。

龍潭:「もしも、
   剣樹の如き歯、
   血を入れたお盆のような口、
   棒で打たれてもビクともしない頭、
  これらを持つ者がココにいたら、
  ソイツはいつの日にか、
  孤峰の頂上に立ち、独自の仏道を樹立するだろう。」
そして、ついに経典の注釈書を取り上げ、
 法堂の前に出て、一本のたいまつを手にとった。

龍潭:「いかに深く諸々の経典の弁を追求したところで、
  たった一本の毛を広大な虚空に投げたようなもの。
  世事の肝心なところをつきつめたといっても、
  所詮は、
  一粒の水滴を巨大な峡谷に投げ入れるようなもの。」
ついに、注釈書を焼却。
そこで一礼の上、辞したのである。

一言でまとめるなら、気鋭の仏教学者が、実践家への変身を決意"させられた"お話。
しかし、コレ、そう単純なものではない。原理原則を突然にして反故にしたからである。どうしてそんなことが簡単にできるのかよくわからないところがある。
前言とは、要するに、釈迦のお言葉を伝える経典に書いてない主張は許せぬとか、どう考えても経典を恣意的に歪曲しておりトンデモ理論だ、という考え方。
言うまでもないが、このような考え方は"文献"的に明確に示すことができる。実践家として出発するということは、こうした考え方を全否定することになる。
つまり、釈尊の伝えたことは言葉で表現できないのであるから、文献学的にどうのこうの議論しても無駄と、一気に切り捨てることになるからである。
しかし、学者発想から本当に脱することができたかは、小生にははなはだ疑問。もっとも、そのように考えるとどうにもならない凡人と見なされよう。
そうそう、ここで焼かれたのは金剛経の注釈書だが、公案の注釈書たる「無門関」は焼かないでよいのか。
29__________
[→目次]
【二九 非風非幡】 六祖因風幡。有二僧對論。一云幡動。一云風動。往復曾未契理。祖云。不是風動不是幡動。仁者心動。二僧悚然。
六祖慧能禅師の話。
風で寺廟の幡が吹きあげられていた。
2人の僧がそれを見て対論中。
一人は幡が動いていると主張し、
もう一人は風が動いていると主張。
往復論議でさっぱり理が無い様子。
そこへ割り込み。

慧能:「これは風が動いているのではない。
  そして、
  これは幡が動いているのでもない。
  君達の心が動いているのだ。」
2人の僧はゾッとしてすくんでしまった。

説法会場前で、僧が実に下らん問答をしていた訳である。そんなものに割り込んでどうするつもりか、と思ってしまうが、言いたくてウズウズしてしまったのであろうか。
あるいは、"六祖"であることを、それとなく気付いてもらうために、ここで一発かまそうということかも。わざわざ、説法会場に出向いて来たのだから。(これはゲスの勘繰り。)
30__________
[→目次]
【三十 即心即佛】 馬祖因大梅問。如何是佛。祖云。即心是佛。
大梅法常禅師の質問:「仏とは何ですか?」
馬祖道一
禅師のお答:「まさにこの心こそが仏なり。」
単純極まる四字熟語であるが故に、様々な解説があるが、整理してまとめたところで意味などなかろうということで、ここはスルーするかとも思ったが、ここはそんなことではなく、この言葉にピンときた禅師に着目すべきかも。
これは、幼児に出家した若き法常が馬祖に初めて会うシーンだからだ。
「酉陽雑俎」と比べるのもナンだが、同じように、実録をわざわざ簡素化して収録している。当然ながら、よくわからなくなるが、ストーリーを覚えてもらいたい訳ではなく、自分の頭で考えて欲しいから、その方が優れているのである。(「祖堂集」巻十五大梅法常章)
この面談以後、法常は何十年にもわたって大梅山に籠って仙人のような生活に入る。求道的姿勢が目立つ道元はそのような生き様を見て感動を覚えたのであろう。「正法眼蔵」には、夢で梅華一枝を授けられる話[嗣書]など、そこここに登場してくる。
ちなみに、道元流"即心是仏"だと、心=山河大地=日月星辰となる。マ、色々な言い方がありますナ。
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【三一 趙州勘婆】 趙州因僧問婆子。臺山路向甚處去。婆云。驀直去。僧纔行三五歩。婆云。好箇師僧又恁麼去。後有僧舉似州。州云。待我去與爾勘過這婆子。明日便去亦如是問。婆亦如是答。州歸謂衆曰。臺山婆子我與爾勘破了也。
趙州従禅師に関係する僧が老婆に尋ねた。
僧:「五台山への路はどう行くのですか?」
老婆:「真っ直ぐに行きなさい。」
言葉に従い、僧が3〜5歩行くと、

