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■■■ 今昔物語集の由来 [2020.10.16] ■■■
[附 38] 文芸書としての意義
"今昔物語集の由来"を書き始めた際に、芥川龍之介評(「今昔物語鑑賞」1927年)をとりあげた。📖鳥羽僧正
 "「生ま々々しさ」は『今昔物語』の藝術的生命である。
  そして、"この生ま々々しさは、本朝の部には一層野蠻に輝いてゐる。"
 "それだけではなく、brutalityの美しさである。
  或は優美とか華奢とかには最も縁の遠い美しさである。"
 だからこそ、
 "『今昔物語』は最も野蠻に、或は殆ど殘酷に彼等の苦しみを寫してゐる"

実際、かなりの数の話を作品に仕上げている。これを切欠として、「今昔物語集」が一般にも知られる存在になったのは間違いない。

しかし、日本文学を代表するとまでの世評を獲得した訳ではないことに注意を払うべきだろう。芥川の知己の作家が題材にするようにはなったものの、それが文壇の大きな流れを形成したようには思えないからだ。
その評価は基本的に仏教説話集というもの。そこに籠められたニュアンスは文芸的な代表作とは言い難いというもの。源氏物語と平家物語のランクではないとされたのである。
その代わり、文芸ではなく、民俗が見えてくる点で最高の書とされた。熊楠翁が愛しすぎたため、その意義がそこに閉じ込められてしまったかのよう。📖熊楠・魯迅・鴎外

ところが、それを突破する動きが生まれた。
古代、中古、近世、現代を画然と分ける発想から脱し、古事記・万葉集から始まり、今昔物語を経て、心中・好色モノ、芭蕉・蕪村・一茶から鴎外、熊楠。さらには、辻邦夫・丸谷才一に至る流れで、日本文学の展開を見るというもの。
小生的には、侏儒の言葉を入れて欲しかったが、素人目には、一部を除けば至極当たり前の流れに映る。だが、このような読者観点を表だって打ち出すことは、社会の掟破りとみなされかねない。そういう意味で、日本の風土のなかでは画期的なこと。
それが、池澤夏樹=個人編集:「日本文学全集」30巻。と言っても、失礼ながら、小生は読んでいないが。
ここに"8:今昔物語 福永武彦 訳・宇治拾遺物語 町田康 訳[新訳] 発心集・日本霊異記 伊藤比呂美 訳[新訳]が収録されている。

訳者福永武彦は、編者の父であるフランス文学者。1958年の出版。
「古事記」も翻訳しており、「今昔物語集」の重要性を早くから見抜いていたようだ。

池澤夏樹はこの編集を通じて、日本の特異性に気付いたという。流石に、あたりさわりのない発言でしかないが、指摘したい点だけは語っている。・・・
  具体的に他国とどこが違うかというと、「戦争の文学」、「武勲の文学」が少ない。
  他の国で言えば『イーリアス』や『ローランの歌』の類。
  戦記ものといえば、たとえば代表的な作品は日本だと『平家物語』です。
  でもあれは栄枯盛衰の話であって、戦争の場面もあるけど、それに特化していない。
  それから武勲でもない。・・・
  インド文学も『マハーバーラタ』なんてずっと神々の戦いの話ですよね。
  日本文学のテーマは、少なくとも近世まではずっと「恋」と「自然」ではないかということ。・・・
  日本人の精神にとって色好みはとても重要な要素です。
  中国文学に恋愛詩はほとんどないんですよ。
  ・・・色恋を語って、四季折々を詠って、それに哀感が漂う。
  こういう文学史は特異である。
    ["なぜ今、「日本文学全集」なのか? 池澤夏樹特別インタビュー"河出書房新社]


もちろん、ちょっと違うかナ、という気もする論旨である。
クドイが、震旦文化の基底には宗族祭祀の男系血族祖霊信仰の儒教がある。婚姻はあくまでもそのためのもの。当然、恋など御法度。宗族第一主義に反する行為を行う者は社会の敵なのだ。敵性あるいは、恥をかかされた宗族を殲滅することが、血族として子々孫々まで負わねばならぬ義務でもある。本朝の仇討ちとはコンセプトが違う。ただ、現実には、それでは社会が不安定化するので、天子と官僚組織によって管理するしかない。そのための道具が儒教道徳の本質。当然ながら合理的な対応となる。情緒的対応無用の世界。
本朝は、儒教の信仰はとりいれなかったから、そうならなかっただけのこと。

