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■■■ ジャータカを知る [2019.6.19] ■■■
[101] パーリ語
547の釈尊が語る前生譚を集めたジャータカは南伝の仏典であり、パーリ語で記載されている。

言うまでもないが北伝仏典はサンスクリット語(梵語)。日本渡来梵語仏典も僅少だが存在していたようだが、邦訳対象はもっぱら漢籍ばかり。しかしながら、漢籍記載の真言部分は意訳ではなく音訳なので、日本での表記は梵語や外来語表記としての片仮名にすることも少なくなかったようだ。おそらく、それが高貴感や天竺譲りの呪語感を与えたのだろう。
そんなこともあるのか、日本ではパーリ語版仏典は馴染みがほとんどない。現代になって始めて南伝仏典が日本にも紹介されたとの印象である。タイとの交流はあったにもかかわらず、キリスト教とは違い、隠れ南伝信仰者は生まれなかったようだ。

すでに書いたが、サンスクリット語の原典は中国ではすべて消滅させられてしまった。そのため、中国での翻訳時の削除加筆がどうなっているのかすぐにはわからない。しかも、インド仏教教団も中国仏教教団も、古くに、暴力的に壊滅させられたから、その内実を探るのは不可能に近い。しかし、常識的に考えて、中国仏教化が大胆になされたと考えてよかろう。
そんなことあるのか、欧州は早くから、仏教の成り立ちを探索するためにパーリ語版での研究が進められている。そのお蔭で、英訳の仏典をフリーで読むことができるのである。

つまらない話に聞こえるかも知れぬが、ココは肝心なところ。

インターナショナルなセンスを持っていたため自国の体質をよくわかっていた、唐代仏教徒インテリが執筆した「酉陽雑俎」(日本では妖怪博学の奇書とされている。読めばすぐにわかるが、為政者の姿勢や、仏教や道教の話から始まる訳で、全く目的が異なる書籍である。)を読んでいてよくわかったが、世の中を知ろうと思うなら文字や言語について関心を払う必要がある。それは、言語が抱える、語彙概念の違いからくる誤訳といった、避けがたい問題の話ではなく、どうしてそのような言語を使う必要があったのかという点に注意すべし、ということ。
つまり、サンスクリット語やパーリ語、その表記文字がどのような経緯で登場しているのか見ておく必要がある訳だ。

前段話が長くなりすぎたか。

インド亜大陸はその広さも人種や文化の多様性さでは、現在の欧州以上。言語総数も数百あったのは確実。ただ、乱立しているように見えるが、古代国家の一つ一つは欧州の国家の規模でかなりの広域国家だった。従って、古代からインテリはマルチリンガルだった可能性が高い。
釈尊はそんな世界で45年にも渡って遊行生活を送ったのである。
様々な言語を駆使できたと考えるべきだろう。しかし、説法に当たって、どの言語を使うかは悩ましい問題だったろう。必ずしも、一様な聴衆だったとは限らないのだから。
ジャータカ記載の説法地の大半は祇園精舎@コーサラ国と竹林精舎@マカダ国[→]後者は最強国家の首都であり、教団の主体が存在していたようだから、実際の使用言語はマカダ語中心で、コーサラ語がそれに次ぐ状況と見てよいだろう。しかし、この2つを交互にというのはいかにも不便。両者通用可能な単語ミックスと言い回しが急速に進んだに違いなかろう。そのうち、混合言語化に好都合な言語も見つかっただろうから、それを主体としたクレオール言語化が一気に進んだと考えることもできよう。それが、パーリ語そのものとは思えないが、その母体であると見たらどうだろう。
釈尊は、口述コミュニケーションでしか真意は伝わらぬと考えた人でもあり、誰でもがそれなりにわかる言葉で語ろうと努力したのだから、こうした流れは自然なものだし。
(釈尊の活動は、一重に、個々人が悟るための支援活動であり、教団はその道具にすぎない。ただ、その助力なしには到底無理と考えていたようだ。従って、統一言語で教義文書を残そうと考える訳もなく、パーリ語とはあくまでも口誦語。経典語であるものの、教義を記す散文言語ではないのである。)

