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■■■ 今昔物語集の由来 [2020.2.27] ■■■
[242] 聖鸚鵡
ジャータカ/釈尊前生譚集には鸚鵡が結構登場してくる。[→]

天竺では鸚鵡は特別な鳥だったようだ。
作者も年代(12世紀以前ではあるが)も不明なサンスクリット語「鸚鵡七十話(Śukasaptati)」が伝わっているからだ。商用で出かける夫が愛妻のもとに残した鸚鵡が浮気心の妻に70夜連続で語り続けるというもの。ほとんどカルマ一色の世界である。言うまでもないが、鸚鵡は呪術で鸚鵡に化えられた賢者ということになる。

当然ながら、「千夜一夜物語」の構想の元ネタと目される書ということになる。

そんな鸚鵡だが、震旦や本朝には棲息していないし、本朝はカルマ的話にたいして興味を持っていなかったようだから、この鳥にどのようなイメージを持つべきか確固たる方針はなかっただろう。しかし、浄土世界に棲む鳥だから、美しくて賢い聖なる鳥として曖昧な形で思い描いていた筈である。

「今昔物語集」では、僅かだが鸚鵡譚がある。・・・
  【天竺部】巻三天竺(釈迦の衆生教化〜入滅)
  [巻三#12]須達長者家鸚鵡語
 須達長者は、仏法を信じ敬う、
 数多くの比丘を抱える、檀越である。
 家で二羽の鸚鵡を飼っていた。
   一羽は律提と呼ばれ、
   もう一羽は律提と言われていた。
 畜生だが智恵があり、
 比丘が来訪すると、先ず鸚鵡が出て確認し
 家の中に入って長者に告げて迎えることに。
 こんな具合で年月が経った。
 ある時、阿難が訪問した。
 この二羽の鳥が聡明なのを見て、
 鳥に四諦の法を説いた。
 家門の前に樹木があり、
 この二羽の鳥は、法を聞くため、樹上に飛びあがり
 聴講し歓喜。
 法を受持するように。
 その夜のこと、
 二羽の鳥は樹上で寝ていて、狸に喰われてしまった。
 「法を聞き歓喜したから、
  二羽は四天王天に転生することになる。
  そこで、天命が尽きると、次第に上天に昇り、
  他化自在天で生まれ変わるだろう。
  上下七回の転生で天命が尽きると、
  人間界に生まれ、出家し比丘となって
  仏道修で辟支仏になる。」
 そんなことで、
   一方を曇摩、
   もう一方を修曇摩と名付けた。


鸚鵡に呼びかける安息国[パルティア@イラン高原]の話はすでに取り上げたが、筋を書いておこう。[→阿弥陀仏信仰]
  【天竺部】巻四天竺 付仏後(釈迦入滅後の仏弟子活動)
  [巻四#36]天竺安息国鸚鵡鳥語📖阿弥陀仏信仰
  ⇒非濁[n.a.-1063年][撰述]:「三寶感應要略」上17
     阿彌陀佛化作鸚鵡引接安息國感應 (出外國記)
 天竺の安息国には愚痴で仏法と無縁に人が住んでいた。
 ある時、鸚鵡がこの國に飛んで来た。
 黄金色で、白色や青色もあり
 人間のようにものを言うので、
 国王、大臣、諸々の人が、興に乗ってしゃべらせた。
 ただ、肥えていたにもかかわらず、気力がなく、
 弱っているように見えた。
 食べる物が無いので弱っていると考え、
 「汝は、何を食べておるのか?」と訊くと
 「我は、"阿弥陀仏"と唱えている声を聞く事を食としており、
  それによって肥え、気力も高まるのです。
  その他に食べている物はありません。
  もしも、養いたいとお考えなら、
  "阿弥陀仏"と唱えて頂きたい。」と。
 これを聞いて、
 国中の男女・貴賤の人々は、競って"阿弥陀仏"と唱えたのである。
 お蔭で、鸚鵡は気力充実。
 しばらく空中に飛んでから地上に戻って来て、
 「汝等、
  喜ばしくも豊かな国を見たいとは思わぬか?」と訊く。
 諸々の人、
 「見たい。」と。
 すると、
 「もし見たいなら、我が羽に乗ればよい。」と。
 その言葉に従って、沢山の人々が羽に乗った。
 鳥は言った。
 「力が少し弱いので、"阿弥陀仏"と唱えて、
  我に力を。」
 乗っている者は"阿弥陀仏"と唱えたところ
 虚空に飛びあがり、西方を指して去ったのである。
 これを見ていた、国王、大臣、諸々の人は、
 「奇異。
  これは、阿弥陀仏が鸚鵡鳥に化身し、
  辺鄙な所の愚痴な衆生を引接しようとしているのだ。」
 と言った。
 その鳥は再び返ることが無く、
 乗った人も戻っては来なかった。
 「と言うことは、現身で極楽往生したのだ。」
 と見なされて
 その地に寺が建立され
 鸚鵡寺と命名された。
 そして、斎日毎に阿弥陀念仏を修した。
 こうして、安息国の人々は仏法を悟り、因果を知って、
 多くの者が浄土に往生するになった。


