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■■■ 今昔物語集の由来 [2020.12.3] ■■■
[附51] 太子空海シンパ
「今昔物語集」の核心的箇所は、本朝付仏法[巻十一]冒頭だろう。📖座右の仏法話本の巻[巻十一]

すでに述べたように、三仏聖から始めていることで、特定宗派支持の立場ではない点をはっきりさせた点が大きい。
さらに、もう一つ大切な指摘がある。
日本は仏教国ではあるものの、その根底には非仏教の心情ありとしていそうな点。
本朝の社会を知るために書いた本であると語っているようなもの。
のんびりと全てを眺め、しばし考えていると、ようやくにしてそれがわかってくる。

冒頭の"三"仏聖の記述が光り輝いて見えてくると言ってもよいかも。
その象徴が、聖徳太子誕生の瑞兆。
それに次ぐ瑞兆は空海とされているから尚更目立つのである。📖懐胎の夢
これこそ、見識の高さと言ってもよいかも。

もっとも、これは素人だから感じているだけの話かも。

と言うのは、すぐに気付くことだが、空海登場譚には、なかばオチョクリ的記述も忍び込んでいるからだ。つまり、高貴な崇拝対象の聖人扱いをしていないようにも見え、気遣いがなされているということ。

これにピンとくると、「今昔物語集」編纂者の立場とは、太子空海シンパであることがわかってくる。

要するに、聖徳太子も空海も敢えて無理筋を追求したということ。
換言すれば、衆生救済の慈悲の心が余りに強すぎたからである。だからこその聖人なのである。

なかでも、聖徳太子の鎮護仏教国家のリーダーシップは特筆モノ。前方後円墳の御陵祭祀から、仏舎利塔祭祀へと、大転換を実現したのだから。
{この結節点以前を取り上げたのが、「古事記」(古い事績物語の集成書)で、以後が「今昔物語集」になる。]。}
しかし、仏教国の体裁を整えたものの、仏教の根幹である前世観と因果の理法が受け入れられたと言えるかはなんとも。鎮護国教化はそのような前提は必ずしも必要とはしていないからだ。
そして、実際、仏教を人々に根付かさせようとの動きに対して、中央政権は徹底的に抑制したのは明らか。教権を与えることはなかった。
それを完璧に無視したのが、聖徳太子を除く三仏聖である。聖徳太子は反仏教勢力に武力では勝利したものの、支配層の反仏教の実態には悩んだに違いなく、結局のところ政治から手を引いたのではなかろうか。
それが学門寺(斑鳩寺=法隆寺)創設であり、瞑想の場(夢殿)に繋がったと見てよいだろう。中央の政治勢力とは相入れようがないので、それ以外に道はなかったのだ。
("皇帝独裁+官僚統制"は儒教信仰を基盤とすることになり、仏教国家樹立は初めから無理筋であることに、「酉陽雑俎」の著者は気付いていたようだ。)

一方の空海だが、時代が全く違うだけでなく、もともと僧を目指していた人ではない。周囲からも、そんなことは期待されてもいなかったと伝わる。
しかし、様々な人々と接し、多くを学んで、仏教に目覚めたのである。そのため出発点は私度僧。政権とは無縁の、在家として修行に勤めることに。留学するため、その直前に僧となったと見てよかろう。
自分のなかでの思想的格闘の末、"公的"な仏僧となる決意を固めたことになる。

解脱を図り、悟りを開くことを目指して生きて行こうと決意したことがわかる流れだし、帰国後の活動から見て、山岳信仰者や社会事業家といった、中央政治から距離を置く宗教家の心根を受け継ぐ人でもあったのは明らか。

おそらく、本質的には、悟りを開くことを目標にする修行の人。しかし、衆生の現実の悩みに応える活動を棄てる訳にはいかないと考えていたことになる。
空海の密教一途の決断はそこにあろう。
衆生救済には、ご利益を与える呪術を"第一義的"に行うしかあるまいと。
これは教団運営上、危険な道に踏み込むことになりかねない。下手をすれば、解脱指向から、一気に呪術鍛錬最優先へと体質が変わってしまうからだ。そうなれば、大陸に於ける仏教の土着道教化と似た流れが生まれてもおかしくない。
留学した空海は、それを百も承知で密教に賭けたのである。教権が無い状態では、それ以外に衆生救済の道無しと見てのことだろう。南都の学僧の体質を変えれば、社会大変革が始まると見ていたとも言えそう。

従って、「今昔物語集」編纂者からすれば、空海 v.s. 最澄となるのは無碍なるかな。

簡単に言えば、聖徳太子が直面した矛盾に気付いた空海は、衆生救済には密教あるのみとした。最澄は、密教一途ではその矛盾を解決できないと見た。となれば、歩み寄りの余地はない。

最澄の方針とは、ともあれ、聖徳太子の心に戻れ、だろう。そここそが出発点なのだから、と言うことで。あくまでも法華経帰依の立場。幼少から僧になるべく全力投球していたから、それにブレは全く無い。
従って、聖人は聖徳太子だけでよく、自分の聖人化は避けたかったろう。密教は必要だが、そこに過度にウエイトが置かれてはならないのである。
従って、結局のところ、聖徳太子と同じ立場に立つ以外に道はなくなる。
当然ながら、比叡からは、衆生救済の新しい動きが生まれることになる。

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