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■■■ 今昔物語集の由来 [2019.12.27] ■■■
[180] 般若心経
「般若心経/摩訶般若波羅蜜多心経」は「大般若経」600巻の精髄を凝縮した経典。日本では玄奘三蔵[602-664年]訳出262文字版@649年がポピュラー。御存じ、お寺参詣時写経の定番である。

延暦寺の高僧長増念仏が乞食修行で四国を巡っていた話はすでに取り上げたが、
  【本朝仏法部】巻十五本朝 付仏法(僧侶俗人の往生譚)
  [巻十五#15]比叡山僧長増往生語 [→四国辺地] [→比叡山僧往生行儀]
そのなかで、
  "此の国の人は、心経をだに知らぬ法師と知たる也。"
との記述がでてくる。当時、すでに経典としては常識化していたようだ。

その「般若心経」を、玄奘三蔵が、入手した由来譚が収載されている。
  【震旦部】巻六震旦 付仏法(仏教渡来〜流布)
  [巻六#_6]玄奘三蔵渡天竺伝法帰来語
 仏法を求めて天竺へ行く旅の途中、
 全身に酷い皮膚病を患う女性と出会った。
 膿を吸い取れば治る、と聞いて、
 堪えがたき臭気を我慢し、吸っては吐いてを繰り返し、
 舌で舐めると皮膚はみるみるうちに元通りの綺麗な状態に。

皆、不浄の身であり、他人を穢いと見なせない、ということでの行為。
すると、その女性は観自在菩薩に変身し、有難いお経を伝授して頂いたという次第。「般若心経」は西域から渡来したのである。
お話としては、般若心経霊験譚なので、メインは別な話になる。・・・
 広大野原を行くうちに日が暮れてきた。
 宿泊できそうな所も見つからず、迷って歩いていた。
 すると、遥か向こうから、松明を燃した500人位の者共がやって来た。
 ついに人に遭遇と喜ぶのも束の間。
 近づいて見ると、人ではなく、異形の怖ろしげな鬼共。
 どうにもならないので、声を張りあげて、般若心経を唱えたのである。
 お経の声が聞こえて来ると、
 鬼共は散り散りになって逃げ去ってしまった。


震旦部には霊験譚が並ぶが、文書言語が支える帝国であるから、善行・功徳の基本は写経である。下記の#8など、「大品般若経」のたった3行を書写しただけで、しかもそのようなモノとしらないのに長寿(83才)のご利益を得たとされる。長命富貴のためならなんでもする人だらけだから、このインパクトは本朝とは比べものにならない。
煩雑になるので、題名だけ並べておくことにしよう。
  【震旦部】巻七震旦 付仏法(大般若経・法華経の功徳/霊験譚)
  [巻七#_1]唐玄宗初供養大般若経
  [巻七#_2]唐高宗代書生書写大般若経
  [巻七#_3]震旦豫州神母聞般若生天語
  [巻七#_4]震旦僧智諳誦大般若経二百巻語
  [巻七#_5]震旦并州道俊写般若大経
  [巻七#_6]震旦霊運渡天竺踏般若所在語
  [巻七#_7]震旦比丘読誦大品般若得天供養語
  [巻七#_8]震旦天水郡志達依般若延命語
  [巻七#_9]震旦宝室寺法蔵誦持金剛般若得活語
  [巻七#10]震旦并州石壁寺鴿聞金剛般若経生人語
  [巻七#11]震旦唐代依仁王般若般若力降雨語
【註】「大般若経」600巻は16会からなる。
金剛般若経/三百頌般若」…第九会"能断金剛分"(577巻)
「勝天王般若経」…第六会(17品: 566-573巻)
「文殊説般若経/七百頌般若」…第七会"曼殊室利分"(574-575巻)
「善勇猛般若経」…第十六会"般若波羅蜜多分"(593-600巻)
「小品般若経」…第四会(29品:538-555巻)
(「八千頌般若」(四分欠缺)…第四〜五会(538〜565巻))
「一万八千頌般若経」…第三会(31品 :479-537巻)
大品般若経/二萬五千頌般若」(末尾欠)…第二会(85品:401-478巻)
「十万頌般若経」(含非対応)…初会(79品:1-400巻)
「理趣経/理趣百五十頌」…第十会"般若理趣分"(578巻)
「濡首菩薩経」…第八会"那伽室利分"(576巻)
「五波羅蜜多経/一千八百頌般若」…第十一〜十五会(579〜590巻)


