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■■■ 今昔物語集の由来 [2019.8.24] ■■■
[55] 源義家
 八幡太郎[1039-1106年]
  【主君】 藤原頼通(摂関政治)⇒白河法皇(院制)
巻二十五 本朝 付世俗(合戦・武勇譚)は武家時代の曙光史、と書いたが、桓武平氏の次ぎは、清和源氏となる。
タイトルを並べるだけで歴然。
  [巻二十五#_6]春宮大進源頼光朝臣射狐語
  [巻二十五#_7]藤原保昌朝臣値盗人袴垂語
  [巻二十五#_8]源頼親朝臣令罸清原□□語(欠文)
  [巻二十五#_9]源頼信朝臣責平忠恒語
  [巻二十五#10]依頼信言平貞道切人頭語
  [巻二十五#11]藤原親孝為盗人被捕質依信頼言免語
  [巻二十五#12]源頼信朝臣男頼義射殺馬盗人語
  [巻二十五#13]源頼義朝臣罸安陪貞任等語
  [巻二十五#14]源義家朝臣罸清原武衡等語(欠文)
  [巻二十五#_1]平将門発謀反被誅語…源経基が登場する。

《清和源氏係累》
○清和天皇/惟仁親王

├┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬
○陽成天皇/貞明親王
┼┼┼┼┼○貞純親王
┌────┘
経基/六孫王[n.a.-961年]

├┐
満仲…多田入道
│○満政、満季、満実、満快、満生、満重、満頼

├┬┬┐
頼光…@摂津
頼親…@大和
┼┼頼信…@河内
┼┼│○頼信、頼平、頼明、頼貞、頼範、頼尋、源賢/賢快
┌─┘
├┐
頼義
│○頼清、頼季、頼任、義政

├┬┐
義家
│○義綱
義光、快誉

義親─為義─義朝─頼朝

この#6〜13譚のうち、以下はすでに取り上げた。

  [巻二十五#_6]春宮大進源頼光朝臣射狐語 [→源頼光]
寝殿造りの庭の狐を射たという話であり、実話だと思われる。
頼光は、無闇に動物を射殺すことを嫌っていたと思うが、主のしつような仰せに従わねばならなかったのだろう。従って、優れた武術を褒められたところで、さっぱり嬉しくもなかった筈。
その辺りをどう解釈するかが面白い訳で。

  [巻二十五#_7]藤原保昌朝臣値盗人袴垂語 [→袴垂]
題名になっているのは、勇士武略の長と呼ばれた藤原保昌朝臣だが、源頼信、平維衡、平致頼と共に、道長四天王とされている。後者の二人の系譜上の位置としては、坂東平氏の反将門派ということになろうか。[→平将門]

  [巻二十五#10]依頼信言平貞道切人頭語 [→袴垂]
源頼光の郎党 平貞道が、主人の弟である源頼信に全く知らない男を殺すように頼まれる話である。殺す気はなかったが、その男が馬鹿な対応をするので、結局殺してしまうことになる。
殺人は武士集団の日常的活動の一部ということ。
それがわかるのは、欠文となっている譚の題名。
  [巻二十五#_8]源頼親朝臣令罸清原□□語(欠文)
清原致信[n.a.-1017年]は藤原保昌の郎党。大和国の権益を巡って、源頼親との対立が抜き差しならぬところまで来たため、郎党間での殺し合いが発生したようだ。欠文なのが残念至極。
藤原道長:「御堂関白記」寛仁元年三月十一日に"一侍小宅清原致信云者侍介リ・・・乗馬兵七八騎・歩者十余人許圍来殺害了。…人々広云、件頼親殺人上手也。"とあり、その調子で記載する訳にもいかなかったか。
家系的には歌詠みだし、本来的には官人なのに、郎党となって殺し合いの世界に足を踏み入れてしまったのだろう。
《清原房則係累》
○貞代王…舎人親王[676-735年]の子

○有雄[n.a.-858年]

○道雄/通雄…大学頭 駿河守

○海雄…n.a.

○房則…豊前介

○深養父[889-931年]…官位は低いが中古三十六歌仙の一人。

○春光/顕忠…n.a.

