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■■■ 今昔物語集の由来 [2019.9.21] ■■■
[83] 平安京の妖怪屋敷
本朝では、怨念を持つ死霊は、存命中に住んでたいた場所に居付いており、時に妖怪となって出現するとの強い観念が古くからあったようだ。そのため、都会の噂話と皆が語っていたようだ。・・・

先ず、当時、平安京で一番有名であった場所と思われる地から。巻ニ十七ではイの一番に記載されている。・・・
《鬼殿》
  【本朝世俗部】巻ニ十七本朝 付霊鬼(変化/怪異譚)
  [巻二十七#_1]三条東洞院鬼殿霊語
【由来の場所】
 遷都前の京 三条大路北・東洞院大路東の角
 そこには大きな松の木が生えていた。
【その後の変遷】
 "鬼殿"と呼ばれる空の屋敷に。
【当該場所で死んだ人】
 胡籙を背負って騎乗で通り過ぎようとしていた男
 雨宿りのため木の根元に座った
【死んだ原因】
 落雷
【状況】
 度々凶事発生。
 長い間、霊が住み続けていると見られている。
ご教訓としては、・・・
 其の後、京移有て、其の所、人の家に成て住むと云へども、
 其の霊、其の所を去らずして、于今霊にて有とぞ、

実は、俗世間的には、"鬼殿"はこのように語られていた訳ではない。
摂政藤原伊尹とその子孫に営々と祟り続けている怨霊、藤原朝成[917-974年:定方6男]が住んでいた家の跡と言われているからだ。
恥をかかされるとそれを洗い流すためには、血族の末代まで、その原因である一族の抹殺義務を背負い込むという宗族信仰がその根底に見え隠れするのが気にいらなかったのかも知れない。

続くは、すでに取り上げた話。[→源融]
《河原院》
  [巻二十七#_2]川原院融左大臣霊宇陀院見給語
【由来の場所】
 河原院
【その後の変遷】
 宇多院(天皇)の住居
【当該場所で死んだ人】
 源融
【死んだ原因】
 n.a.
【状況】
 夜、宇多院の前に融が登場した。
【対処】
 ここは我の家と言うが、
 正式に所有していると語ると以後登場しない。
その後も、人喰いらしき妖怪が出現するとされている。
  [巻二十七#17]東人宿川原院被取吸妻語

《桃園》
  [巻二十七#_3]桃園柱穴指出児手招人語
【由来の場所】
 一条北・大宮西の"桃園"藤原行成邸の東南にある部屋
【その後の変遷】
 西の宮の左大臣の住居
 その後、藤原行成は世尊寺建立。
 以前は貞純親王[873-916年:清和天皇第六皇子]邸。
【当該場所で死んだ人】
 小さい子供
【死んだ原因】
 n.a.
【状況】
 節穴から小さい子供の手が出て、人を手招きする。
 (2〜3晩毎、寝静まった夜中)
【対処】
 大臣、節穴の上にお経をくくりつけ拝んたが無効果無し。
 仏像をかけても変らず。
 本物の矢を節穴に刺すと手招きが無くなった。
 鏃だけ節穴に深く打ち込んでなくなった。
仏教的供養は全く奏功せず。矢を刺して、どうやら死霊を消滅させることができたことになる。

《僧都殿》
  [巻二十七#_4]冷泉院東洞院僧都殿霊語
【由来の場所】
 冷泉院南・東洞院東の角の不気味な空き屋敷
 "僧都殿"と呼ばれていた。
 戌亥の隅に高い榎
 その向かい側の冷泉院北には
  左大弁の宰相・源扶義の屋敷
  その舅の讃岐守源是輔も
【当該場所で死んだ人】
 n.a.
【死んだ原因】
 n.a.
【状況】
 毎夕のこと。
  僧都殿の寝殿の前から真紅の単衣が現れ、
  榎の木の方へ飛び、梢を登る。
【対処】
 ある日のこと。
  左大弁の屋敷の宿直男が、
   「あの単衣を射落してみせよう」と言った。
  周囲は、「そんなことはできない。」と言い、
   男を煽った。
  翌夕、男は僧都殿に入り、射た。
   単衣は中心を射貫かれたが、梢を登っていった。
   地面を見ると血だらけ。
  屋敷に帰って、そのことを語った。
  男はその夜就寝中に死んでしまった。
死霊は矢で射殺すことができるようだ。
仏教的な話にするなら、女の形見である衣を供養せず売却処分したので、成仏できず死霊と化したとなりそうなもの。しかし、鬼門の北東方向に移動せず、北西だから神道系伝承かも。

反道真の三善清行[847-918年]が購入した家についてはすでに取り上げた。[→紀長谷雄]
《三善清行宰相邸》
  [巻二十七#31]三善清行宰相家渡語
【由来の場所】
 五条堀川(松原醒ヶ井通)の荒れ果てた古い家
 一条戻り橋@堀川を想起させないでもない。
【状況】
 妖怪出現の家として知られていた。
  【本朝世俗部】巻二十八本朝 付世俗(滑稽譚)
  [巻二十八#29]中納言紀長谷雄家顕狗語
  【本朝世俗部】巻二十四本朝 付世俗(芸能譚 術譚)
  [巻二十四#25]三善清行宰相与紀長谷雄口論語

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