老婆:「よさげな僧師のようだが、
  又、同じように行くな。」
そんなことがあった後で、僧は趙州にこの話をしたところ、

趙州:「ここは私が行ってみて、老婆を検分するとしよう。」
と言うことで、翌日、趙州は出向いて同じように尋ねた。
老婆も又同じように答えた。
趙州は帰ってきて、皆の者に言った。

趙州:「五台山の老婆は、皆にかわり、私が見破ったゾ。」
インテリ老婆によるお遊び。
五台山とは、知恵の文殊菩薩信仰のメッカだから、老婆は、そこへの道案内を頼まれたつもりで解答したのだが、僧はそれに気付かない。
それだけの話なら、師にわざわざご足労頂く意味はどこにあるのだろうか。
32__________
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【三二 外道問佛】 世尊因外道問。不問有言。不問無言。世尊據座。外道贊歎云。世尊大慈大悲。開我迷雲。令我得入。乃具禮而去。阿難尋問佛。外道有何所證贊歎而去。世尊云。如世良馬見鞭影而行。
釈尊、質問を受ける。
外道:「有とも、無とも言えないものは何ですか?」
釈尊無言で坐したママ。
外道賛嘆。

外道:「釈尊の大慈悲で、迷いの雲が晴れ、悟りに至りました。」
外道、拝礼し去った。
それを見て弟子が質問。

阿難:「外道は一体何を悟って去っていったのでしょうか?
  あれほどまで讃嘆して。」

釈尊:「良馬が鞭の影を見ただけですぐに走って行くようなもの。」
九十五種外道と言われているにもかかわらず、十把一絡げ。唯我独尊とはよく言ったもので、異なる考え方には関心の欠片も示していないことが歴然としている。
従って、これは滑稽シーンに映っておかしくないのだが、頭がすでに凝り固まっている方々にはそうは感じまい。
いかにも、暗記一途な学僧集団が好みそうな創作話と言ってよいだろう。
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[→目次]
【三三 非心非佛】 馬祖因僧問。如何是佛。祖曰。非心非佛。
僧:「仏とは何ですか?」
馬祖:「心ではなく、仏でもない。」
よく知られているように、"心こそ、仏だ!"【三十 即心即佛】の続編である。
素人的には、両者が対比されているなら、"心は、断じて、仏ではないぞ!"という意味にしたくなるが、そのような解説は見たことがない。主語がなくなり、"心ではないし、仏でもない。"という意味とされている。
「仏とは何か?」と問われて、「仏ではない。」と答えるのが究極の禅の精神ということなのであろうか。
それにしても、一度、"即心即佛"という答えをもらっておきながら、全く同じ質問を再度繰り返す修行僧とは一体どういう了見の持主かネ。常識的には、30叩き必至ではないか。
マ、修行僧を育て上げる上で、飛びぬけた才能を発揮した禅師だから、"即心即佛"が流行りすぎた弊害を除こうとしたのだろう。まことに親切だが、よらぬおせっかいと言えなくもなかろう。
しかし、馬祖禅師は、見掛け倒しの大勢の自惚れ修行者のなかから、ダイヤモンドの原石を見つけ出し、徹底的に磨き上げようと必死な訳で、そんな見方は的外れかも。
そう考えると、"非心非佛"は、"即心即佛"の意味を公案物語本で知るレベルの人々が考えるべき四字熟語ではないということになろう。
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【三四 智不是道】 南泉云。心不是佛。智不是道。
南泉普願禅師のお言葉:
「心は仏ではない。
 智識は道ではない。」

馬祖老師の"即心即佛"はかなり大衆化してしまったようである。
だからこそ、"即心即佛"で大悟し、社会から隔絶された山中で何十年も過ごしていたた大梅禅師を起用したり、今や、"非心非佛"だと言いだしりしたのだろう。
それを肌で感じ取っていた南泉も、"即心即佛"は拙いゾと警告を発した訳である。「心=仏」という知識で理解してもらっては、悟りどころの話ではなくなる。知識と智慧とは全く違うから、心せよとキャンペーンを張ったのである。
これでは、無門禅師ご指摘の通り、"家醜外揚。"である。道場は、暗記のキャパシティを誇り、素早い反応で論争に勝つタイプのエリート僧だらけになってしまったのだろう。数々の素晴らしい弟子を育てあげたが、それと同時に、貴重でもない有象無象の石を外見だけ美しく見えるように仕上げてしまったということ。
現代で言えば、道場が、ライセンス取得カリキュラム完備の寄宿学校になってしまったということになろうか。
35__________
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【三五 倩女離魂】 五祖問僧云。倩女離魂。那箇是真底。
五祖(東山)法演禅師が発した質問:
「倩女は魂が身体から遊離したそうだが、
 どちらがホンモノ?」