○元輔[908-990年]…撰和歌所寄人 国司も歴任

○致信、戒秀[→祇園別当]、清少納言

戦記モノ的になってくるのはこの後。

  [巻二十五#_9]源頼信朝臣責平忠恒語
源頼信が、上総・下総を支配する平忠恒の乱/長元の乱[1028年@上総・下総・安房]を鎮圧した話を意味しているようだ。
しかしながら、一般に言われている安房守平維忠を焼き殺した話は微塵もない。
平惟基のアドバイスもあり、河口の香取を、船無しで、常陸から馬で平忠恒の支配域に侵攻したので、なんなく降伏させることができたというストーリー。
後世なら、八幡太郎に祈ることで渡河できたという話になりそうなところだが、極めて実証合理的な判断が下されている。もっとも、道を知っていた人物名は真髪高文で、常陸の相撲人の家系だから神憑り的なイメージがあるのかも。[→相撲人]

《桓武平氏係累》
○高望親王(柏原の桓武天皇の孫)

├┬┬┬┬┬┬┐
国香
│○良将
○良文/村岡五郎
│○良広
○良持/良将…将門の父 [→平将門(系譜)]
┼┼良兼
┼┼┼良茂
┼┼┼┼良正
○忠頼/経明[930-1019年]

忠恒/忠常[967-1031年]…母方祖父は平将門
├┬┐
貞盛将門に勝利
│○繁盛(大掾氏)@常陸
││○兼任
││
│├┬┬┐
│○兼忠
││○維幹≒惟基
││維茂
││┼┼安忠
││
│├┬┐
│○維良
維茂/余五(=貞盛の第15養子)
┼┼高衡(関氏)
├┬┬
維将
○維敏
維衡…道長四天王

○維忠

次ぎは、極めて重要な話である。

戦乱で抜群の力を発揮したと言っても、それは一過性であるかも知れず、それこそ団栗の背比べ的に挑戦者はいくらでもいるから、"源氏の棟梁"として兵を纏めるには人並み外れた胆力があることを知らしめる必要があろう。
頼光@摂津、頼親@大和、○頼信@河内の3兄弟は横一線に見えるが、この譚で勝負がついたようなもの。
  [巻二十五#11]藤原親孝為盗人被捕質依信頼言免語
藤原親孝とは、源頼信の家来で乳母子。
盗賊が親孝の家に押し入った。
 ところが、、一人っ子が人質にとられてしまう。
 刀を突きつけている状態で、なすすべなし。
皆、ただただ狼狽するだけ。
 親孝、急ぎ呼び出されるも、どうにもならず。
 主人に助けてもらうしかないと、
 頼信のもとへ行き、泣きつく。
頼信大笑い。
 それでは、行こうと、と。
頼信が、盗賊に対し、
 命が欲しいなら、子を解放せよ、と言うと
 賊は素直にそれに従う。
頼信は、その盗賊に、食糧と馬を与え、
 即刻立ち去れ、と。

不要ではないかと思うが、その子供は成人後出家、と。
ともあれ、これぞ我らが棟梁となること必定のお話。

駄目押し的に、源頼信の話が続く。
と言っても、頼信の跡継ぎは頼義で確定といったところ。
  [巻二十五#12]源頼信朝臣男頼義射殺馬盗人語
東国の名馬が頼信の舘に到着。
久方ぶりに、
 息子の頼義が御挨拶に、
 馬が欲しいと気付き、
 頼まれる前に、
 気に入ったなら
 持って行けと。
馬泥棒がずっと狙っていたが、
 途中ではチャンス無し。
 雨夜でもあり、
 舘に忍び込み、盗むことに成功。
厩で下人が気付いて大声。
頼信、跳ね起き、無言で独りで追いかける。
頼義も。
逢坂山で、追いつくが、盗人は気付かず。
真っ暗闇のなか、
 頼信、突然、「射よ」と言う。
 騎乗の盗人が落ちた様子。
 頼信、「馬を取って来い」と。
 そして、何も言わず帰宅。
郎党は、動き始めたばかりだった。
 頼信、なにも言わず寝所に。
翌朝、頼信、頼義を呼び、
 盗人を射落としたことを褒め
 馬を引き出させる。
 素晴らしい馬であった。
頼義、頂戴します、と一言。
 馬には、立派な鞍が乗せられていた。

これを、どうとらえるかだが、・・・
  "怪き者共の心ばへ也かし。
   兵の心ばへは此く有ける" と。
日本以外では通用しまい。

これらの前段譚を踏まえて、長い話が収載されている。
  [巻二十五#13]源頼義朝臣罸安陪貞任等語
戦いのハイライトとなるエピソードをいくつか集めた軍記モノ。中身は、【前九年の役】である。

繰り返すが、この巻は武士の時代に入っていくという歴史観をつかみ取るために設定されている。どのような統治スタイルが生まれていくのかがわかるように、兵文化が示されてきて、ここで戦乱の実態がどにょうなものか示されるのである。
軍記モノである以上、話は長い。しかし、勝利者側にとって重要な情報をできる限り記そうという列記的センスで収載している訳ではない点には留意しておく必要があろう。
あくまでも、はっきりさせたいのは、武士の棟梁が統治を実現していく流れ。
ただ、同時に軍記モノの"表現技術"本質もつかめるように考えた体裁になっている。戦乱の様子のうち、人々の心を動かすエピドードとは何かを考えさせるようにまとめてある。
直接的な文芸作品を目指している訳ではなく、軍記的文芸作品とはどのようなものかを修辞無しで示していると言ってもよかろう。

