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■■■ 今昔物語集の由来 [2019.9.7] ■■■
[69] 仙境
日本には道教教団が存在していないにもかかわらず、不老不死ともされる"仙人"は存在していた。

よく知られるのは墜ちてしまった久米仙だけだが。[→久米仙人]
  【本朝仏法部】巻十一本朝 付仏法(仏教渡来〜流布史)
  [巻十一#24]久米仙人始造久米寺語
修行したのは、竜門岳[904m]の山腹南斜面に位置する龍門の滝の上に位置する、吉野 龍門寺(7世紀後半、義淵僧正が龍蓋寺/岡寺と共に建立)。ここは、神仙境とされており、大伴・安曇・久米の3人の仙人がいたとされている。

何れも、天孫降臨・神武東征で天皇に従って活躍した一族名だ。場所にしても熊野・宇田経由で大和制圧へと進軍する道程近辺。古くからい知られていそうな地。

しかも、一山越えると多武峰妙楽寺。ここには道教の"観"が造成されたようだし。[→多武峰]
  【本朝仏法部】巻十二本朝 付仏法(斎会の縁起/功徳 仏像・仏典の功徳)
  [巻十二#33]多武峰増賀聖人語
この譚で登場する隠遁者的な増賀聖人は、入寂に当たって、龍門寺の春久聖人と共に過ごす。両地をつなぐ道教的信仰が存在していた可能性を感じさせる話である。

それに、672年の壬申の乱で大友皇子を倒した大海人皇子は飛鳥浄御原宮で即位(天武天皇)しており、その地を見下ろすような場所が竜門山/岳。和風諡号は天渟中原瀛真人天皇とされており、"真人"とは紛れもなく道教における高位神仙称号。倭語で使われる単語ではなかろう。ここらの時点で、竜門仙境と明確に位置付けされたのだと思われる。それに伴って、臣としての仙も必要になったということか。そこらの話も、本当は掲載したかったようだが、道教が渡来したことを示唆する記述は問題が大きすぎるのだろう。
  [巻十一#37]□□□始建龍門寺語 (欠文)
ともあれ、参詣は大いに流行ったようである。
    「遊龍門寺」 菅原道真
  隨分香花意未曾 緑蘿松下白眉僧
  人如鳥路穿雲出 地是龍門趁水登
  橋老往還誰鶴駕 閣寒生滅幾風燈
  樵翁莫笑歸家客 王事營々罷不能

  竜門に詣でて滝のもとにてよめる ("伊勢"より) [「古今和歌集」巻十七#926]
 裁ち縫はぬ 衣着し人も なきものを なに山姫の 布晒すらむ

ともあれ、俗人から離れた環境で修行すると神通力を得ることができるとされている訳だ。
大陸の仙人願望は不死と直に結びついているからわかりやすいが、輪廻を土台とする仏教だと、直に結びつくことはない。
しかも仏僧は衆生救済を第一義的に考えている訳で、飛行術を身に着けてどうするつもりかは自明とは言い難い。

【本朝仏法部】巻十三 本朝 付仏法(法華経持経・読誦の功徳)は、法華経読誦僧に絡む4つの仙道譚から始まっているので、とりあえずざっと眺めておくだけにしよう。・・・

