→INDEX ■■■ ジャータカを知る [2019.6.10] ■■■ [92] 孔雀護呪 →上座部常用経典「Mora sutta[孔雀経]」(C)真言宗泉涌寺派大本山法楽寺 漢訳は梵語の「大孔雀呪文女王Mahāmāyūrī vidyārājñī」という経典からだそうだが訳は数々。付け加えたい点があったので次々と生まれたのだろう。・・・ 帛尸梨蜜多(n.a.-343年)[訳]:「大金色孔雀王呪経」「仏説大金色孔雀王呪経」 鳩摩羅什(350-409年)[訳]:「孔雀王呪経」 伽婆羅(460-524年)[訳]:「孔雀王呪経」 義浄(635-713年)[訳]:「仏説大孔雀王呪経」 不空金剛(705-774年)[訳]:「仏母大孔雀明王経」 題名が物語るようにいずれも呪術。部外者には訳のわからぬ言葉満載だったりする。 小生は、それらの呪語の過半は天竺由来ではなく、中国で通用していた呪語の梵語音化と見る。「酉陽雑俎」を読むと、どう見ても中国は道仏教の呪術社会だからだ。しかも、「孔雀王呪経」は心おきなく呪語を追加できそうな経典でもあるし。 (言うまでもないが、このような見方が正しいか否かは調べようがない。中国は天子の下で中央官僚が管理する社会だからだ。日本とは違い、トレースできないように、梵語原典はすべて破棄されてしまう。従って、中国古代文献をいくら調べたところで何も解る筈がなく、それよりは、法隆寺保管資料を検討する方が余程実態をつかみ易いと思われる。) 素人にとっては、ジャータカの孔雀譚の呪語でもある詩の部分の英訳は理解が難しいが、意味はこんなところか。・・・ 黄金丘の野原に住むことにした孔雀は、夜明けには座して日の出を見つめることにしていた。 そして、自分の餌場での安全確保を願って婆羅門の呪文を作って唱えていたのである。・・・ 【1】日が昇ぼる 全てを見ている 王なりし 全てを照らす 黄金の光 輝やかし そのお姿に 祈るのみ 全てを照らす 黄金の光 護って下され 今日一日 この詩で、かように太陽を拝したら、入滅してしまった過去佛と全ての徳を拝し、次なる詩に繋げて繰り返すのである。 【2】およそ全ての 聖なる人よ 義なる人よ 聖なる礼に 通じてもいる 賢き者よ 私からの 敬意を捧ぐ 賢さと 敬うべき 知恵と自由 それに加えて 束縛からの 解放世界 危害を避けるため、孔雀はこの呪文を口に出して、餌を採りに出かけるのだった。 ほとんど丸一日飛んだ後、夕刻には戻って坐し、日没を見るために丘の天辺に。 そして瞑想。 自分を失わないように、そして邪心を生まないよう、さらに次の呪文を口に出した。 【3】そこに居るのは、全てを見ている 王なりし 全てを照らす 黄金の光 輝やかし そのお姿に 祈るのみ。 全てを照らす 黄金の光 昼間のように 夜通し続く 安全を 私は祈る 【4】およそ全ての 聖なる人よ 義なる人よ 聖なる儀礼に 通じている 賢き者よ 私からの 敬意を捧ぐ 賢さと 敬うべき 知恵に自由 それに加えて 束縛からの 解放世界 漢訳だと、「我此有眼唯一王 金色昇照世界者 ・・・」であり、詩として素敵で至極分かりやすい。 素人からすれば、ここでの太陽とは、廬舎那仏あるいは大日如来と言ってもよさそう。すでに大乗仏教的な信仰が表れているとも言えそう。 それだけではない。釈尊は呪術で布教をしなかったと言われているが、孔雀譚を読む限りそうは思えまい。孔雀王は、上記の呪語詩を唱えていたからこそ危難を逃れることができた、と言うのがジャータカでの骨子なのだから。 「酉陽雑俎」[續集卷七]"金剛經鳩異(金剛経の靈験)"で記載されている数々の危難回避話となんの違いもなかろう。 孔雀明王を本尊とした"加持祈祷"[→]の根拠とは、明らかにジャーヤカ孔雀譚ということ。修法は、その流れを強化したに過ぎないともいえよう。ただ、日本ではこの明王は特別扱いだったようである。 →孔雀経曼荼羅図 (C)高野山霊宝館 ちなみに、明王像だが、必ず孔雀の背中に座しており、明王なのに非憤怒相の一面で、四臂が多く、曼荼羅図絵とは違い独尊。 右第一手持物…開敷蓮華 右第二手持物…倶縁果(柑橘系) 左第一手持物…吉祥果(桃類似 or 柘榴) 左第二手持物…孔雀尾羽 おそらく、この信仰の元は、言われているように古くからのマハーマーユーリー[大孔雀]Mahāmāyūrī/摩訶摩瑜利崇拝なのだろう。 →ジャータカ一覧(登場動物) (C) 2019 RandDManagement.com →HOME |