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■■■ 今昔物語集の由来 [2019.9.20] ■■■
[82] 羅刹鬼
「鬼」をどのように定義すればよいのかわからぬ、在原業平の鬼の話[→]をしたので、天竺仏教時代からの正統的な鬼である"阿傍羅刹"譚を取り上げておこう。
  【本朝仏法部】巻十七本朝 付仏法(地蔵菩薩霊験譚+諸菩薩/諸天霊験譚)
  [巻十七#43]籠鞍馬寺遁羅刹鬼難僧語
もともとは、欠文扱いだったそうだが(さもありなん)【国宝】今昔物語集(鈴鹿本)@京都大学[→]に。こちらの場合、題名には"鬼"の文字は無いという。

筋はこんなところ。
 鞍馬寺に籠っている修行僧の話。
 薪を拾い集めて火を付けて夜の暖。
 深夜になり、
  女形の羅刹鬼が僧の所にやって来て
  火の前に居座る。
 僧は鬼に違いないとして
  金杖の尻を焼き、鬼の胸に突立て
  逃げ去って、
  お堂の西にある朽木の下に鏡こんで隠れた。
 羅刹鬼憤怒。
  逃げた跡を走って追って行く。
  僧を見つけると、大きく口を開けみついた。
 僧、恐怖にかられ、毘沙門天を念じ、救け給え、と。
 すると、朽木が倒れて羅刹鬼は圧死。
 助かったので、
  僧は毘沙門天礼拝に傾倒し、寺を出る。


インテリだと、これだけで、ふ〜ん、となる。

寒い夜の山奥でのこと。
そんな場所に浮浪者など来る筈がないと思っていても、社会の標準とはかけ離れた性分の人が多いから、人がいる所には誰かがやってくるもの。
そして、寒ければ暖なしにはいられまい。それだけのことと見ることもできよう。
乞食僧が了解も得ずに勝手に托鉢に入ってくるのと同じで、浮浪者も侵入してくるもの。僧なら迫害しないだろうと思っているからだ。と言うか、堂々と火にあたりに来るということは乞食僧そのものだったかも。
しかし、純粋培養の僧にとっては、それは得体の知れぬ異界の生物となる。寒くて震える人間として見るつもりは初めから全くないのである。と言うか、鬼と見なす根拠薄弱感を醸し出すように記述していると言った方がよいだろう。

そういう意味では、羅刹という見方は当たっているとも言える。
ジャータカを読めば、ラマ王子はシーターを羅刹から奪還することで人気な訳であるし。
そうした感覚がわかり易いのは人間界から外された阿修羅の扱いだが。[→]

護法勢力になるなら仲間扱い可能だが、そうでないなら鬼である。当然ながら、抹殺すべき対象。禁殺生の枠には入らない。考えてみればわかるが、それは当たり前。それを怠れば民族全体が抹殺されかねないからだ。天竺における現実的かつ実践的な対処方法と言ってよいだろう。
僧は、そのような観念をママ本朝に引き継ぎ、冬の夜、断りも無しに侵入してきた浮浪者に当て嵌めたのであろう。
「今昔物語集」の編纂者は、単なる鬼ではなく、天部の羅刹だからこそ収載したのである。
しかも鋭いのは、圧死した羅刹鬼についての措置を全く書かないところ。何か残っている筈で、それはどんなもので、誰がどうしたのか大いに気になるではないか。
なんだ、なんだ、圧死したのは乞食僧と違うか、と言い出す僧でも出てくれば大変なことになる訳で。
僧としては、いち早く、行方知れずになるしかなかろう。それは立派な処世術である。
「酉陽雑俎」だと、鬼と言い張る殺人がバレる話を直接的に語るから、この手の話があれば、読者はピンとくる仕掛けだが、本朝の風土ではそういう訳にはいかない。この譚は誤解を招くので欠文にせよとの圧力はあって当たり前。「今昔物語集」の編纂者は、そんな風土を楽しんでいるのである。震旦と違っていてよかったと心底思っていたに違いあるまい。

尚、題名は羅刹で鬼ではないが、本文では鬼とされている譚もある。
  【本朝仏法部】巻十七本朝 付仏法(地蔵菩薩霊験譚+諸菩薩/諸天霊験譚)
  [巻十二#28]肥後国書生免羅刹難語
 肥後の書生の話。
 朝晩、舘で公務に勤める生活。
 ある日、急ぎの仕事が入り早朝から出勤。
 従者無しで、独りで馬に乗って行った。
 舘迄、せいぜいが10町余りなのだが、
 行き付けず、広い野に出てしまった。
 終日行くうち、ついに日が暮れて来た。
 しかし、人家の屋根らしきものが見えて来たのである。
 行くと、人気が無い。
 家を廻ってから声をかけた。
 「どなたかおられませんか?
  ここは何と言う里でしょうか?」と。
 すると、女の返事。
 「どなたかお出でになりましたようで。
  すぐ、お入り遊ばせ。」
 書生はその声を聞いた途端、怖さがつのった。
 そこを押さえ、
 「道に迷ってしまいました。
  急ぎの用があり、結構です。
  道を教えていただければ。」と。
 すると、
 「そういうことなら、
  しばらくお持ちを。
  出て道をお教えいたしましょう。」と。
 出て来るとわかると、怖ろしさに耐え切れず
 馬ろ取って返し、逃げ出した。
 「待て!」
 という女の声が聞こえたので振り返ると、
 屋根の高さもあり、眼が光っていた。
 
