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■■■ 今昔物語集の由来 [2019.10.22] ■■■
[114] 落盤事故生還
「今昔物語集」には、現代人にしてみれば、荒唐無稽な話が結構多いが、実話に近いと思わせる奇譚もある。

一つは落盤事故。

そのような話はすでに取り上げたが、生き埋めのうち一人だけが家に歩いて到着というストーリーなので実話感覚は生まれようがない。たまたま独りで穴の外にいて大事故が発生し動転してしまったのと違うかとも思ったりする訳で。
  【本朝仏法部】巻十七本朝 付仏法(地蔵菩薩霊験譚)
  [巻十七#13]伊勢国人依地蔵助存命語 [→地蔵譚]

こちらは、取り残された単独生き埋め。49日の法要後と言うのに、怪我もせず、奇跡的に救助されたのである。

無音無光の世界に入ってしまうとヒトは普段の感覚を喪失し幻想のなかで生きるようになると見られている。精神力が弱いとすぐに参ってしまうが、想念で生きるタイプだとそう簡単に死ぬことは無いと言うことでもある。動かなければ、恒温恒湿なので代謝量は最低限で済み、地底の水に養分があると長期間生存可能なのだ。
  【本朝仏法部】巻十四本朝 付仏法(法華経の霊験譚)
  [巻十四#_9]美作国鉄掘入穴法花力出穴語

 美作英多
[あがた/(現)英田]に鉄採掘の鉱山があった。
 住民10人を鉱夫として召し、山に入れて採掘させた。
 穴に入って掘っていると
 突然、鉱口が崩れて塞がってしまった。
 入っていた鉄掘人夫は
 恐れ迷て、競って出てきたが、
 1人だけは逃げ遅れてしまい閉じ込められてしまった。
 国の司より始め、これを知った上中下の人々は、
 際限なく哀れんで歎いた。
 穴に閉じ込められた者の妻子は、泣き悲しんだ。
 その日より写経を始め、
 七日毎の仏事を修し、
 後世訪問日の七々日も過ぎてしまった。
 一方、穴中の人だが、口は塞がっていたもの、
 内は空洞なので、命は失わずにいた。
 しかし、食物が無いので死を待つしかない。
 念ずるだけだった。
 「我は、先年、法花経書写を奉ろうと思って願を発した。
  未だ遂げずであるにもかかわらず、
  今、この難に遭遇してしまった。
  速に、法花経、我れを助け給へ。
  もし、助かって命が続くなら、
  必ず、仏を写して、お経を書こう。」と。
 そうこうして、穴の口の隙間に指を差し破ると、
 開通して、日の光が僅にさし込んできた。
 すると、一人の若き僧が、その狭き隙から入り来て、
 食物を持って来て授けてくれたのである。
 これを食べると飢餓感も直ってしまった。
 その僧が言うには、
 「汝の妻子は家に居るが、
  汝の為に七日毎に法事を修し、
  我に食を与えてくれた。
  この故、
  我は、汝に食を持来て与えているのだ。
  暫く待っておれ。
  我、汝を助けるから。」と。
 そうして、隙間から出て去っていった。
 その後、たいした時間もたたぬうち、
 この穴の口が、人が掘ってもいないのに、自然に開通したのである。
 そこから見上ると虚空。
 広さにして三尺余。高さは五尺余。
 しかし、居る場所からは穴の口まで、遥に高いので上れない。
 そんな時、
 その辺の30人以上が、葛の採断の為に奥山に入ってきて、
 この穴の辺を通った。
 その山人が通る影が差し込んだので
 大声で助けを呼んだ。
 山人は、ほのかで蚊の音の如く音が穴の底から聞こえたので怪んで、
 「もしかしたら、この穴の中が居るのでは」と思い、
 実否確認の為、石に葛を付け穴に落とし入れた。
 地底では、これを引き動かしたから、
 人が居るぞ、とわかったのである。
 そこで、葛で籠を造って、縄を付けて落し入れると、
 地底にいた人は、喜んで乗り、
 地上の人は集って引き上げ、
 見れば、穴に閉じ込められた人だった。
 そうして、まさに、帰宅となる。
 家人、これを見て喜ぶ事、際限無し。
 国の司、これを聞いて驚き、召して尋ねることに。
 具さに状況が語られたので、
 聞いた人は、皆、この事を貴び哀しんだ。