本朝の霊験は蘇生譚から。
場所は、上田〜東御の渡来人が多かった地域で、軍馬飼育をしていたと目される大伴氏の話。
  【本朝仏法部】巻十四本朝 付仏法(法華経の霊験譚)
  [巻十四#30]大伴忍勝発願従冥途返語
 信濃小県 嬢[乎宇奈@東部 本海野]里の大伴連忍勝が、
 同心の者達と共に、氏寺を造った。
 そして、
  「
大般若経を書写し奉らむ。」
 と願をかけ
 剃髪受戒し寺僧に。
 ところが、寺の物品を私的に流用したため
 774年3月のことだが、
 檀越に暴行を受け死んだ。
 ところが、5日後に蘇生し墓から出てきた。
 その経緯を親族に語ったのである。
  5人の冥土の使者に連行され
  沸騰した湯釜に投げ込まれたが
  すぐに冷え、釜も割れてしまった。
  そこで、善行を尋ねられ、
  600巻写経の願だけで
  寺物の私的流用の報いがあると答えると
  戻って願を果たし、寺物も贖えと言われ
  地獄から帰って来た。

 
続く譚の地は、利苅だが、おそらく渋川竹渕@八尾辺り。平野川の要所であり、渡来系の人々が多かった筈だが、もともとは神武東征に抵抗した原大和の民の地でもあろう。
  [巻十四#31]利苅女誦心経従冥途返語
 聖武天皇[724-749年]代のこと。
 河内の利苅村主の女の話。
 生来、心身清らかにして、仏・法・僧を敬い、
 何時も心経読誦を旨としていた。
 それが貴い声なので、僧も、在俗も、親近感を覚えていた。
 ところが、ある夜のこと、
 病気でもないのに、突然、死去。
 閻魔王宮に行くと、大王は女を見て、
 敷物を敷いて席を設け座らせた。
 「そちは般若心経を上手に誦していると聞いたので、
  その声を聞きたいので、呼んだのである。」と。
 早速、女が心経を唱えると
 閻魔大王は涙を流して喜び、跪いて拝礼。
 「極めて貴いことである。」と。
 こうして、3日間閻魔王宮で過ごし、帰還の途に。
 王宮の門を出た所で、黄色の衣を着た3名と出会ったが、
 皆、大喜びで、
 「以前お目にかかりましたが
  この頃はお会いできず、
  大変恋しく思っておりました。
  このような場所で、偶然に、
  お会いできるとはできるとは思っておりませんでした。
  早く、お戻りあそばせ。
  3日後、奈良京の東市でお会いしましょう。」と。
 知らない人だったが、それを聞いたら生き返った。
 と言うことで、当日朝、東市に行ったが
 冥土で会った人は来ていなかった。
 しかし、卑賎と思しき者が、声をあげてお経を売っていた。
 女が売り物のお経を手に取って開けてみると、
 昔、自分が行った写経だった。
 「梵網経」二巻と「心経」一巻。
 それらは書写したものの、供養の前に盗まれたものだった。・・・


所謂、奇瑞譚も収録されている。登場するのは 百済渡来僧。
こちらの場合、年代から見て、美しい言葉の玄奘三蔵版以前のお経であろう。
  [巻十四#32]百済僧義覚誦心経施霊験語
 義覚は、百済渡来僧。
 百済国滅亡時
@660年に、
 本朝の難波 百済寺
⇒堂ヶ芝廃寺@天王寺に住することに。
 身長7尺。仏教を広く学んでおり、
 もっぱら「般若心経」読誦。日夜怠らず。
 その頃、同じ寺にいた僧が夜半に房を出て行くと、
 義覚の居る所から光が出ていた。
 輝き渡っているのを見つけた。
 怪し、と言うことで、覗き見すると
 端坐してお経を読誦していたが、
 その口から光が出ていたのである。
 驚き、怪しんで戻って
 翌日、このことを広く寺僧達に語った。
 そこで、義覚が弟子に言うことには。
 「我、一夜に「心経」読誦すること1万回。
  昨夜、読誦途中で目を開けて見ると、
  室内の四方は光輝いていた。
  奇異なことと思い、
  室から出て、一巡してみると、光は無くなっていて、
  戻ろうとすると、戸が閉っていた。
  本当に稀有な事だった。」と。


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