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■■■ ジャータカを知る [2019.6.6] ■■■
[88] 阿修羅
Asuraはもともとは、生命(asu)付与(ra)扱いだったのが、アンチ(a)(sura)とされてしまったとの説があるらしい。

そうかも知れぬと思わせるのがジャータカの記述。
[#031]雛鳥譚
三十三天の宮殿に阿修羅Asuraが住んでいた。そこに神々の王、帝釈天Sakkaがやってきて、一緒に住む良さなどまるでないので酒で酔わせ、蹴って山Mt. Sineruの斜面に投げつけた。突き落とされた阿修羅は、武力で自分達の宮殿を取り戻すしかないと、山を登った。帝釈天は戦闘に立ち上がるも弱体。巨大な戦車に乗って南の山へと逃亡するしかなかった。
綿樹の森に深く分け入ってしまい、パームの林の刈り入れのようになってしまった。そこにはガルダGaruḷa達の巣があり大騒動に。それは、いけないということで、逃亡を止め、戻って阿修羅と対決することに。
阿修羅は帝釈天がなにか画策してやってきたと見て危ういと見て逃亡。帝釈天、はからずも支配に成功。

阿修羅は確かに"愚"だが、どこを見ても、"悪"の欠片も感じさせない態度。"悪"はどう見ても帝釈天とその神々では。
ガルダの巣の破壊を止めたことが、賞賛に値する行為だとしたら、とんでもない話であるが、どうもそう読むしかないような展開である。帝釈天勢力はなにをしようがかまわぬが、それに歯向かう輩は許せぬという以上の論理は無い。
言うまでもないが、帝釈天は釈尊の前生である。

要するに、天を帝釈天統括とする方針に従えということなのであろう。折伏したりもしている訳で。[#380]疑姫譚
ともあれ、阿修羅は"仏法"の大敵の代名詞的位置付けらしい。[#462]防護童子譚には、帝釈天が敵に征服されることが無いように、徳を積めば敵に征服されることなど無いとの詩があるくらいだ。指示されたり、誡めを聞かされるなどもってのほかとの体質の人々だったのであろう。

さらに、様々な呪術的武器を持つ勢力でもあったようだ。
[#267]蟹譚[→]には、余分と思われる話が加わっている。象に潰されてしまい、蟹爪だけがガンジス川に流れたのだが、一方は、王家の人々に拾われてÂnakaと呼ばれる小鼓に作りあげられ、海ではTitanが作りĀḷambaraと命名されたというのだ。これが帝釈天との闘いに持ち込まれたが、敗退し置き去りにされたので帝釈天が自分のものにしたというのである。後者は、雷鳴を呼ぶ雲の名称になっていると。

但し、酒好きで堕落している点での嫌悪感はありそう。代表的"fatal drink"としての酒を取り上げた話では直接的言及はないものの、Andhakas and Vṛishṇi raceが槍玉に上がっているからだ。[#512]瓶譚前者はシヴァに殺された阿修羅で後者はクリシュナ系部族。

ところが、おかしなことに、帝釈天妃は阿修羅の娘。
(興福寺の阿修羅像は少女的雰囲気を漂わせるし、その表情には憂いが籠っており、その由縁はここら辺りか。仏教に帰依したものの、出自たる誇り高き一族は殺してもかまわぬ特別な敵なのである。)
山羊に化け帝釈天と一緒になって王の自殺を止める話がある。[#386]驢馬子譚[→山羊]
性的戯れが目立つ動物が登場する話だが、ストーリーはそれとは無関係。おそらく、帝釈天の性情を示唆しているのだろう。
蛇を助けたことで、蛇王と仲良くなった国王は特別な呪文を教わる。王妃に迫られ、命を失うにもかかわらず、秘密を明かそうとする。そこを帝釈天に諭され、王妃に懲罰的な仕打ちを。

このペアは律法守護のお勤めが主たる任務なのであろう。
[#429]大鸚鵡譚[→]
鸚鵡の姿勢に感動した様が描がかれており、帝釈天は白鳥に化身し、妃である阿修羅の娘が先導役となり鸚鵡の住む森に入る。
見せかけでなく、真摯な態度で生活しているのかチェックするために"悪さ"を仕掛けてその反応を見るのは、現代常識では考えられぬ所業だが、古代インドでの感覚は違っていたようだ。

まるっきりの当て推量でしかないが、阿修羅とは、一切の支配を認めない部族主義者と言うことでは。ご都合主義的関係だけで、論理とか倫理が一切通用しないと言った方がよいか。奴隷制度の産みの親でもある。
ここで言う"奴隷"概念は伝わりにくいかも。身分制度で規定された底辺の労働者とか、人身売買の商品化させられた人々は、奴隷概念には入らないからだ。
本来、奴隷とは、カースト制度や職業の"クラス"とは次元が違うものだからだ。
排他的部族主義者の奴隷とは、生贄にされるために管理されて生かされているにすぎないのである。言うまでもないが、奴隷獲得が目的で他部族に戦争を仕掛ける訳ではなく、他部族絶滅が目標。皆殺しにしないのは、祭祀用生贄に必要な数だけ生かしておくのが得策だからにすぎない。だからと言って、むやみに殺し合いをする訳ではないし、承認無しにテリトリーに入らない限り、通常は、穏やかな交流ができる。しかし、面子を汚されたと感じたら、一変し、そのような部族を存続させておく訳にはいかなくなる。それだけのこと。

インド亜大陸の社会とは、膨大な数の部族集合体でもあり、そこで暮らしていく智慧として、早くから奴隷制を避けてきたと言うことでは。しかし、その流れに乗ることを是認できない人々もおり、それが阿修羅と呼ばれたのでは。
つまり、身分制度や職業階級とは部族主義を抑える手段でもあると言うこと。近隣に住む人々より、離れた同一職業の人の方が頼りになる社会なのだ。部族より重要なネットワークが存在している訳だ。

従って、阿修羅タイプの人々はこのような社会では息が詰まろう。部族社会体質を温存できる、宗教独裁者統治を望むことになろう。ジャータカを読むと、釈尊はその辺りの機微がわかっていた可能性が高い。

一方、"雑種社会"化で部族間の絶滅抗争を避けようと考える人達が次々と流れ着いたのが日本列島かも。そうだとすれば、箱庭的環境で棲み分けするしかない日本には、奴隷制度は当初からなかったと言えそう。つまり、阿修羅のイメージがさっぱり湧かない社会ということ。(しいてあげるなら「古事記」記載の土蜘蛛。)
空海は大陸でそのことに気付いたのでは。空海が考える十界@「秘密曼荼羅十住心論」には阿修羅は存在していないからである。
 一 地獄
 二 餓鬼
 三 傍生⇒畜生
 _ −−⇒阿修羅(削除されている。)
 四 人宮
 五 天宮
 六 声聞宮
 七 縁覺宮
 八 菩薩宮
 九 一道無為宮⇒如来
 十 秘密曼荼羅金剛界宮⇒〃


----- 参考 ----- @鳩摩羅什[訳]:「妙法蓮華経」《序品第一》
【阿修羅衆】
    有四阿修羅王
  ・婆稚阿修羅王
  ・怯羅騫駄阿修羅王
  ・毘摩質多羅阿修羅王
  ・羅候阿修羅王
    各与若干百千眷属倶。


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