ついでながら、鸚鵡と書いてあるものの鳥ではなく、人名の場合がある。
釈尊がどのように因縁を説明しているかわかり易いのでので見ておこう。
  [巻三#20]仏頭陀給鸚鵡家行給語
 釈尊が頭陀/托鉢をされていた。
 それを見た、鸚鵡と言う名前の主が家から出て来て
 鉢に米・魚等を入れ、飼い犬に食べさせた。
 その犬を見て
 「汝は先生に梵天を願っていた者なのに、
  どうしてこんな所に居るのだ?」
 と恥ずかしめ、言ったのである。
 すると犬は腹を立て、その食物を食べずに傍らに寄せてしまった。
 すると、鸚鵡は、怒り恨み、釈尊を罵倒したのである。
 釈尊は靈鷲山に戻って弟子達に告げた。
 「鸚鵡はこの罪で地獄に堕ちて苦しみを味わうことになる。
  悲しい限りだ。」
 一方、怒りが収まらない鸚鵡は、靈鷲山にやって来て
 「狗曇め、
  どういう理由で、我が家の犬に恥をかかせて
  鉢の物を食べぬようにさせたのだ?」
 と言う。
 そこで、
 「汝は御存じないだろうが、
  この犬は汝の父の兜調の生まれ変わりである。
  兜調は火天祭祀で梵天への転生を願っていたが
  犬の身に転生し、汝に養育されておるのだ。」と。
 と伝えたのである。

(火天とあるから、梵天は同じ十二天の護法神ではなく色界十八天の大梵天を意味していると思われる。兜調という名前からは、欲界の六欲天のうちの弥勒信仰の兜率天往生を願った人のようだが。)
 これを聞いて、鸚鵡ははますます怒りを増してきて
 「仏よ!
  どうして、我が父 兜調が犬になったと知っておられるのか?
  どの様にして、そんなことがわかったと言うのだ?」
 そこで、仏は
 「汝、家に返って、
  錦の座を敷いて、金の鉢に素晴らしい飮食物を入れ、
  犬に向かって言ってみよ。
   "若し、我が父 兜調であるなら
    此の座に上つて、
    この鉢の食を受け給え。
    そして、納めておいた財宝のありかを
    教え下さるよう。"
  そう言ってから、犬の様子を見ておれ。」
 腹立ちは収まらなかったが、
 家に戻って、言われた通りにしてみた。
 すると、犬はすっかり食べ尽くし、
 その後に床の土を嗅いで掘り始めた。
 そこを深く掘ると沢山財宝が埋めてあった。
 鸚鵡は慈悲の心をおこし、霊鷲山に参詣。
 仏に奉じ、
 「仏の御言葉は妄語ではございません。
  世々生々に、
  私は仏の爲に疑いを起こしたり致しません。」
 と誓ったのである。
 そして、仏に尋ねた。・・・
 「功徳を修する者が地獄に堕ち、
  罪障を作る者が淨土に生れるとは、
  どういうことなのでございましょう。
  又世の中には、
  富者がいて、貧者もおりますのも、
  どういうことなのでございましょう。
  世の中思うがままに生き子孫繁昌の一方で
  家が貧くして独身単居の者がいます。
  百年も安寧長壽の者がいて、若くして死ぬ者も。
  どういうことなのでございましょう。
  形貌が端正な者がいて、形貌醜悪な者がおります。
  人に殺害される者がおり、おごり高ぶりあなどられる者も。」
 仏は一つ一つこの質問にお答えに。
 「汝、よく聴くように。
  功徳を造つて地獄に堕ちる者は、
  臨終の際、惡縁に値する瞋恚を發したからだ。
  悪業を造つて淨土に生れる者は、
  臨終の際、善知識する仏を念じ奉ったからだ。
  今の世の富者は、先の世で施しの心が有った者で、
  今の世の貧者は、先の世で施しの心が無かった者。
  子孫繁昌者は、先生で、人を見ると我子の如く思った者、
  独身者は、先生で、人の爲に悪かった者。
  長命は、先生、放生を行ったからで、
  短命は、殺生を好んだから。
  端正なのは、先生、親に笑みを呈して見まえたからで、
  醜悪なのは、親に瞋恚を発したから。
  人に敬まわれる者は、先生、人を敬まった者で、
  賤められる者は、先生、人を軽蔑した者だ。」
 と、説いたのである。
 鸚鵡はこれを聞き、貴び奉ったのである。


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