仙境には人跡はほとんど無い。仙人には、諸天童子が仕え、山の鬼神が礼拝する。
《義睿が会った持経仙人》
  [巻十三#_1]修行僧義睿値大峰持経仙語
 義睿は仏道修行のため、
  諸々の山々を廻り、海を渡り、諸国霊場を参詣。
 ある時、熊野に参詣。さらに大峰山から金峰山へ。
 ところが、帰途、山中で道に迷い方角も分からなくなってしまった。
  法螺貝を吹き鳴らしても駄目なので
  山頂に出て、四方を見たが、深山幽谷状況
  苦しみは十数日続いた。
 そこで、本尊仏に人里に出られるよう祈願。
  すると、平坦な林に。
  そこには、僧房があった。
   素晴らしい造作の上
   広い前庭には、白砂。
   植栽も沢山の木々と様々な花果と
   美しいこと限りなし。
 義睿大喜びで近付くと  僧房の中に20歳くらいの一人の僧。
   法華経読誦。声は貴く身に浸みる。
   読了した巻を経机に置くと、
    躍り上がり、紐が結ばれ元通りに。
  怪しいが、貴いと、恐れて見ていた。
 この僧立ち上がり、義睿を見つけて驚いた様子。
  「ここには、人が来たことがない。
   山は深く、鳥の鳴声さえまれ。
   何方か?」と。
 義睿は、仏道修行の途中で道に迷った旨、答える。
 房内に呼び入れてもらい食事が供された。
 満ち足りた気分に浸り、
  義睿は尋ねたのである。
  「聖人は何時からここにお住まいか?
   どうして思うようになるのか?」と。
  すると、聖人の応えは、
  「住んで、はや八十余年。
   もともとは比叡山東塔の三昧の座主の弟子。
   勘当されたので、愚かにも比叡山を去り流浪。
   年老いて、この山に逗留し、
     死期を待っているだけ。」と。
 義睿は怪しいこと限りなきと感じ、
  「誰も訪ねて来ないとのことですが、
   童子が3人もおられ納得しかねます。」と。
 すると、聖人、法華経の文言を引用。
  「天諸童子 以為給仕」
 しかし、義睿は、さらに問う。
  「聖人は、老境とおっしゃるが
   そのお姿は若々しさそのもの。
   私をだまそうとしているのでしょうか?」と。
 聖人、再び、法華経の文言を引用。
  「得聞是経 病即消滅 不老不死」
 そして、義睿に早く帰るようにと。
 それを聞いて、義睿、嘆く。
  心細く、身体も弱り果てているから、
  ここでお仕えをお願い致したく、と。
 聖人、諭す。
  「あなたを嫌いなのではありません。
   ここは、俗世間から離れ切った地。
   お帰りになるべきです。
   今夜お泊りになるのでしたら
   沈黙し動かずお座りになっていて下し。」と。
 夜になった。
  義睿、隙間から覗き見していると
   様々な怪物鬼神がやって来た。
   馬頭、牛頭、鳥首、鹿形、等々である。
   香花を供養し、
   果物・飲食物等を棚に供え、礼拝合掌。
  「今夜は怪しい。人間の気配がする。」との声。
  義睿は震えた。
  聖人は願を立て、法華経を夜中読誦。
  夜明け頃には皆帰って行った。
 その後義睿は聖人に尋ねた。
  「今夜の怪物共は、何処から来たのですか?」と。
 聖人は、法華経の文言を引用。
  「若人在空閑 我遣天竜王 夜叉鬼神等 為作聴法衆」
 そこで、義睿は帰ることに。
 行き方が分からなかったが、
  聖人が教えてくれた。
  「南に向かって。」と。
  そして、水瓶を縁に置くと、それはゆっくり飛んで行く。
 義睿、二時ほどで山頂に。
  山麓に里が見えた。
  すると、水瓶は飛んで消えてしまった。
 こうして村里に到着。
  そこでは、涙を流し、
  深山の持経仙人のご様子を語ったのである。