ココは、"Autoscopy/自己像幻視"を知らないと面白くもなんともない。所謂、「分身」であるが、それを扱った原初的作品が陳玄祐:「離魂記」の"倩娘"。"魂魄"と似てはいるが全く違う概念。そんなこともあり、「酉陽雑俎」卷四 貶誤でも奇譚が取り上げられている。僧侶は一体どういう理由で分身が生まれるのか、考えてみよ、と提起している訳である。
  →
「分身」
「酉陽雑俎」は創造性を掻き立てることを狙っていそうだが、「無門関」は僧の修行用公案だから、心の問題を考える初級編ということか。(つまり、親への孝行をとり鬱で寝込んでしまうか、恋人と駆け落ちしてしまうか、心は揺れ、結局のところ心も体も別れてしまうのである。小説では最終的に合体するが、分身状態の時はどちらが本物か考えてみよという質問。)
36__________[→目次]
【三六 路逢達道 】 五祖曰。路逢達道人。不將語默對。且道將甚麼對。
五祖(東山)法演禅師が発した質問:
「路上で、"道に達した"したお方に出会ったら、
 言葉で対しても沈黙で対してもいけないとされている。
 それなら、
 どのように対応すればよいのかネ?」

叩き込まれた習慣、なんとなく従ってしまう先入観、こうあるべしとの理屈、等々をすべて捨て、素直に対応すればよしと、言葉では言えるものの、具体的行動ではどうなるのかナ。修行の諸君ヨ。・・・といったところか。
これは、日本のなんでも"道"の風土をささえた公案といえるかも知れない。もともと、心の持ち方が重視される社会だったのであろう。
ところが、本家の中華社会では、そうはならない。社会秩序維持のためには反統制的な自然体を容認する訳にはいかず、儒教的儀礼遵守しか手がないからだ。従って、禅宗は根付きようがないと言えなくもない。
37__________
[→目次]
【三七 庭前柏樹 】 趙州因僧問。如何是祖師西來意。州云。庭前柏樹子。
趙州従禅師、僧の質問に答える。
僧:「初祖達磨の西来の意図はどのようなものでしょうか?」
趙州:「目の前の、庭に立つておる一本の柏の木。」
鬱蒼と茂る林に囲まれた寺のなかでのことだと思う。
気鋭の弟子が、ここぞとばかり意気がって質問しているのではなかろうか。それこそ命がけの気分で。
それに対する答だとしたら、ずいぶんと馬鹿にした言い草。だが、見方をかえれば、庭を眺めていて自分と自然が一体化した気分に陥っており、単に、純粋無垢な発言をしてしまったと見ることもできよう。そうだとすれば、そんな師の気分とは程遠い地平から参上してきたのだから、その言葉の意味を理解するのは不可能ではなかろうか。
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[→目次]
【三八 牛過窗櫺】 五祖曰。譬如水牛過窗櫺。頭角四蹄都過了。因甚麼。尾巴過不得。
五祖(東山)法演禅師が発した質問:
「喩えだが、
 牝の水牛が格子窓を通り過ぎるとしよう。
 頭、角、四本の脚、全てが通り過ぎたのに、
 何故、尻尾だけが通り過ぎることができないのか?」

