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■■■ 今昔物語集の由来 [2020.12.8] ■■■
[519] 愛宕山物語
和気氏の系譜を眺めたので📖和気家、「今昔物語集」に非登場ではあるものの、清麻呂について見ておきたい。

781年光仁天皇の勅で慶俊僧都と共に、神護寺を創ったという解説をよく見かけるからだ。

その場所は愛宕山の高雄山であり、最澄が渡唐前に説教を行ったし、帰還後空海が密教灌頂を始めて行ったことでもよく知られる。南都から北京の仏教中心の移行の契機を与えたように映るから、そこらを眺めておこうということ。

清麻呂は登場していないものの、愛宕山に関係する話は結構収録されていることもあるし。
  [巻十二#39]愛宕護山好延持経者語📖持経者
  [巻十三#16]比叡山僧光日読誦法花語
   《東塔千手院》《梅谷》⇒《愛宕護山》(石清水八幡宮)📖石清水の八童子
  [巻十七#15]依地蔵示従愛宕護移伯耆大山僧語
   📖「地蔵菩薩霊験記」
  [巻十九#_6]鴨雌見雄死所来出家語
   《愛宕護山ノ寺》 📖俗人出家
  [巻二十#13]愛宕護山聖人被謀野猪語📖野猪

愛宕山自体は山岳修行地として古くから有名だったらしく、8世紀初頭に役小角が泰澄を伴い開山とされている。
これは、後世の太郎坊天狗(「源平盛衰記」1177年初登場)を掲げる組織的山岳信仰に引き継がれてはいるが、天狗の護法化はかなり早くから進んだようで、「今昔物語集」では、仏教攻撃に来訪した震旦天狗は比叡山に行く。もちろん妨害を試みようとはするものの、即、退散の憂き目。([巻二十#_2]震旦天狗智羅永寿渡此朝語…"此ノ国ノ天狗"とは愛宕山天狗を意味するとの現代註もある。)

上記の781年勅で、愛宕山は大きく変わることになる。五台山の5峰に倣って愛宕五坊を創建することになったからだ。
  朝日峰…白雲寺
  大鷲峰…月輪寺
  高雄山…神護寺
/神願寺/高雄山寺
  竜上山…日輪寺
  賀魔蔵山
/鎌倉山…伝法寺
このなかでは、神護寺は特殊な扱い。もともとは古くから存在した私寺としての高雄山寺だが、同じく私寺と思われる河内神願寺の官僧を取り込んで一体化し、神護寺にしたようだ。
この辺りの名称は、はっきりした定義で分別できそうにないが、語彙からすれば、こういうことではないか。
  神願寺 神祇に仏教的宗儀を捧げる寺
  神護寺 神祇による国家護持の寺
  神宮寺 神祇祭祀中心の寺
  別当寺 神社管理役の寺
  鎮守社 寺を護持する神祇社

河内神願寺は諸説乱立で不詳だが、河内大県高尾山の神祇社に付属する神願寺ということではなかろうか。私寺は山岳信仰だったと思われるからだ。古代からの山信仰に付随する寺の密教化を図った動きと考える訳だ。

この流れを推進したのが、清麻呂の子達ということになる。
そして、空海を招請し、神護国祚真言寺(八幡神加護の国家鎮護真言寺)とする。
結局のところ、空海は狩場明神・丹生明神に出会うことで高野山に戻ることになるものの。
  [巻十一#25]弘法大師始建高野山語<📖仙人空海
   東寺をば実恵僧都に付く。
   神護寺をば真済僧正に付く。
   神言院をば真雅僧正に付く。


そして、愛宕権現を祀る白雲寺中心の山になっていく。
 本宮 伊邪那美命+勝軍地蔵(騎乗甲冑)
 奥因 愛宕権現太郎坊天狗
 6宿坊
  勝地院長床坊
  教学院尾崎坊
  大善院上坊
  威徳院西坊
  天台宗・真言宗両義の福寿院下坊
  宝蔵院

一方、一乗止観院@比叡を創設した最澄にも、入唐前にお呼びがかかるのである。
愛宕は密教普及の先鞭をつけたと言ってよいだろう。もちろん、最澄は出がけに八幡神を詣でて祈祷を捧げるのである。

ここに、神仏習合が進んでいく姿を見ることができるが、「今昔物語集」の終わりのご注意譚から考えると、おそらくそのように見てはいけない。

その前段階として、そもそも、最澄は比叡の地に"近江"日吉から本朝の"神"を招請しているからだ。
そして、もう一つあげておこう。
愛宕は役小角開山でもあり、もともとが山岳信仰の地そのもの。南都仏教の都の寺とは違う。
さらに注意が必要なのは、愛宕には"丹後"に元愛宕があると言われている点。
  阿多古神社/元愛宕神社@亀岡千歳国分牛松山507年

四事績話📖→を味わいながら考えていくと、本朝の歴史が透けて見えて来る仕掛け。

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