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■■■ 今昔物語集の由来 [2020.12.12] ■■■
[附58] 本朝天狗の独自性
天狗が親しまれているのは大ヒットした本邦映画「鞍馬天狗」のお蔭と言われている。小生はレトロなポスターやスチール写真以外に知らぬが、牛若丸に兵術を教授した天狗イメージを被せた痛快義賊物なのだろう。
その元である鞍馬寺は、1949年独立して新教義になったため、過去を推測するのは難しいらしい。
  770年 鑑禎(鑑真高弟) 草堂に毘沙門天安置
  796年 藤原伊勢人(造東寺長官) 鞍馬寺建立(観音菩薩)
  890年 峯延@東寺入山
  940年 鎮守社創建@山麓(由岐大明神@宮中)


和気ということで愛宕山を取り上げたが📖愛宕山物語、白雲寺が本朝では太郎坊と呼ばれる天狗の本山でもある。「今昔物語集」はその辺りに触れていないが、全体で見れば、本朝での天狗信仰の根強さを指摘している。実際、後世になると、天狗信仰は大流行する。
しかも、その姿も、烏烏帽子を被り長鼻で赤顔となり、高下駄に羽団扇の容姿にへと大変身。それと同時にポピュラーな存在と化したのである。
ところが、超有名な割に、その変遷過程はほとんどわかっていない。
情報がほとんど見つからないのだろう。
そうなると、ココは素人推論の出番か。

と言うか、本朝での天狗情報といえば、先ずは「今昔物語集」となるから気になるのである。他書と比較するべくもない程に、本朝天狗譚を揃えているのだ。[巻二十#1〜12]📖→
ここでの定義は、単純明快。
仏法に敵対する、術を使う"糞鳶"。山中に住むので修行者をたぶらかすことが多い。

この時点で、すでに本朝独自。

震旦に於ける天狗は文字通り天に居る狗。
「山海経」の紹介が一番の古層を示していると思うが、史書を含めて、様々な書に大同小異的に記載されているから、この定義に揺らぎはない。
解説不要だろう。
いかにも空に現れた流星を見た後、巨大な隕石が光と轟音を伴って、野獣が住む山中に落下した事績から生まれたのは歴然としているからだ。

要するに、そのような伝承を本朝に持ってこれなかったが、天狗の性情を鑑みてこの語彙を拝借することになったと考えるのが自然だ。
空を飛び、山で修行らしきことをするものの、清浄感の欠片もない生活をしており臭い上に汚れきった姿の人達を指しているのだと思われる。天竺で古代から現代まで続く修行者と似たところがあるが、本朝では穢れは忌み嫌われるのでその存在価値を否定したくなるのは当然の姿勢だろう。

ただ、それは俗人世界の感覚であり、信仰者は別な見方をしていた可能性も大いにあろう。その眼から眺めれば、"糞鳶"という称号はめっそうもない、ということになろう。

実際、後世にはそのような2つの見方が発生していたことが記載されている。
  天狗といふこと、聖教の確かなる文見えず。・・・
  近ごろ高野に聞こえし真言師も、
  天狗になりて後、大事の秘法を霊付きて、弟子に授けると言へり。・・・
  善天狗・悪天狗といふことあり。・・・

  [無住道暁[編纂]:「沙石集」1283年 巻八#11天狗の人に真言を教ふる事]

しかし、善天狗・悪天狗がいるとなれば、"糞鳶"としておく訳にもいくまい。さらに、悪天狗の悪さ加減もさほどのものではないとの話が拡がっておかしくなかろう。
かなり後世になるが、「今昔物語集」収録譚([巻二十#_2]震旦天狗智羅永寿渡此朝語)とほぼ同じストーリーの謡曲が知られており、現代でも演目にあげられる位だが、この段階になると当然ながら"糞鳶"扱いから脱している。
この変化は、資料的には、天狗モノ紙本著色絵巻である「是害房絵詞」1308年@磯長寺(「宇治大納言物語」ベース)成立辺りとなるのだろう。
学者の評定によれば、曼殊院本等は正統的大和絵技法と青蓮院流書体なので、貴族の読物と見てよいらしい。絵巻のハイライトは天狗が僧に打ちのめされた点ではなく、日本の天狗に大事にされて震旦に帰っていったところなのも納得感あり。
 大唐の天狗是害房/智羅永寿
 日羅房に
 賀茂河薬湯で介抱を受け回復。
 送別の歌会が開かれ、帰国して行く。