これはいかにも不出来な問題だが、刺激になるということで収録されたのでは。「酉陽雑俎」的。
普通なら、コレは、格子窓から、道行く動物が通り過ぎるのを見ているというシーンだろう。尻尾を残してすべてが目の前を通り過ぎたから、もういいかと思っていると、動物は止まってしまうかもしれず、戻るかも。気になってオチオチできず、たびたび窓から覗くことに。一体、なにしているんダネとなる訳。
ところが、どう見てもそのような文章ではない。
大きな水牛が格子窓を通りすぎるのだ。ソリャ、なんなんだ。
マ、比喩と断っているから、かまわぬとはいえ、ナンダコリャ的な奇怪なお話である。しかも、尻尾だけは通り抜けられぬと来る。頭と角はどうやら通り、四つ足を無理に入れたが尻がひっかかったのであろうか。
もっとも、そんな解釈はしないことになっているらしい。本体はすべて通り抜けたが何故か尻尾だけが通れない状態が想定されているとの解説ばかり。誰が考えても、およそ常識から外れているが、そう考えないと馬鹿者呼ばわりされるか村八分の憂き目に会うのだろう。
ともあれ、比喩というのだから、それぞれが象徴するものを考えることになる。おそらく、結構、自明なのだろうが、素人には面倒極まる。頭が意識、角は感情、四脚は身体で、格子を通って「空」の世界へと進むとでもするしかなかろう。
それでも、なんかよくわからないものが残るネ〜。
マ、公案は、それがわかりそうにない輩のために創作したものではない。従って、気付かぬ人は、何十年でも考えておれ、ということになろう。
それが言いたかったか。
39__________
[→目次]
【三九 雲門話墮】 雲門因僧問。光明寂照遍河沙。一句未絶。門遽曰。豈不是張拙秀才語。僧云是。門云話墮也。後來死心。拈云。且道那裏是者僧話墮處。
雲門文偃禅師の問答:
僧:「光明寂照遍河沙、・・・」
一句も終わらぬというのに、遮られた。

雲門:「それは秀才の張拙の詩句ではないのか?」
僧:「その通りです。」
雲門:「そんなものは堕落。」
そのずっと後のこと。
死心悟新
禅師の質問:
死心:「この僧の話の何処が堕落とされたかわかるかネ。」
師との命がけの問答で、悟りに到達しようとしているのに、開悟した秀才の詩句を単純に引用したりすれば、ソリャ駄目出汁されるに決まっているだろう。そんなこともわからないレベルの弟子だらけだったということか。
  偈 張拙@開悟
光明寂照遍河沙,凡聖含靈共我家。
一念不生全體現,六根才動被雲遮。
斷除煩惱重摯a,趣向真如亦是邪。
隨順世縁無礙,涅槃生死等空花。

そもそも、こんな偈に、関心を惹きつけられるとしたら、流行に乗り遅れるなということで修行をしているとか、人真似が楽しいのであろう。それは、世間一般では多数派ではあるが、少数派として生き抜こうという覚悟が端から無い訳である。
他人の言葉で、自分の考えに代えるというのは、官僚のすること。よそでは何をしてるか、過去になにがあったかを語る職業だからだ。自律的に個々人として独創性を発揮されたのでは組織統制が効かなくなるから当然である。だからこそ、私生活というか、精神生活では仏教に帰依したりする訳で。
40__________
[→目次]
【四十 倒淨瓶】 山和尚。始在百丈會中。充典座。百丈將選大主人。乃請同首座。對衆下語。出格者可往。百丈遂拈淨瓶。置地上。設問云。不得喚作淨瓶。汝喚作甚麼。首座乃云。不可喚作木𣔻。也百丈卻問於山。山乃倒淨瓶而去。百丈笑云。第一座輸卻山子。也因命之為開山。
山靈祐禅師は始めは、百丈懐海禅師の道場におり、台所炊事係をしていた。
百丈は大山道場の住持の人選に迫られており、一同に会すように要請。皆にひとこと語らせ、そこから大いなる者を住持適格者とみなそうと。
そして、百丈は、なにげにか、淨瓶を取り出して地上に置いた。

百丈:「これを浄瓶と呼んではならない。
 そうなると、お前らは、何と呼ぶ?」

首座[華林善覚]:「まさか木片と呼ぶ訳にもいきませんな。」
百丈:「お前は?」
訊かれた山は浄瓶を蹴飛ばし出ていってしまった。
笑いながら、

百丈:「首座は山に一本とられたな。」
これで、山が開山することになった。

マ、初めから決まっていて、当人にもそれとなく伝えておいたのではなかろうか。しかしながら、本来なら、拒否でもされない限りは一番弟子を選ぶのが筋だから、選抜会を開催したのである。それを山に見破られたという風に読める。
茶番劇はヤメロと蹴飛ばしたのである。
41__________
[→目次]
【四一 達磨安心】 達磨面壁。二祖立雪斷臂云。弟子心未安。乞師安心。磨云。將心來。與汝安。祖云。覓心了不可得。磨云。為汝安心竟。
初祖達磨禅師は、面壁し座禅三昧。
二祖慧可禅師は、雪の中に立ち尽くしており、
臂を切り落として言った。

慧可:「弟子の心は未だに不安です。
   師よ、安心させて下さい。」

達磨:「その心を持って来なさい。
   そうすれば、汝を安心させてあげよう。」
  :

