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■■■ 今昔物語集の由来 [2019.12.8] ■■■
[161] 和泉松尾寺僧の往生
往生譚を眺めていると、「今昔物語集」の編纂者の知的水準の高さに驚かされる。

「日本往生極楽記」からの再録と言えばその通りではあるが[→]、比叡山僧のところを見てわかるように、単にコピーしている訳ではない。そこには思想が籠められている。
注意して眺めると、色々わかってくる。

「日本往生極楽記」には、沙弥が2名収録されている。[#28,29]藥連と尋祐である。
言うまでもないが、沙弥は比丘の前段階であり、正式には僧ではない。と言うより、僧になることを前提としている段階の用語だろう。世の中的には両者は峻別されるべきだったことが、この書からわかる。
ところが、「今昔物語集」はそのような分類をしていない。

何故かと言えば、事実上比丘だからだ。事実上とは、社会的なもので、コミュニティから僧として信頼されており、多くの人が帰依していることを意味する。
しかし、仏教教団としては、沙弥は比丘ではないのであり、そのような扱いにならざるを得ない。帰依している人々にとっては許し難き処遇と言えよう。

「今昔物語集」の編纂者はソコを見抜いている。

薬蓮の話はすでに取り上げた。[→]
  【本朝仏法部】巻十五本朝 付仏法(僧侶俗人の往生譚)
  [巻十五#20]信濃国如法寺僧薬蓮往生語
【信濃】《如法寺》の藥連の往生話だがこれは凄い。道教的な遺体が消滅してしまう"尸解"なのだ。
高僧はいくらでもおられますが、こんな奇跡を起こされた方は一人でもおられますかナ、といわんばかり。
藥連に対する扱いが大いに不満な、薬蓮に帰依していた地元の人々の熱い思いが籠った話であるのは明らか。

続いては、かなり毛色の違う話で、奇譚とされているが、半実話ではないかという気にさせられる展開。
  [巻十五#32]河内国入道尋祐往生語

河内出身だが、妻子があり、棄てて出家は出来なかったということで、沙弥なのである。
話の舞台は、和泉 松尾寺。ここに住していた。
常に阿弥陀仏を唱え、仏像を造ったりと、功徳は十分で、50才を過ぎたころの元旦に入滅。その時、山中を照らす大光明。
それは寺の後の山林の大火事でもある。

松尾寺は完璧な山寺。土着の山信仰の上に成り立つ寺と見て間違いなかろう。役行者開基[672年]であり、その点で、似つかわしいといえよう。
しかし、仏寺としての真の開基は尋祐と見てもさしつかえなかろう。何故にそう思うかと言えば、地形的に見て奥深い修行地というより、山間地の谷間の上にあるからだ。
このような地形の場合、普通は林の経済的利用が早くから進む。人が入るから、山林火災も珍しいものではなかったと思う。つまり、この地は里山と繋がる後背地ということで、山林利用のルール作りが社会の安定性の鍵となる。それを支えたのが尋祐が広げた仏教と見てよかろう。

地域の人々は仏教に帰依というより、尋祐に帰依していたのである。しかし、仏教コミュニティでは、沙弥に過ぎず、ほとんど無視されることになり、人々は憤懣やる方無しだったと思われる。
従って、往生奇跡譚は不可欠となる。

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