そんなこともあって、この譚を読むのは楽ではない。話が長いという意味ではなく、人名毎にある程度のイメージが必要なので、浅学の身にはつらいものがあるというに過ぎないが。

マ、早い話、土着の独立国家が樹立されそうな気配が強まる一方で、中央政権としてはこの芽を摘む必要があるが、圧倒的軍事力で一気に制圧できるほどではないので、戦乱が続いたということ。

土着側の体勢は単純であり、支配地全域が一枚岩となり、中央集権的組織が実現できれば、その力は凄まじいものになるが、中華帝国の思想や制度とは全く異なるので、支配地が広域化しすぎるとどうしても名目的一致団結になってしまう。
そんなことを感じさせる記述になっている。

土着側とは、俘囚とされる安倍氏である。
《安倍氏系譜》
忠頼

忠良

├┬┐
頼良=[大赦後改名]頼時[n.a.→1057年]
│○良照/良昭…僧籍
│ ○為元

太郎良任…盲目故に家督相続せず。
次郎貞任@厨川
三郎宗任@鳥海
四郎境講師官照
五郎正任@黒澤尻
六郎重任@北浦
七郎家任@鳥海
八郎則任@胆沢白鳥
九郎行任
女=平永衡(伊具十郎)
女=↓藤原経清
女=n.a.

 ・ 富忠…頼時を戦死させる。
   屋, 仁土呂志, 宇曾利も参加。

藤原経清は切れない刀による斬首をされる位で、頼義にとっては大敵であるが、土着軍事勢力を纏め上げる優れたスキルを持っていたようである。係累は栄華を誇ることになるが、どのように力を発揮したのかについての示唆は無い。
《奥州藤原氏》
○秀郷

○千清

○正頼

○頼遠


経清…頼時の婿

[1]清衡

[2]基衡

[3]秀衡

お話は、あくまでも中央側からであり、こんな具合に進む。

国司藤原登任は最初に頼良と戦うが敗退。
そこで派遣されたのが、源頼義長男義家/八幡太郎二男義綱。さらに、藤原説貞息子光貞息子元貞
そのうち、後任が指名されるも、高階経重は国司辞退。
頼義の発案で、金為時・下野守興重と俘囚軍勢で頼時勢力を壊滅させる。
しかし、その後、頼義側は貞任勢力に敗れる。戦死者続出。郎党、佐伯経範@相模も。どうやら残ったのが、藤原影道(息子 影季は戦死)、範季、則明に、大宅光任、清原貞簾という程の大被害。
そこで、俘囚@出羽清原光頼息子武則を連合軍に引き入れる。と言っても、実質的に武則軍が主導。
武則出陣に当たり誓い。
 「我れ既に子弟類伴を発して将軍の命に随ふ。
  死なむ事を顧りみず。
  願くは、八幡三所、我が丹誠を照し給へ。
  我れ更に命を惜しまず」
 若干の軍、此の言を聞て、皆、一時に励心を発す。
 其の時に、鳩、軍の上に翔る。
 守以下悉く此れを礼す。

次々と落としていく。
(集合地)栗原 営業岡⇒磐井 中山大風沢⇒磐井 萩馬場⇒小松楯⇒高梨宿 石坂楯⇒衣川関(藤原業道の縦)⇒鳥海楯⇒黒沢尻楯⇒鶴脛・比与鳥楯⇒厨川楯⇒嫗戸楯、と。
ここに至って、最期の止めであり、頼義は、
 馬より下て、遥に王城を礼して、
 自ら火を取て誓て、
 「此れ神火也」と云て、
 此れを投ぐ。

勝利が決まる。ハイライトは、「陸奥話記」と同じ。
  於是生虜経清。将軍召見曰。
   汝先祖相傳為予家僕。而年来忽諸朝威。
   蔑如旧主。大逆無道也。今日得用白符否。
  経清伏首不能言。
  将軍深悪之故以鈍刀漸斬其首。是欲経清痛苦久也。

後は、貞任、藤原経清、重任の首を京に送り届ける(藤原秀俊)ことと、戦犯処理。

[ご注意]邦文はパブリック・ドメイン(著作権喪失)の《芳賀矢一[纂訂]:「攷証今昔物語集」冨山房 1913年》から引用するようにしていますが、必ずしもママではなく、勝手に改変している箇所があります。

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