慧可:「不安の心を探しましたが、得ることはできませんでした。」
達磨:「汝の為に、安心させることは、これで完了した。」
誰でもすぐにわかる話である。
無門禅師の頌はいかにも楽し気。
西來直指,事因囑起。撓聒叢林,元來是爾。
西來の初師が真っ直ぐな道を指し示してくれた。
もの事がゴタゴタするのは、ここに起因する。
未だに、禅林はグチャグチャでかまびすしい。
この元を辿れば、みんな初師にいきつく。

つまり、直指人心であり、見性成仏であり、不立文字。すべて、達磨のせいで厄介極まる修行が始まった訳である。
42__________
[→目次]
【四二 女子出定 】 世尊昔因文殊至諸佛集處。諸佛各還本處。惟有一女人。近彼佛坐入於三昧。文殊乃白佛。云何女人得近佛坐。而我不得。佛告文殊。汝但覺此女。令從三昧起。汝自問之。文殊遶女人三匝。鳴指一下。乃托至梵天。盡其神力。而不能出。世尊云。假使百千文殊亦出此女人定不得。下方過一十二億河沙國土。有罔明菩薩。能出此女人定。須臾罔明大士從地湧出。禮拜世尊。世尊敕罔明。卻至女人前。鳴指一下。女人於是從定而出。
昔のことだが、諸仏が釈尊のところに参集し、またもとの場所へと帰還していく時、ようやく文殊菩薩到着。そこで出くわしたのが、唯一人の女人。釈尊の近くで座禅三昧に耽っていたのである。
そこで、文殊は釈尊に言った。
「何故に、
 この女人は釈尊のお近くに坐することができるのですか?
 私はできないのに。」
釈尊は文殊に告げた。
「汝がただちにこの女人を醒まさせ、
 三昧から立ち上がらせ、
 汝自ら、直接に、その理由をきいてみよ。」
ということで、文殊は女人の周りを3度回り、
上から指を一回鳴らして
女人を掌上に載せ、梵天へと連れていった。
その上で、悉く神通力を駆使したのだが、
さっぱり、要領を得ず。
釈尊は言った。
「たとえ10万の文殊菩薩がいくら神通力をふるったところで、
 この女人を三昧から出すことはできまい。
 ここより下、12億河沙という無数の国土を過ぎた所に、
 罔明菩薩が居られる。
 この菩薩なら、女人を三昧から出すことができよう。」
すると、罔明菩薩が地中より湧き出るように出現。
そして、釈尊を礼拝したのである。
釈尊は罔明に、女人を救う様に命じた。
罔明は女人の前に行き、頭の上から指を一つ鳴らした。
それで、その女人は三昧から脱出できたのである。

ご存知、文殊菩薩は智慧を司る仏。(辞書には、たいてい、空の思想による般若の智慧というような説明が掲載されている。)菩薩修行の52階位["凡"(十信→十住→十行→十回向)→"聖"(十地→等覚→妙覚)]の最上位と見なされているそうだが、無門禅師の解説によれば、罔明とは、この階層の十地における初地菩薩に当たるという。"聖"の領域に踏み込み、一切衆生を救済するために仏になろうとの希望に満ち溢れた状況を指すのだろう。釈尊のお側で修行することこそ命の段階である。(考えてみれば、文殊菩薩には、そもそも、釈尊のお側に行く必要など全く無いのである。)
ソリャ、大悟したレベルとは話が合う訳がござらぬ。
ここで凡人の質問:「ところで、それがなんなの?」
43__________
[→目次]
【四三 首山竹篦】 首山和尚。拈竹篦示衆云。汝等諸人若喚作竹篦則觸。不喚作竹篦則背。汝諸人且道。喚作甚麼。
首山省念禅師は竹篦を手にとって示し、衆に言い放った。
「汝ら、
 もし、これを竹箆と呼べば則その概念につかまってしまう。
 と言って、竹箆と呼ばなければそれを否定するも同然。
 さて、汝ら、
 コレをなんと呼ぶネ。言ってみたまえ。」

お得意の、どうにもならない、二律背反問題。ほとんどクリッシェ。
何を言おうと無駄だが、それをいつまで続けられるか見もの。正解無しと思い始めたら仏教から手を引くのと同じこと。
凡人にとってはハハハ問題でしかないが、信仰を決意した方々にとっては苦しい体験なのだろう。
そうそう、もちろん正解はある。蹴飛ばせばよいのだ。すでにそう書いてある。
44__________
[→目次]
【四四 芭蕉杖】 芭蕉和尚示衆云。爾有杖子。我與爾杖子。爾無杖子。我奪爾杖子。
芭蕉慧清禅師衆に言う。
「汝に、杖があったなら、
 私が、汝に杖を与えよう。
 汝に、杖がないなら、
 私が、汝の杖を奪おう。」