ソリャーこんなシーンに"糞鳶"でもなかろう。天狗の術を使う山岳修行者=山伏が貴族に大いに好まれたということであり、訪問する以上、装束上の変化が生まれて当然。羽は団扇になり、黒の僧衣をつけすれば、"烏天狗"になる。山伏=天狗となったと言ってもよさそう。
そのうち、嘴は烏帽子化され、陽根的鼻が付けられたのだろう。天狗が、陰茎を取り去ってしまう術を駆使する話が「今昔物語集」にも収載されているのだから。
もちろん、そんな姿を新たに生み出した訳ではない。巷で、よく言われているように、前者は迦楼羅の拝借で、後者は猿田彦から。
(迦楼羅と猿田彦が対応するとは思えないから、もともとは伎楽面の迦楼羅+治道であろう。)

実は、「今昔物語集」を読むと、天狗の巻でなく、出家の巻に天狗譚の欠文があることに気付く。これは、その辺りをどう考えるべきか自然に推定できる仕掛けと言えよう。
  【本朝仏法部】巻十九本朝 付仏法(俗人出家談 奇異譚)
  [巻十九#34] 比叡山天狗報助僧恩語 (欠文)

結論は単純。
比叡山の僧が、修行に邪魔ということで、山岳修行者を追い出したことが発端というに過ぎない。経典を軽視し、呪術一途で、場合によっては僧形でもないから、外道の仏法敵対者と見なし、天狗と呼ぶことにした、と考えれば辻褄が合うからだ。
そうなると、比叡の天狗が僧に帰依する話はあってしかるべき。しかし、厄介な問題が浮上しかねないので避けざるを得ない、と書いてあるようなもの。
天狗系は、最澄入山のはるか昔から大山咋神の下で修行していた可能性が高く、密教とは呪術という点でソリが合うと言っても、比叡的戒律生活にそうそう馴染めるものでないことは自明。
併存するしかない訳で、"迦楼羅+治道"と共に生きる道を選んだということだろう。
ただ、神祇系の流れも色濃いし、大衆と密であるから、その層に馴染みが薄い"迦楼羅+治道"ではなく、烏とか、陽物・猿田彦の世界が取り込まれたということだろう。

<天狗信仰の拠点> (江戸期成立の「天狗経」には48箇所掲載)
  ❼⑩⓵愛宕山(白雲寺) 「太郎坊」
  ❼⑩⓶比良山 「次郎坊」
  ⑩⓷飯綱山<飯縄修験> 「三郎坊」
    …白狐に乗った剣と索を持つ烏形"智羅"天狗
  ⑩富士山<高鉢権現> 「陀羅尼坊」
  ⑩白山
  ⑩🈪⓻熊野大峰山 「前鬼坊」
  ⑩羽黒山 「金光坊」
  ⑩⓹伯耆大山 「清光坊」
  ⑩日光山(輪王寺)<飯縄修験> 「東光坊」
  ❼⑩金峯山
  ❼比叡山 「法性坊」
  ❼葛城山 「高間坊」
  ❼息吹山
  ❼神峰山
  武州高尾山薬王院<飯縄修験>744年行基開山
  秋葉山 「三尺坊」
  高雄(神護寺) 「内供奉」…真済が死後天狗化
  ⓸鞍馬山(鞍馬寺) 「僧正坊」
  🈪⓺(英)彦山 「豊前坊」
  ⓼讃岐白峯山 「相模坊」
  筑波山 「法印坊」
  🈪羽黒山 「金光坊」


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