の家に来てしまったとわかり
 鞭を打ってただただ逃げえるだけ。
 「何故に逃げるのだ。すぐに戻れ。」との声。
 書生は肝を潰し、心は砕けてはいるものの
 見てみると、
 身長1丈で、電光の如く目口から炎を出し、
 口を大きく開け手を打ちながら追って来る。
 観世音菩薩助け給え、我経の命を救い給えと念じ
 逃げ続けていたが、乗っていた馬が倒れてしまった。
 これで、喰われてしまうと思ったのだが、
 そこに墓穴があったので、その中に逃げ込んだ。
 鬼は追い付き、
 「あ奴は、何処にいるのだ。」と言っていたが、
 先ずは、そこにいた馬にらいついた。
 この言葉を聞いていたから、
 馬の後は我身は間違いなしということで
 隠れているのが知られなければと
 観世音菩薩助け給えと念じ奉るだけ。
 馬をらい終わると、
 鬼は穴のもとに寄って来て言う。
 「コレ、今日の我の食に相当する。
  どういうことで、それを召し取って分けてくれぬのだ。
  かくの如き非道な仕打ちを常に受けるのは
  我にとっては、嘆き愁ふべきこと。」
 隠れていることを鬼は知っていることがわかったのである。
 すると、穴の中から声が。
 「コレ、今日の我の食に相当する。
  従って、与えることはできぬ。
  汝は、すでに馬をったではないか。」と。
 書生は、どの道助からないと観念。
 穴の中にも別な鬼がいたのであるから。
 観世音菩薩を念じたが、
 命は救ってはもらえなかったのは
 前生の宿報なのだな、と。
 穴の内外でのやり取りが終わり、
 外の鬼は嘆いて返っていったので
 いよいよ内の鬼にわれると思っていると
 「汝は、今日鬼にわれる筈だったが、
  懃に観世音菩薩を念じたので、
  この難を免れることができることになった。
  汝は、これより、心から仏を念じ奉り、
  法華経を受持読誦し奉ること。」と。
 そして、「ところで、かくの如きことを語っている
  この私を、汝は、知っておのか?」と訊かれた。
 知らないと答えると、
 「我は、鬼ではない。
  この穴は、昔、この辺りの聖人がおり、
  西の峰上に卒塔婆を建て、 法華経を籠め奉たところ。
  その後、年月が経ち、卒塔婆も経も朽ちて滅失。
  ただ、"妙"の一文字だけが残っている。
  その一文字が我なのだ。 と言うことで、
  我は、ここで、鬼にわれそうになった人を
  999人救ってきた。
  今、汝を加えると1000に達したことになる。
  汝は、速やかにここを出て家に帰りなさい。
  汝は、仏を念じ奉り、、法華経を読誦すること。」
 と言うことで、
 端正な童子一人が副へられ、
 書生は泣き泣き礼拝し、
 童子に家に送ってもらえたのである。
 家の門まで来ると童子は、
 「汝、専心し、法花経受持読誦し奉るように。」
 と言って、消えてしまった。
 書生は泣き泣き礼拝し、
 夜半になって家に返ったのである。
 そして、父母妻子にこの事を具に語った。
 皆、喜び悲しむこと際限無し状態。
 その後、書生は、つとめて法華経読誦。
 さらにさらに観世音菩薩を恭敬するようになった。


ちなみに本朝以外で羅刹が題名に登場するのは以下の譚。
  【天竺部】巻五天竺 付仏前(釈迦本生譚)
  [巻五#_1]僧迦羅五百人商人共至羅刹国語
  【震旦部】巻七震旦 付仏法(大般若経・法華経の功徳/霊験譚)
  [巻七#15]僧為羅刹女被乱依法力存命語

ついでながら、この手の人喰い鬼だが、巨人であれば大太郎法師(=ダイダラボッチ)のイメージが被って来ておかしくない。一寸法師同様に、仏教伝来で法師化されたので、本来の名前は伝わっていないが、それが日本列島土着の羅刹である。
もちろん、山や湖を造るほどの超力持ちであり、妖怪とは無縁だが、折伏できないと、境界外の人々や仏教勢力は押し潰されたり、身体をバラバラにされるのだから、恐ろしい妖怪と見なされて当然。もしも、その鬼の体色が赤色だとすれば、それは身体や顔に弁柄を塗った古代海人の武人姿を模しているに過ぎまい。

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