一丁前の顔をして、道をわかっているとの自負心をみなぎらせているエリート然とした僧達への一喝か。
必要なモノを持ってないなら、差し上げようという当たり前の親切心など、修行では通用しないとの脅し文句調なのが面白い。
そうなると、こういうことになるが、マ、身内以外にしてみればどうでもよさそうな話であり、ソレダケとも言えよう。
"杖があるから、路を一途に歩いて行く。"と言う僧には、ワシの杖で一発お見舞いしてくれよう。
"杖など無用で、空の世界に居る。"と言う僧には、端から、悟りが無いのであり、その空とやらをワシの杖で叩き潰してやるゾ。
45__________
[→目次]
【四五 他是阿誰】 東山演師祖曰。釋迦彌勒猶是他奴。且道他是阿誰。
五祖(東山)法演禅師の言:
「釈迦如来や弥勒菩薩と言えども、
  猶、"他"たる主人の奴隷でしかない。
 してみると、
 その主人たる"他"とは、誰のことか?」

釈迦如来は過去仏で弥勒菩薩は未来の仏の代表なのだと思われるが、諸仏を支配する者がいるというのである。
誰もが持っている仏性だが、それを抽象化したエッセンスたる仏性があることに気付けと言うしかとりようがないが、"仏性偉大なり"という叫ぼうというアジテーションに映らないでもない。
修行僧諸君には、自己を超越した仏性を見つけて釈尊のレベルに達して欲しいとの叫びか。
46__________
[→目次]
【四六 竿頭進歩】 石霜和尚云。百尺竿頭如何進歩。又古コ云。百尺竿頭坐底人。雖然得入。未為真。百尺竿頭須進歩十方世界現全身。
石霜楚円禅師の言:
「百尺の竿の頭で、いかにして一歩先に進むか?」
一方、古徳、長沙景岑
禅師の偈はこのように:
「百尺の竿の頭に坐している人が居り、
 道に入った状態と言うことはできるかも知れぬが、
 それは、"真の"レベルには未達である。
 百尺の竿の頭で、一歩進むことで、
 十方世界に全身を実現するのでなければならぬ。」

修行者への、実体験に基づくアドバイスだろう。
悟った気分になって、その境地に満足してはいかんゾ、と。
それは大悟したのではないから、そこから先の修行なかりせば、アカンという訳。
しかし、それを自分の言葉で語れといってもネ〜。
凡人にはできぬが、そもそも凡人を善導するつもりで出家したのだから、できぬなら失格。
いたって凡庸なアドバイスと言えなくもないが、石霜や長沙の姿勢を知っている修行僧にとっては、シミジミしてくる箇所といえよう。
47__________
[→目次]
【四七 兜率三關】 兜率ス和尚。設三關問學者。撥草參玄只圖見性。即今上人性在甚處。識得自性。方脱生死。眼光落時。作麼生脱。脱得生死。便知去處。四大分離。向甚處去。
兜率従悦禅師は修行学習者に3つの関門を設定し、問うた。
「草をかき分け諸山を巡り、
  諸々の名禅師に参じるのは、
  もっぱら見性を追求することにあり。
 現時点で、汝の本性は何処にあるか?
 自分の本性が明らかになったなら
  すぐに、生死を脱することができよう。
 眼光が脱落してしまったら、
  どのように生から脱するか?
 生死を脱することができたら、
  そこで、逝くべき場所を知ることができる。
 4元素
(地水火風)が肉体から分離してしまったら
  どの場所に向かって行くのか?」