つまり、パーリ語とは、インドにおける様々な言語の通常会話語の寄せ集め。釈尊のクレオール言語化を偲んで僧侶によって作られた言語であろう。パーリ語は通常話されることはないが、仏に帰依する言葉として、詩篇を口誦する言語として、皆が知るようになった訳だ。
(インドの言語とは系譜が異なる東南アジアへは、パーリ語仏典として伝わったと思われる。ここらの文字表記は、デザインは違うものの、基本コンセプトは全く同じでありその文化伝達と仏教渡来は重なっているのかも。インド南西岸のタミル辺りから、海路、ペトナムまで伝わったのである。従って、日本に伝わった可能性もなきにしもあらず。日本語のイロハ音はサンスクリット的に整理されているからだ。梵語を知るのはほんの一部の人々でしかない筈で、そのような高踏言語学が一気に通用訳もなく、イロハ的子音母音の言語構造が古くから存在していた可能性があろう。イロハ音的表記は中国言語ではなされておらす、イロハは海路東南アジアに伝わった仏典の言語表記形式と同じなのである。)

一方、北伝は、南伝のように詩篇口誦ではなく、散文からなる教義経典で普及が進んだのは間違いない。
それを加速したのが、梵語の存在である。完璧な散文用言語であり、文法や発音等々、現代の言語学からみても高度なもの。大衆が作り上げたものではなく、多言語を分析して祖言語を推定したもの。

インターナショナル教団化すれば異なる風習との軋轢も生まれるから、自ずとルールの明文化も不可欠となるし、哲学的な追求も加わっていくから、散文経典が登場するのは自然な流れ。すべての経典は釈尊の教えとされるものの、口誦詩篇の形式から、釈迦牟尼佛曰くという散文中心に転換せざるを得なくなったのである。
そうなれば、観想上の釈尊の言葉も次々と加わっていくことになり、様々な経典が生まれていくことになる。
もちろん、それらは釈尊の生の言葉とは違う。

どこまで釈尊の元の言葉かはなんとも言い難いが、ジャータカの詩篇が一番ソレに近そうに映る。


 【言語系譜】
──────日本語
──────苗語、瑶語
──────ベトナム語○、モン・クメール語▲
──────マレー語、ジャワ語▼、バリ語▼、タガログ語、台湾語、サモア語
──────ドラヴィダ語、タミル語●、テグル語●
非印欧語…南伝経路(海)
┼┼┼┼[宗教語]
┼┼┌───サンスクリット語…厳密文法雅語的文語
┌┤ベーダ語
││┌──パーリ語…詩篇口誦向通俗的典礼語
│└┤[民俗語]
├──[北部]パハール系
┼┼(ネパール・ガルワーリー)
├──[北西部]シンド語、カシミール語
├──[東部]マガダ系…釈尊が教導語として使用した可能性が高い。
┼┼(ベンガル・アッサム・ビハール・オリヤー)
├──[中央]ヒンドゥスターニー系
┼┼(ヒンディー・ウルドゥー・パンジャーブ・ラージャスターン・グジャラート)
└──[南部]マラーティー語、シンハラ語●@セイロン島
┌┤"インド〜イラン"グループ
││┌──アヴェスタ語…古語
││┌┤[宗教語]
│││└──ダリー語…ゾロアスター教
│└┤ヌーリスターン語
│┌──[絶滅]スキタイ語・バクトリア語
│├──[中央]ペルシア語
└┤[民俗語]
┼┼└──[西]クルド語、[北]タジク語、[東南]バローチ語、[東北]パシュート語
印欧語
┼┼┼┌─トカラ語
┼┼┼├─ヒッタイト(アナトリア)語@西アジア
┼┼┼├─ギリシア語
┼┼┼├─スラブ系
└───┤
┼┼┼┼├─ケルト系
┼┼┼┼├─ラテン系(伊・仏・西・葡)
┼┼┼┼└─ゲルマン系(北欧・独・蘭・アングロサクソン)
非印欧語…北伝経路(陸)
──────テュルク諸語、モンゴル諸語、シベリア・ツングース諸語
──────チベット・ビルマ諸語▲+タイ▲・カダイ諸語+シナ語

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