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■■■ 今昔物語集の由来 [2019.10.1] ■■■
[93] 油瓶鬼
題は"鬼"になっているものの、本文には"鬼"という用語は全く使われず、"物の気"という名称の踊る油瓶が目撃された話が収載されている。
但し、見たのは藤原実資だけかも。
  【本朝世俗部】巻二十七本朝 付霊鬼(変化/怪異譚)
  [巻二十七#19]現油瓶形殺人語
 小野宮の藤原実資[957-1046年]は学識豊かで、思慮深い。
  賢人の右大臣
(賢人右府)と呼ばれていた。
 罷出
(御所退出)にあたり、牛車で大宮大路を下って行った。
 すると、車の前に、少さな油瓶が踊って歩いていく。
 実資、これは怪しい、"物の気"の仕業、と見た。
 しばらく、それが続いた。
 ある屋敷の閉じられた門の前にくると
  油瓶は門の真下に入り、くるくると踊る。
  さらに、飛び上がり始めた。しかもどんどん高く。
  そして、狙っていた鍵穴に触れた。
  その途端、吸い込まれるように消えてしまったのである。
 実資は見届けてから屋敷に戻った。
 早速、家来に、
  かの家に行き、知らぬふりをして、様子を見てこいと。
 その報告によると若い娘がおり、
  最近は病に伏せっていたが
  今日の昼に亡くなったというのである。
 実資、
  「有つる油瓶は、
    然ればこそ、
    "物の気"にて有つる也けり。
   其れが鎰の穴より入ぬれば、
    殺してける也けり。」と。

評価としては、実資は只者ではない、と。ソリャ、こんなモノが見えるのだからその通り。
実資は怨念の物の怪と想定したらしいから、死霊ということになり、震旦流なら鬼だ。そんなことでタイトルはシンプルに鬼にしたのだろうか。
しかしながら、どのような経緯で怨念が生じたのかは全くわからないし、家についているのではなく、実資の車を先導した理由も見えてこない。
このことは、そこらは実資だけが知っている、ということか。

この藤原実資、いかにも真面目そうな人物に映る。
と言うことでか、南殿(紫宸殿)の公卿会議で申文を読む、主座 右大臣として滑稽譚にも登場してくる。[→小野宮実資]
流石に、主人公にする訳にはいかないが、笑いとばすのに好適人材ではありそう。

藤原氏の系譜的には直系であり[→能登沖鬼ノ寝屋島:部分系譜あり]、祖父の養子になったことで、半端ない資産を所有していることもあるし、故実に矢鱈と詳しいので、覇権を握った傍系の道長に一言いえる唯一の人物だったらしい。そんなこともあって、有名な歌も伝わっている訳だ。
  この世をば わが世とぞ思ふ 望月の
   虧たることも なしと思へば 
藤原道長 @藤原実資[日記]「小右記」
このシーンも圧巻。通常行うべき返歌を断り、参集者全員でこの歌を合唱したと。まさに、ワッハッハ。
別な話もある。御製を含め、主要な人々から歌を集め、立派な屏風を仕上げ道長に贈呈した時も、自らの歌は理屈をつけて入れなかったというのである。なかなかに面白い人物だ。

結構、長生きしたが、出家はお嫌いだったようで、ひたすら政治の場で動き回わる一生。それは、人間関係の機微をこよなく愛したということでもあろう。換言すれば、とんでもなき好色人間ということ。

油瓶の踊りは、そこら辺りで、実資を茶化しているのと違うか。美しい娘には、目がなかったお方だから、たまたま出会った娘を巡って、ライバルと大いに揉めた過去があったのでは。

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