突然にして、訳のわからぬ難問クイズ形式が破られ、カリキュラムでの課題が語られる。しかも、今迄は、もっぱら、仏性とか自己の本性を探ることに力を入れていたというのに、様変わりした印象を与える。生死の問題を自分で解決するようにとのお達しに映るからだ。見性はそのためとも読める。そうなると、なにも考えずに、ハイハイそうですかで通り過ぎてしまいがち。
それでは公案になっていない訳である。(宗教信仰は、本人が安らかに息を引き取るためにあり、他人の死を愛おしむためのものと考える俗人思考にはピッタリだが、公案である以上、そのような一文ではない筈。)
「酉陽雑俎」が地獄を纏めているのは、段成式の優れた見識を示していると感じる一瞬でもある。・・・
つまり、安らかに死ねるとは限らなのは世の中の推移を見ていれば自明だし、自分の生き様を振り返ってみれば地獄に落ちるしかないと結論づけることになるかも知れないということ。つまり、輪廻転生の概念自体はどうでもよいことで、要は、自分は餓鬼かも知れぬし、畜生の可能性もあるな、といった感じでじっくり考えてみるべしということでしかない。全体観を得るためにまとめているから、自分でイメージの世界を創りあげて、それをつてに考えたらどうか、というのが、在家のインテリである段成式流。それは、なかなかに面白い思考の世界でもあり、命を賭け大衆のためにと粋がってするようなことでもなかろうという姿勢。
無限ループの苦しみから離脱という御大層なことを目指し全身全霊を賭けるのも大いに結構だが、苦しみもあり、楽しみもある俗世間のただなかで、様々な現象を自分の心で捉えれば、それは在家の"撥草參玄"になるのだヨということ。
48__________
[→目次]
【四八 乾峰一路】 乾峰和尚因僧問。十方薄伽梵。一路涅槃門。未審路頭在甚麼處。峰拈起杖。劃一劃云。在者裏。後僧請益雲門。門拈起扇子云。扇子勃跳。上三十三天。築著帝釋鼻孔。東海鯉魚打一棒。雨似盆傾。
越州乾峰禅師は僧の質問を受けた。
僧:「『楞厳経』卷五にこんな文章があります。
  "十方の諸仏は一つの路を通って<涅槃門>に入られた。"
  一体全体、この路は何処にあるのですか?」

乾峰、行脚に使う長い杖を取り上げて、空中の一画に直線を引いた。
乾峰:「ホレ、汝の目の前にあるではないか。」
その後になってのこと。
雲門文偃
禅師に同じ質問をして教えを請うた。
雲門は扇子を取り上げて、言った。

雲門:「それは、あたかも。
  扇子が跳び上って、三十三天に上り、
  その主の帝釈天の鼻の孔を突き上げるようなもの。
  あるいは、
  東海で泳いでいる鯉を棒で一打すると、
  お盆をひっくり返したように雨が降るようなもの。」

末尾を飾る素晴らしい公案である。
乾峰禅師の解答は模範的と言えよう。にもかかわらず質問した僧はポカン。頭を回転させない"ム〜ム〜ぜん"主義者かも。(驚いたことに、この公案を読む多くの現代人もポカンのご様子。)
当時の僧とは、お寺と呼ばれる住居に家族と住みついて、車でその辺りを出回る生活をしている人々とは訳が違う。何万Kmも、危険を厭わず乞食生活をしながら行脚するのが当たり前。従って、その一番の友は"杖"である。もちろん、身長を越える長さがあり、大流行りの現代の歩行補助具とは用途が全く違う。この先は危険な場所か、杖で探って路を見付けるためのもの。南方の山(寺)の周囲など草ボウボウで毒蛇だらけだから、これ無しに歩けるものではない。もちろん、無門禅師の註記のように、川があれば深さを確認し、渉る場所を見つけるのにも使う。(比喩ではなく、もともとは実用品。)
その杖で、空を指して一直線を描く仕草とは、行く先の路を確認する行為そのもの。
ところが、質問した僧は、「エッ、そんなところに路があるの!」としか、受け止めることができなかったのである。そのような御仁に解説を頼まれたのだから、雲門禅師もさぞかし往生したに違いない。
しかし、お蔭で、その解答が圧巻。
これは、段成式逝去後の事績だが、「酉陽雑俎」に記述されていそうな気がしてくるような内容。(つまり、「酉陽雑俎」には、禅宗の始原的問いかけ様式が含まれているということ。・・・龍になるという鯉の活魚を焼いて食べるとか、仏像焼却を行う風狂僧の話など、一体、ソリャなんなんだとなる話が収録されている。)この、雲門が引く東海鯉魚の話も、どう見ても媽祖信仰とからんでいる訳で、それが当該時代の仏教の体質であるのはほぼ間違いなかろう。
  →
「仏像焼却」
成式が細かく三十三天について記載しているが、それを知らねば、雲門の話もなにがなんだかわかるまい。おそらく、五欲を満たしてくれる娯楽が溢れる宮殿で暮らす王を、娑婆の世界からヒシャリとやる位でないと<涅槃門>にはとても入れまい、と言っているのだ。
つまり、形而上学的表現ではなく、一種幻想の精神世界を語っていることになる。そうしないと、論理学と哲学しか語れない衒学の小路に入り込んでしまうことを知っているからだろう。それは、成式流に言えば、宗教は、所詮は文化の一断面に過ぎないということになろう。

