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■■■ 今昔物語集の由来 [2020.2.13] ■■■
[228] 羊の孝子ぶり
🐐震旦部の巻九は全46譚からなり、"孝養"と題されている。

ところが、いかにもそれにそぐわない話だらけ。
おそらく、ここだけを読み込み、真剣に取り組めば取り組むほど編纂意図がわからなくなってくる筈だ。
と言っても、「孝子伝」からの引用譚が巻頭と末尾に並ぶので(#1〜12, #43〜46)、題名がまるっきり違うということではない。
そんな箇所だけはすでに取り上げた。[→「孝子伝」]

よくわからなくなる大きな原因は、孝行とはおよそ無関係なジャンルの冥途転生譚集 「冥報記」からの編集を加えた引用だらけだから。(例えば#13。[→亀])

常識的には孝行というより悪行だったりするから、これはどういうこと、と感じさせることになる。

しかし、「今昔物語集」が3国譚集の体裁になっている理由を、文化圏指摘のための構成と考えるなら、この巻はよくできた編成と見ることもできよう。
つまり、「孝子伝」からモロ儒教的な仁義系の話を引用するつもりなど更々ない筈。中華帝国の血族第一主義の儒教風土に対する批判精神発露ということで熟慮の上で選ばれた譚ということになる。
但し、これはかなり恣意的な見方であるのは間違いなく、「酉陽雑俎」のような書を通読していないと、そんな考えが浮かぶことはまずなかろう。

その辺りをご理解頂くために、#17〜18譚に触れておきたい。

読めば、誰でもが、このどこが一体「孝子」となるのか疑問を覚える筈だからだ。これらは"非"孝子の悪業応報としての「畜生」転生譚以外の何物でもないのである。
  【震旦部】巻九震旦 付孝養(孝子譚 冥途譚)
  [巻九#17]震旦隋代人得母成馬泣悲語
  [巻九#18]震旦韋慶植殺女子成悲語
  [巻九#19]震旦長安人女子死成告客語

羊転生譚を取り上げたいが、その前段として馬転生譚があるので、ここから。

 大業代[605-618年]、洛陽。
 母親生前のこと。
  母親が息子の米五升を娘に与えた。
 母親死後のこと。
  馬に転生。
  そして、息子にこの債務を弁償することに。
騎乗して酒食で供養する墓参りに行くと、馬が河を渡ろうとしないので打って無理矢理墓迄行ったが、馬は死んだ。
妹はその時家におり、それを夢で知り墓場に行く。そして、兄妹は馬を抱えて共に泣き悲しむの図となる。

この手の話は、中華帝国ではよく見られ、因縁警喩譚の「償債」と呼ばれるジャンルに属する。債務不履行や詐取は当たり前の社会だったようで、仏教の悪業応報的説話が沢山生まれたのだと思う。天竺のジャータカ由来という訳ではなく、ほとんどが仏教説話風にアレンジされた創作だと思う。風土的にしっくりと来たようで、今でも通用している話は少なくない。
ただ、この話は、親子間の問題なので、現代の感覚からすれば、特殊に映るかも知れないが。
中華帝国の場合、自由人の身分でも、弁済できないとその地位をたちどころに失い、その後一族は家畜のように引き回され、過酷な労働をさせられることになる。奴婢に落ち込んだ一族は、ずっと馬のように酷使されるのだから、畜生転生譚は、この現実に一番合致している訳だ。

羊の方も、この馬の話と似たりよったりに映るので、ともすれば、類似譚としてサラッと通り過ぎがちだが、実は、なかなかに含蓄がある話。

 貞観代[627-649年]
 魏王府長吏 京兆の人韋慶植が
 美麗な幼い娘を亡くし、妻ともども悲しみに暮れていた。
 それから2年後、遠国へ行くということで、
 親類一同を集めて送別の大宴会を開催することに。
 その御馳足として羊を購入。
 すると、前日の妻の夢に娘が出現。
  青色衣を着用し、頭に白衣を被っており、
  髪の上に玉の釵一双を差していた。
  そして、泣きながら、
  父母に無断で、勝手に財を持ちだし
  他人に与えてしまった、と語る。
  このため、羊に転生したというのだ。
  そして、明日殺されることになっているとも。
 当日見ると、頭白き青羊がいた。
 殺さぬよう言ったが、
 主人は客人御もてなし料理を出せということで
 吊り下げられてしまい屠殺寸前。
 そこに客人が到来。
 そこには羊ではなく、10才ほとの娘がおり、
 助けを求めていたので
 主人に殺さぬように言いにいったが、聞かず。
 結局殺されてしまったが、
 その鳴き声は幼女の泣き叫びのようだった。
 客人は飲食を止めて、皆、帰ってしまった。


 長安、東市の筆工趙士の家でのこと。
 娘は父親の銭を盗んだ。
 脂粉を買おうと思ったから。
 ところが、買う前に死ぬことになってしまい、
 羊に転生。
元日以後に飲食饗応習慣のある都会の風景である。客人は厠の碓の上で13〜14才の童女から転生話を聞かされ、主人に伝えると、銭も厩から見つかり、まさしく2年前に死んだ娘とわかる。
羊は御嗜好にせず寺に送られることに。その後、肉食を止めたという。

日本では、地勢からみて羊の放牧など土台無理だし、類縁の山羊も放しておけば草がなくなりかねないから、限定した飼育しかありえない。羊に関するイメージがもともと乏しいので、何故に羊転生かよくわからない、
中華帝国では、仔羊は、乳を飲むときは母羊の横に跪く姿勢をとる点が着目されており、親の有り難き行為に対して敬意を表すとされている。孝行ということなのだろう。
親に対して、孝行せよということであり、前者は自分の肉を血族に提供することでの「償債」譚になっている訳だ。後者はどうなっているのかはわからぬ。

ともあれ、中華帝国では、死後も現世の生活がママ持ち込まれるのである。冥界は官僚が支配しており、現世で弁済が済んでいないと、死後もその勤めを果たさねばならないのである。
極楽往生どころの話ではない。冥官は精査の上で、どのようにしてどの程度返済すべきかを命じることになる。当然ながら、免除や軽減の余地もある訳で、そのような話も又、五万と有る筈。

ついでながら、この巻の羊への悪行の報いを扱った譚もオマケとして取り上げておこう。これを読んで"孝養"を感じ取れる人は先ずいないだろうし。
  [巻九#23]京兆潘果抜舌得現報語

 弱冠で都水の小吏の任を得た京兆の人、潘果が、
 里の少年達と遊んでの帰途のこと、
 たまたま、独りで草を食んでいた羊を見つけ、
 盗んでしまった。
 鳴かれて、見つからぬように、
 羊の舌を抜いて捨てたのである。
 その1年後のこと。
 潘果の舌が欠け落ち始めた。
 そして、遂には消失し、職罷免。
 富平県の尉、鄭餘慶が確かめたが
 確かに舌は無く、大豆のようなものがあるだけ。
 潘果、その後、善行を積み、平復。
 県官に報告すると、里の正の職を得ることに。
 644年には監察御史に。
経済良好にして、温厚な雰囲気の社会だった頃の話である。

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