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■■■ 今昔物語集の由来 [2019.8.30] ■■■
[61] 東丹國
土着勢力安倍氏 v.s. 中央勢力源氏の12年間に及ぶ陸奥での戦いは巻二十五 本朝 付世俗(合戦・武勇譚)(#6〜14)で取り上げた。[→源義家]
ここで《安倍氏系譜》の核となっているのが、安倍頼時だが、最終巻に収録されている譚にも登場する。
  【本朝世俗部】巻三十一本朝 付雑事(奇異/怪異譚 拾遺)
  [巻三十一#11]陸奥国安倍頼時行胡国空返語

「今昔物語集」の編纂者の知的レベルの高さが光る譚である。
この譚は落とせない。武家の棟梁のスタッフは皆知っていた話だろうが、公言は避けていた筈なのだ。そこで、さりげなく入れ込んだのである。

それを理解するためには、先ずは、巻二十五の頭の平将門乱の意味をとらえかえす必要がある。[→平将門]
何と言っても、重要なのは「新皇」と自称したと記載してある点。細かく解説することは避けているが、どういうことかわかっている読者を前提にしているからである。
こういうこと。・・・
  今世之人、必以撃勝為君。
  縱非我朝、僉在人國。
  如去延長年中大赦契王、
   以正月一日、討取渤海國、改東丹國領掌也。
  盍以力虜領哉。

   [「将門記」天慶二年十二月十五日@群書類従巻第三百六十九]

「今昔物語集」は、日本人の天竺・震旦・本朝という、日本を中心とした三国的世界観でまとめられているとの解説だらけだが、小生はそう思わない。
この将門流の世界観とは、この時代の東アジア地勢図は以下のように解釈されているということ。当たり前だが、「今昔物語集」の編纂者は、将門レベルの情報などとうにご存じ。・・・
  ↓ 渤海[698-926年滅亡]…"東丹國"と名付けられ直接統治下に。
(契丹)大遼[907-1125年]…将門は"大赦契"と呼んでいる。
  高麗[_918-1392年]…994年属国化
    ↑ 新羅[前57-935年滅亡]…併合された。
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■北宋[_960-1127年]
西夏[1038-1227年]
大理[_938-1253年] □交趾 □蒲甘

つまり、安倍頼時行胡国の行先は、大遼の"東丹國"。全長521kmの豆満江北部で勢力をはる女真族のテリトリー。ここでの胡とは北狄(ツングース)を指す用語。

つまり、震旦とは、こういう原理で動く世界になってしまったと考えている訳だ。本朝は今のところそのような状態になってはいないが、平将門が登場したのだから、これからはどうかネ〜、と醒めた目で見ているのである。
インターナショナル観を持つが故に、実質的に中華帝国となった大遼や、朝鮮半島の高麗の文化には全く興味がないということでもある。

肝心な「安倍頼時行胡国」の本文紹介が後になってしまった。胡国は、北海道ではありえないし、とてつもない大河があるのだから、東丹國と見なすしかない。
こんなストーリー。・・・
 陸奥国の奥は、公に随わず、戦いを挑む夷が住む地。
 安倍頼時は、この夷と同心との噂が立てられており、
  源頼義が攻めてきたので、
  歴史を見る限り、反中央では勝ち目はなさそうなので、
  逃亡を決めた。
 陸奥の端から、北方にかすかに見渡せる地を目指して出船。
  大船である。
  乗船者は、子の貞任、宗任、等やその郎等。

 やがてその地に到着。
  高い崖が続いており上陸地みつからず。
  北上すると、葦原のなかに大きな河口発見。
  遡ってみたが、どこまでも両岸には広い葦原。
  30日ほど上流へと進んだが
   川はどこまでも深く、渡瀬がない。
  すると絵で見るような胡国人が1,000騎ばかり登場。
 馬を筏にして渡河。
   こんな地には居つけないと帰国。
 帰国後、しばらくして、頼時は死んだのである。


小生の推定に過ぎぬが、滅んでしまった渤海は日本に朝貢していたから、おそらく連衡を頼んだ筈。しかし、中央政府は無視。安倍頼時は、これならチャンスありと出かけていったのでは。ところが、東丹國は渤海の後継と言うのは見かけだけで、実態は中華帝国中央による直接軍事統治だったのだろう。騎馬軍団の威力を見せつけられ、これでは連携どころではなく、単に隷属を要求されるだけと分かったのだろう。

[ご注意]邦文はパブリック・ドメイン(著作権喪失)の《芳賀矢一[纂訂]:「攷証今昔物語集」冨山房 1913年》から引用するようにしていますが、必ずしもママではなく、勝手に改変している箇所があります。

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