俗界の愛欲の情が生まれたら、仙人のもとを去らねばならない。自分で去る力はないので、仙人が帰してくれる。
《下野の僧 法空》
  [巻十三#_4]下野国僧住古仙洞語
 下野の僧 法空は法隆寺に住していた。
  顕教・密教の法文を学び、
  法華経を受持し日毎夜毎に三部読誦していた。
 しかし、突然、厭世気分に襲われ、
  仏道修行心が生じ、生国に帰り、
  東国の山々を廻って修業を重ねていた。
 ある時、
  未踏の山中に仙人の古い洞があることを耳にした。
  そこで、その場所に行き、祠があった。
   五色の苔で葺かれた上、
    扉、間仕切り、板敷、敷物にもなっていた。
 法空は、こここそ、仏道修行地にふさわしいと喜び、
  籠居を決めた。
  そして、長年、ひたすら法華経読誦三昧。
 そのうち、突然、端正美麗の女人が出現。
  素晴らしい食物を捧げて供養してくれたのである。
  法空は怖れ怪しんだが、食べることに。
  その味は甘美そのもの。
 そこで、女人に尋ねた。
  「あなたは、どういうお方ですか?
   何処から来られましたか?
   世間から遥かに離れた場所なのに不思議です。」と。
  女人は答えた。
  「私は人ではなく羅刹女。
   法華経読誦の長年の功徳で
   自然にやって来て供養させて頂いているだけ。」と。
  法空、限りなく尊いことと感じ入る。
 そうこうするうち、
  鳥・熊・鹿・猿等もやって来て、
  前庭で常に経を聞くように。
 その頃、良賢という僧が、
  陀羅尼をひたすら誦し
  諸国霊験所を廻り歩く修行をしていた
  たまたま、道に迷って辿り着いて来た。
 不思議に思い、法空は尋ねる。
  「あなたは、どういうお方ですか?
   何処から来られましたか?
   世間から遥かに離れた場所で人が来る所ではないのに。」と。
 良賢、山林で仏道修行中、道に迷った、ことを説明し
 逆に尋ねる。
  「聖人はどういうお方で
   どうしてここにおられるのか?」と。
 法空、経緯を詳しく語る。
 その後数日一緒に住んでいたが、
  正美麗な女人の羅刹女が訪れてきた。
 それは、法華経読誦でのことと聞いても、
  良賢は、里からの来訪者と見なしていて
  ついには、愛欲の心を生じてしまった。
 羅刹女は、それに気付き、法空に告知し、
  命を断つべしと。
 それに対し、法空は、殺人でなく、人間界に帰すべし、と。
  そこで羅刹女は忿怒暴悪の形に。
  恐れ迷ふだけの良賢は提えられ、一時で、人里に棄てられる。
 良賢は罪を悔い、法華経読誦に勤しんだ。


穀断ち、俗界との離別が、仙道の基本のようだ。
《興福寺僧 蓮寂》
  [巻十三#_2]籠葛川僧値比良山持経仙語
 葛川でのこと。
 穀物を断ち、山菜食で、何か月も籠って修行している僧がいた、
 ある時、夢に気高い僧が現れた。
  「比良山の峰に法華経読誦の仙人がおる。
   すみやかにそのもとに行き
   結縁するが良かろう。」と言われる。
 すぐに比良山に入って尋ねたが見つからず。
 何日も捜し回って、ようやく、法華経を読誦の声が微かに聞こえてきた。
  ところが、捜しても、声が聞こえるだけ。
  徹底的に探し回って
   ついに岩の洞窟を見つけた。
   傍らには笠形の大きな松。
   洞窟には聖人が一人で座っていた。
  聖人は骨だけで、青い苔を着物にしていた
 聖人が口を開いた。
  「何方か?
   ここには、人が来たことがないが。」と。
 僧は、
  「葛川に籠っている修行僧です。
   夢のお告げで、結縁のために参りました。」と。
 仙人は、
  「暫く近付かず、離れて居りなさい。
   人間臭さで目に染み、涙が出て堪え難いから。
   七日経ってから来るがよい。」と。
 僧はそれに従い宿泊。
 聖人は昼夜法華経読誦。
  僧は聞いているだけで貴く有難く感じた。
  多くの鹿・熊・猿・鳥獣が、木の実を持参し供養していた。
  僧はそれを僧に届けさせた。
 七日経ち、僧は仙人の洞に。
 仙人は僧に語った。
  「私は、もとは興福寺の僧。
   名は蓮寂。
   法相大乗の学者として、法相宗の法文を学んでいた。
   そこで、法華経の
    「汝若不取 後必憂悔」を見て、
   初めて菩提心が生まれた。
    「寂寞無人声 読誦此経典 我尓時為現 清浄光明身」を見て、
   興福寺から離れ、山林で仏道修行し、
   功徳を重ね仙人になることができた。
   この洞に来たのは前世の因縁。
    今や、法華経が父母。
    一乗を眼としてモノを見ることができ、
    慈悲を耳としてモノの音を聞くことがで、
    心の中で一切のコトを知ることができる。
    兜率天に昇って弥勒菩薩にお会いし、
    様々な聖者に近付いたりも。
    しかし、恐ろしい悪魔は近寄ってこないし、
    恐ろしい災厄の名を聞くこともない。
    思いのままに、仏を見、法を聞くことができる。
    洞前の松の木は笠の如きで、雨を避けてくれる。
    暑い時には日蔭を作ってくれる。
    寒い時には風を防いでくれる。
    自然にそうなっているのだ。
   そなたが来られたのも前世の因縁だろう。
   ここに住みついて修行するがよかろう。」と。
 僧は、仙人を敬うものの、
 修行に堪える力はないと思い、拝礼し去ることにした。
 仙人のお力ですぐに帰ることができた。
 その話を聞いた仲間の僧達も皆喜んだ。