 --- 禅宗僧侶[「無門關」に登場する禅師]の系譜 ---
  (未確認断片情報集積なのでそのおつもりで。) _n_=本則番号
6,32,42釈尊/釈迦牟尼佛6,22摩訶迦葉22,32阿難陀
⇒商那和修⇒優婆多⇒堤多迦⇒弥遮迦⇒婆須密⇒仏陀難堤⇒.伏駄密多⇒婆栗湿縛⇒富那夜奢⇒馬鳴⇒迦毘摩羅⇒那伽閼樹那⇒迦那提婆⇒羅羅多⇒僧伽難堤⇒迦耶舎多⇒鳩摩羅多⇒闍夜多⇒婆修盤頭⇒摩拏羅⇒鶴勒耶⇒獅子菩提⇒婆舎斯多⇒不如密多⇒般若多羅⇒
"初祖"41菩提達磨[n.a.-528年]
"二祖"41慧可
"三祖"
"四祖"道信
"五祖"弘忍
北宗"六祖"神秀[606-706年]<会昌の廃仏[845年]で消滅した系統>
│└北宗"七祖"普寂[651-739年](「酉陽雑俎」に一行と共に登場)
宏正, 道, 法玩, 志空, 一行
南宗"六祖"23,29慧能[638-713年]
青原行思[673-740年]
│└石頭希遷[700-790年]
天皇道悟
│└28龍潭崇信
14,28徳山宣鑑[910-990年]
┼┼14雪峰義存
┼┼│├玄沙師備
┼┼││└羅漢桂
┼┼││26"法眼"清涼文益[885-958年]
┼┼│└15,16,21,39,48雲門文偃[864-949年]
┼┼15,18洞山守初[910-990年]
┼┼14巌頭全12瑞巌師彦[n.a.-887年]
薬山惟儼[745-828年]
┼┼道吾円智石霜慶諸[805-888年]39張拙
┼┼雲巌曇晟[782-841年]
┼┼┼洞山良价[807-869年]
┼┼┼┼10曹山本寂[840-901年]
┼┼┼┼48越州乾峰
荷沢神会[684-758年]南印
17南陽慧忠[675-775年]
永嘉玄覚
南嶽懐譲[677-744年]

30,33馬祖道一[709-788年]
30,33大梅法常[752-839年]
│└_3天竜_3
19,27,34南泉普願[748-835年]
│├46長沙景岑[788-868年]
│└1,7,11,19,31,37趙州従[778-897年]
塩官斉安
麻谷宝徹
2,40百丈懐海[749-814年]
40山靈祐[771-853年]
│├25仰山慧寂[807-883年]
││├西塔資福如寶
││└南塔光涌44芭蕉慧清[1079-1152年]興陽清譲
│└_9香厳智閑[n.a.-898年]
黄檗希運[n.a.-850年]
裴休
"1"臨済義玄[n.a.-867年]
三聖慧然
"2"興化存奬

"3"南院慧

"4"24風穴延沼[896-973年]

"5"43首山省念[926-993年]
広慧元漣
石門蘊聡
"6"汾陽善昭
慧覚
"7"46石霜楚円[986-1039年]
黄龍慧南
│├宝峰克文47兜率従悦[1044-1091年]
│└晦堂祖心39死心悟新[1044-1115年]
楊岐方会

白雲守端

35,36,38,45五祖(東山)法演[1024-1104年]
開福道寧
│└_8月庵善果[1079-1152年]
大洪祖証月林師観無門慧開[1183-1260年]
圜悟克勤[1063-1135年]
虎丘紹隆應菴曇華密菴咸傑20松源崇嶽[1132-1202年]
大慧宗杲

護國此庵景元[1094-1146年]
_4或庵師体[1108-1179年]
簡堂行機[1113-1180年]


(「無門関」を冠する書籍は多数ありますが、代表的なのはこんなところでしょうか。)
古田紹欽訳 角川文庫 1956年, 安谷白雲著 春秋社 1965年, 秋月龍a訳 PHP研究所 1990年, 西村恵信訳 岩波文庫 1994年, 山本玄峰著 大法輪閣 1994年, ひろさちや著 四季社 2005年, 魚返善雄訳 学生社 2013年
(参照) 臨黄ネット "禅語"


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