もう一つは狗 v.s.女童の話。
単なる実話であり、精神性が絡まぬと見て、犬/狗[→]として一緒にしなかったのである。

これは確かに奇譚だが、犬の本性について常識たるべきことが、人々から忘れ去られていることを示しているに過ぎないと思うのだ。

犬は古代からヒトの友である。ところが、現代世界でも犬嫌いは少なくない。犬もそれを見抜いていると、そんな人には敵対的態度を見せることが多い。
従って、"狗 v.s.女童"とは、そのウルトラ話に過ぎぬとも言えるのでは。たまたま異端どうしだったということ。

そもそも、「今昔物語集」では、野犬が野晒しになっている死体を喰う話は当然の如く書かれているし、仏教に帰依している以上、自分の遺骸を喰わせるつもりという人もそこそこ登場してくる。
飼い犬が野犬化すれば死肉喰らいや、弱者強襲は生きていく以上不可欠。十分な餌と躾あって、そうしないだけ。それを知らない訳がなかろう。もちろん、犬に教えると言っても限度があり、優しい闘犬とされていても飼い主さえ噛み殺すこともある。
知る人ぞ知るだが、教えないと、豚と同じように糞食も厭わないのが犬である。
ヒトと一緒に生活することで、犬が自分で学んでいき、自分が遵守すべきルールを覚えて、初めて良き友となるのである。無学の犬はひどい性情とならざるを得ないということ。
ご存じのように、イスラム圏では教書で不浄な動物とされているから、恐れる人もいて 迫害されることも。文化の違いでそこまで変わる。
  【本朝世俗部】巻二十六本朝 付宿報
  [巻二十六#20]東小女与狗咋合互死語
 12〜13才の女童の話。
 仕えている家の隣では、白い狗を飼っていた。
 どういうことかわからぬが、
 この狗は女童を見かけると、
 目の敵として、噛みつこうとする。
 そんなこともあり、
 女童も狗を見かけると、打とうとするだけ。
 この様子を見る人々も、
 怪しいコトと思っていた。
 そのうち女童は、病を患う。
 流行の中心地でもあり、日毎に病は重くなっていった。
 そこで、主人は、女童を家の外に出すことに。
 女童は、言う。
 「私を離れた所に出すと、
  必ず、あの狗に喰い殺されてしまいます。
  私が病でない時、人が見ているのに、
  見れば咋いついてくるのです。
  そんな状態ですから
  人が居ない所で重病で臥せっていたら
  必ず咋い殺されてしまいます。
  ということで、
  あの狗が知らない所にして下さい。」
 主人はもっともと思い、
 必要な品物をしたため、遠い所に秘密裡に出した。
 「毎日、一、二度は必ず、誰かを見舞いにやる。」
 と言い、家から誘い出したのである。
 その翌日、隣の家に狗はいた。
 それなら、あの狗は知らないのだろう、と安心していた。
 それが、次の日、狗は失踪。
 怪しいと思い、女童の所へ人を遣った。
 行って見ると、狗が咋いついており、
 女童もまた同じで、
 互いに歯を咋い違えてどちらも死んでいた。
 その知らせを聞いて、
 主人も犬の飼い主も駆けつけ、
 この有様を見て、驚き怪しみ、女童を哀れがった。

現代人だと、犬の有様より、女童の扱いの方が気になるかも。
この時代、死期に近づいていそうな人がいると、死の穢れを恐れて家から出されるのが普通だったようである。病を患う老婆だと、行く当てがなくても放逐される訳で、その死霊が鬼となる観念は極く自然なものと言えよう。

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