本当に穀断ちしているかは、身体を見ればわかる。
《偽者》
  【本朝世俗部】巻二十八本朝 付世俗(滑稽譚)
  [巻二十八#24]穀断聖持米被咲語
 波太岐山の聖人は 穀断ちが長く、木の葉食とされていた。
 天皇の篤い信仰を受け、神泉苑に住居を与えられていた。
 若く活発で、もの好きな殿上人が集まって、
  あの聖人の穀断ちの様子を見ようということに。
 会うと、確かに、貴気を感じさせる。
  「穀断ちで何年になりますか?」と尋ねると、
  「若い頃からで、70になりましたから、50余年ですな。」と。
 それを聞いた一人、
  「穀断ちした糞はどの様なモノか。
   普通の糞とは似ていないだろう。
   行って見てこよう。」と言い出す。
 二〜三人で厠に行って見てみると、米が多くふくまれていたのである。
 これはおかしいということで、聖人の居所に行き、
  出かけたすきに、畳をひっくり返すと床に穴。
  土を掘ると、白米を入れた袋。
 殿上人達、「然ればよ!」
 聖人が帰ってきたので、皆で、
  「米糞の聖! 殿上人糞の聖!」と笑いながら囃した。
 聖人、恥て逃亡。行方不明。


もっとも、いやおうなしに穀断ちしている貧困生活者なら、仏法修行や法華経読誦など全くせずとも、清浄な心を持ち世俗を離れて、仙草を食べているだけでなれるという話も。
流石、「今昔物語集」。
《服仙草仙》
  【本朝仏法部】巻二十本朝 付仏法(天狗・狐・蛇 冥界の往還 因果応報)
  [巻二十#42]女人依心風流得感応成仙語
 宇陀の住民にに、生来、心風流で、他人に害を与えない女性がいた。
 七人の子供を生んだが、貧しくて食べ物も無い状態。
 子供を養う方策がなかった。
 しかし、毎日沐浴し身を浄め、綴織りの着物を着て、
 いつも野に行き、菜を摘んで生活を立てていた。
 家に居る時は、清浄にする役割を担っていた。
 菜を調理盛り付けて、微笑みながら、他人に食べさせたりも。
 これが日常だったし、極めて正直な心だったから
、 神仙が愛でて、仕えさせるようになった。
 そのうち、自然に感応が起き、
  春の野で採った菜を食するので
  自然と仙草を食べることになり、
  天を飛ぶ能力が身についた。

この手の話は、日本では珍しいのではなかろうか。
「今昔物語集」から当時の男女差別観を読み取ることはできるが、それは社会風俗を反映しているにすぎず、編纂者がそれを是としている訳ではないことが、こうした収載で見えてくる。「酉陽雑俎」も似たところがある。禁止の入墨を施すパンクにさえ暖かい目でその行為を描いたりするし、奴婢の言葉も平然と引用するのだ。
インターナショナルな文化を愛するということは、地理的な東西南北の異文化を受け止める寛容性だけでなく、身分や性別による恣意的な峻別観で眺めたりしないということ。