西洋の一神教も避けた。雑種社会としての歴史があり、箱庭的な環境での分権主義志向の体質だから、自然な流れ。しかし、それがお嫌いな人も少なくない。
帝国主義への対応で、儒教的精神支配を一気に進め、一神教の方向に動いたのはご存じの通り。島国だから平和主義だったとの論拠は余りに薄弱。女王の旗の下、世界を支配するとの大英帝国に倣って帝国化した結果というのに。

それはともかく、「今昔物語集」を本格的な文学として扱う姿勢は今までなかったこと。民俗的に興味深いとか、仏教唱導用譚で当時の様子が垣間見えるとの紹介が基本姿勢だったのだから。

とはいえ、芥川龍之介によって、一世風靡したようにも見えるから、そこらを眺めておこう。
冷静に眺めてみれば、知己の人々の間で一過性の流行はあったものの、後が続いたようには見えない。代表的な作品とはこの程度と考えるからである。・・・
  堀辰雄「曠野」1941年
  室生犀星…基本詩人であり、史実小説に幾つか含まれる。
  谷崎潤一郎:「少将滋幹の母」1949-1950年「乱菊物語」1930年


本気に、「今昔物語集」の中身が気になった作家は二人だけのようにも思える。
  [天台宗僧侶]今東光:「今昔物語入門 男とはかくも底抜けの色好みか」1968年
  丹羽文雄:「親鸞」1965‐69年


もっとも、日本には時代小説というジャンルがあり、その題材として魅力的なのは自明であろう。この場合、独自の時代小説アレンジに力が入るのだろうから、原典の意向に沿っているとは限るまい。
その切欠を創ったのは、いかにも分野に安易に入って来たという印象を与える作品ではなかろうか。
  菊池寛:「新今昔物語」「好色物語」
ただ、影響力はかなり大きかったのかも。小生は、かつて新田次郎の山岳小説をあらかた読んだことがあるが、「今昔物語集」にも関心があったことを知ったからだが。(「鳴弦の賊」)
どうも、本格的に題材を求めたのは、海音寺潮五郎のようだ。「王朝」によれば、かならずしも「今昔物語集」へのこだわりということではなく、被占領国での宗主国による言論統制があるため、他の題材にすると削除部分だらけにされるからだったらしいが。
結局、女流時代小説家の十八番題材に。この結果、大勢の読者を抱え、好評を博したということのようだ。翻案だけでなく、原典そのものにも取り組んでいる位なのだから。
  杉本苑子:「今昔物語ふぁんたじあ」
  田辺聖子:「今昔物語絵双紙/今昔まんだら」


こうした動きのお蔭で、「今昔物語集」が一躍前面に押し出されつつある。それはそれ結構なことだが、時代の違いを超越した見方が強まるので注意が必要だと思う。

引用譚でしかないにもかかわらず、これは作者の内面から持ち上がってきた、人に伝えたくなった物語りというトーンが出てきたりするし、民衆の意志が現れた作品といった評価が横行しかねないからだ。

"こうありたい"と考えるのは個人の自由だが、せっかく「今昔物語集」を読みながら、これでは、という思いに襲われてしまう。

先ず、押さえておくべきは、個人日記でもない限り、自由な表現などとてもできるような状態ではない点。表現機会は、あくまでも与えられて初めて生まれるもの。その一大チャンスをどう生かすか、苦闘しながら作品に仕上げた結果が「今昔物語集」。
何故に生々しいかといえば、現世では皆が苦しんでいるのだということで、自己憐憫に陥る体質に批判的だからだ。社会の圧力を全く感じることなく、その実、社会規範とされる善行に黙々と従う人々を見ていられないということ。
そして、本朝だけが恋の世界に入れあげていると見る情緒的解釈を嫌っていることも特筆モノ。海外で、恋が語られない訳ではなく、そのような話は逆に大人気であることを忘れるべきでない。儒教下であっても、「王家の恋」話は別途重要なのである。
仏教徒白楽天はいち早くそのことに気付いていたのはご存じの通り。
本朝の恋話とは、それとは異にする。野で草を摘む女性に天皇が求婚する歌垣的世界が展開するからだ。
それは、実は、久米仙人が懸想し結婚してしまうのと同根と見てよいだろう。

民衆の意志云々の方はすでに語ったが、民話の伝承者とは底辺の一般層ではない。お社が、大衆が自発的に集まって作られることなど有り得ないのと同じこと。

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