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■■■ 今昔物語集の由来 [2019.7.13] ■■■
[13] 久米仙人
冒頭の【本朝仏法部】の最初、巻十一本朝 付仏法は38譚(うち5つは欠文)が収載されているが、それぞれ一事績に当てて、それを並べることにより仏教渡来〜流布の歴史を記述したようなもの。
仏教を示唆する欠片も記載されていない「古事記」の続編として、仏教しか書かない「今昔物語集【本朝仏法部】巻十一」を位置付けていると言えなくもない。

すでに、1〜8までは取り上げた。
  [1〜3]…本邦三仏聖 (聖徳太子、行基、役小角) [→]
  [4〜6]…留学僧 (道照、道慈、玄ム) →]
  [7〜8]…渡来高僧 (菩提僊那、鑑真) →]

引き続いて、平安京の仏僧譚に入るが、入唐八家のうちの4大師が並ぶ。この箇所はそのうち後述することにしよう。
  [9〜12]…密教大師 (弘法大師、伝教大師、慈覚大師、智証大師)

以上、僧侶を並べることで、日本の歴史をどのように見るべきか示唆しているのだが、ここからは寺の創建由来話になる。各譚の表題からすればこのようになる。
  [13]…東大寺 (聖武天皇)
  [14]…山階寺 (淡海公)
  [15]…元興寺 (聖武天皇)
  [16]…大安寺 (代々天皇)
  [17]…薬師寺 (天智天皇)
  [18]…西大寺 (高野姫天皇)
  [19]…法華寺・尼寺 (欠文) (光明皇后)
  [20]…法隆寺 (欠文) (聖徳太子)
  [21]…天王寺 (聖徳太子)
  [22]…元元興寺 (推古天皇)
  [23]…現光寺 (−[屋栖野による仏像護持])
  [24]…久米寺 (久米仙人)
  [25]…高野山 (弘法大師)
  [26]…比叡山 (伝教大師)
  [27]…首楞厳院@横川 (慈覚大師)
  [28]…三井寺 (智証大師)
  [29]…志賀寺 (天智天皇)
  [30]…笠置寺 (天智天皇御子)
  [31]…長谷寺 (徳道上人)
  [32]…清水寺 (田村将軍)
  [33]…広隆寺 (欠文) (秦川勝)
  [34]…法輪寺 (欠文) (□□□)
  [35]…鞍馬寺 (藤原伊勢人)
  [36]…信貴山 (修行僧明練)
  [37]…龍門寺 (欠文) (□□□)
  [38]…龍蓋寺 (義淵僧正)

興福寺はその前身の山階寺の名称にしている。巨大伽藍だから、興福寺とすべきと思うが不思議な感じがする。
しかし、「今昔物語集」の編者が、当代随一のインターナショナル感のあるインテリで自由な談義をするサロンの場を持っていた人であれば、そもありなん。
藤原氏の私寺イメージを嫌ったのだろう。もっぱら学問寺の道を歩んだ寺としたいのだと思われる。

それより、凡人にとって驚きは、この錚々たる創健者が並ぶなかに"久米仙人"の名前があること。
一般に、そのような僧侶とのイメージを欠いているからである。
 【本朝仏法部】巻十一 本朝 付仏法(仏教渡来〜流布史)
  [巻十一#24]久米仙人始造久米寺語

ここらが「今昔物語集」の真骨頂でもある。怪奇譚や面白話として伝承されている理由とその背景を知る手がかりをそれとなく記載していると見てよかろう。

まず、何故に、こうして並べると久米仙人に違和感ありとなるかといえば、煩悩に勝てず堕落したことで誰でもが知る存在だからだ。
そんなこともあって、江戸の街では不埒なことに人気者でもあったようだ。
  仙人さまあと濡れ手で抱きおこし[「誹風柳多留」十九]
  仙人の目にちらついた雪の肌[「誹風柳多留」七十四]
  嫁の洗濯仙人が落ちやすぜ[「誹風柳多留」九十一]
  女湯の番をしてたなら久米即死[「誹風柳多留」百一]
もちろん、昔から話題の人だったのは間違いない。
 "世の人の心惑はす事、色欲には如かず。・・・
  九米の仙人の、
  物洗ふ女の脛の白きを見て、通を失ひけんは、
  まことに、手足・肌へなどの清らに、肥え、脂付きたらんは、
  外の色ならねば、さもあらんかし。"
  「徒然草」第八段
現在でも、仙人のくせに、ワハッハだネ〜と言われていそう。愛すべき対象でもあろう。

しかし、なかには白樺派的にこうした解釈を変えたかった人もいた。(武者小路実篤:「久米仙人」)
貧しく汚いながらも一所懸命に日々の仕事をする下々を、飛行中に眺めてしまい、その生活の素晴らしさと美しさに気付いて落下してしまうという話にしている。仙人であるから、俗世間と交流でもすればたちどころに神通力を失う訳である。この場合、墜落死である。
読み方によってはピンボケ話となるが、ここには重要なポイントが隠されているとも言える。

日本における仙人とは、大陸の道教の仙人とは無縁であり、あくまでも仏僧だからだ。(久米仙人も吉野 龍門寺の僧。)道術を習得して不老不死を実現するため、穀食を断ち俗世間との関係も一切断つとという点では道教と似ているが、仏僧の仙人化は衆生から期待を集めていることを忘れるべきではなかろう。
期待を浴びて入山し、仙術を使えるようになったが、俗世間に関心を持ってしまい零落とは、なんとガッガリだネ〜、というのが久米仙人への態度ということ。

「今昔物語集」での久米仙人像は、そこらをよく捉えている展開。・・・
仙術修行していたのは2僧で、要領が悪くて遅れたのが久米仙人。そして、久米川で洗濯する若い女性の白い脛に見惚れて、仙力を失い、墜落。還俗し、その女と夫婦となって生活。
高市
@樫原の都 造営工事の徴発で人夫になると、過去の経緯から仙人と呼ばれ、仙術でなんとかならんのか、言われたりもした。一念発起し、潔斎断食のお籠り。一心不乱の七日後、見事その結果が。
天皇に事の次第が報告され、褒美を得る。これを元手に創健されたのが久米寺。弘法大師もこのお寺から経典を発見したそうナ。

由緒ある立派なお寺との創建譚ではあるが、久米仙人の人となりが読める話になっている訳だ。造営工事を成功させた、あちらこちらの山を出歩いていて状況を良く知っており、林業に熟達したプロと書いてあるようなもの。


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