比叡山で修行していても道心を起こすと、仙人を目指すことになる。体得すると飛行でき、竜門寺北峰辺りで目撃されたりする。
《陽勝仙人》
  [巻十三#_3]陽勝修苦行成仙人語
 陽勝は能登出身で俗名は紀氏。
 11才で比叡に入山。師は、西塔勝蓮花院の空日律師。
 法華経を受持するように。
 聡敏で、一度聞くと覚えてしまう。
 幼時から道心一途。
 睡眠時間や休息時間の無駄もない。
 人々に対する哀心は深く、
  裸の人には、自分の衣を脱いで与え、
  飢えている人には、自分の食物を与えたり。
 蚊や虱が身を刺したり噛んでも、厭うことなし。
 法華経の書写と日夜読誦に精をだした。
 ところが、道心が強くなり、比叡山を去ろうと決めた。
 そして、金峰山の仙人が住んでいた庵に。
 さらには、南の古京の牟田寺に籠って仙人の法を学んだのである。
  始めは、穀断ちとて山菜食。
  次には、山菜を断ち、木の実食。
  そして、一日に粟一粒に。
  藤蔓の皮で織った粗末な衣を着用し、
  最後には、完全に食から離れたのである。
 衣食の欲望を断ち、菩提心にすがる生活に没頭。
 ついには、人間生活から去り、現世の跡を消し去ってしまった。
 着ていた袈裟は脱ぎ、松の木の枝に懸けて置いたまま。
  経原寺の延命禅師に譲ると言って、姿を消してしまう。
 禅師は陽勝を捜し求めたが、行方はわからず。
 ○ところが、吉野山で苦行中の僧 恩真達によれば、
  「陽勝はすでに仙人。
   身体には血肉無し。怪しげな骨と毛だけ。
   二つの翼があり、空を麒麟や鳳凰のように飛ぶ。
   竜門寺の北峰でそれを見たことがある。
   又、吉野の松本峰で比叡山の仲間の僧と会い、
   長年懸案の仏法不審点を議論していた。」と。
 ○別な話も。
  笙の石室に籠っていた修業僧。
  食を断ち数日を経ていたが、般若経を読誦していた。
  すると、青い衣を着た童子がやって来て、白い物を与えてくれた。
  食べてみなさいと言うので従うと、甘くて飢えが癒えた。
  僧は童子に、
  「どなたか?」と尋ねた。
  すると、
  「私は、比叡山の千光院の延済和尚に仕える童子でしたが、
   比叡山を離れ、長年苦行し仙人になった者です。
   師は陽勝仙人。
   この食物は、陽勝仙人がわざわざお与えになった物。」と話し、
  去っていった。
 ○その又、別な話もある。
  東大寺に住む僧に会って語ったという。
  「私は、この山に住むようになって五十余年。
   年は八十を過ぎた。
   仙道を修得。自在に、空を飛べ昇ることも、地に潜ることもできる。
   法華経の力で、仏にお会いし仏法をお聞きすることも。
   世の中を救い、衆生に恵みを与えている。」と。
  さらには、生国の親が病で嘆いて
  「最愛の子、陽勝仙人に看取って欲しいもの。」と言うと、
  それを知り、親の家の上に飛んで行き、法華経読誦。
  屋根の上を見た人によれば、読経の声は聞こえるが姿は見えず。
  仙人は親に言って去って行った。
  「私は長く娑婆世界を離れており、人間界に来ることは出来ない。
   孝養のためやって来て、経を誦し言葉を交わすだけ。
   毎月十八日、焚香・散花で私を待っていて下さい。
   香の煙で下りてきて、経を誦し法を説き、
   父母のご恩に報じたいと思います。」と。
 ○毎月八日には、本山にやって来ると。
  不断念仏を聴聞し、慈覚大師の遺跡を礼拝するという。
  西塔 千光院の浄観僧正が常のお勤めで、夜毎、尊勝陀羅尼読誦。
  長年の修行の功徳が積もって、聞く人は誰もがこれを尊んだ。
 ○陽勝仙人が不断念仏の聴聞へと、空を飛んでいた時のこと。
  僧正が声高く尊勝陀羅尼を誦していたので、感じ入り、
   僧房前の杉の木で聞き、さらに下りて僧坊の高欄の上に座った。
   僧正が気配を感じ、
  「どなたか?」と尋ねた。
   陽勝応える。
  「陽勝でございます。
   空を飛んでおりましたが、読誦をお聞きしに、やって来ました。」と。
  僧正が妻戸を開けて呼び入れると、
  仙人は鳥のように入って僧正の前に座った。
  それから暁まで語り合ったのである。
  陽勝は、
  「これにて、お暇。」と言い、跳び出そうとしたが上手くいかない。
  人間界にいすぎたからである。
  仙人は、
  「香の煙を近くに寄せて下さい、」と頼み。
  その煙に乗って空に昇って行った。
  それ以後、僧上は常に香炉からの煙を断たぬようにしている。
  仙人はかつて弟子であったこともあり、
   僧正は陽勝を恋しく思っており、その悲しみも深かった。


[ご注意]邦文はパブリック・ドメイン(著作権喪失)の《芳賀矢一[纂訂]:「攷証今昔物語集」冨山房 1913年》から引用するようにしていますが、必ずしもママではなく、勝手に改変している箇所があります。

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