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■■■ 今昔物語集の由来 [2020.2.28] ■■■
[243] 金翅鳥
金翅鳥/Garuḍaは鳥類の王。
ジャータカには色々な話あるが[→]、それらには興味がなく無視したようだ。しかし、一応、金翅鳥譚は収載しておかねば、というところだろうか。
  【天竺部】巻三天竺(釈迦の衆生教化〜入滅)
  [巻三#_9]竜子免金翅鳥難語
 龍王は大海の底に住んでいた。
 そこは天敵の金翅鳥が来る恐れがあるので
 襲われることのない無熱池も住み家としていた。
 大海の底で龍が子供を生むと、金翅鳥が屋って来て、
 羽で扇いで大海を干からびさせて、龍子を捕獲して食べるのである。
 これに嘆き悲しんでいた龍王は、釈迦仏を来訪した。
 「金翅鳥に子供を取られてしまいますが、
  どうにも護ることができません。
  この難から逃れら手はございませんでしょうか?」
 それに答えて、
 「比丘着用の袈裟の切れ端を子供に渡せばよろしい。」と。
 その通りにした。
 やがて、金翅鳥がやって来て大海が干上がったが
 いくら探しても龍の子は発見できず、返って行った。
 この鳥を迦楼羅鳥とも言う。羽を広げると336万里。

金翅鳥 v.s. 龍王になっているが、袈裟のご利益の話。それ以上ではない。

前話の続きとしての金翅鳥譚という構成。こちらは、四十九日の施餓鬼が重要という話。
  [巻三#10]金翅鳥子免修羅難語
 金翅鳥は、須弥山の切り立った壁に巣を作って、
 子供を生み置いていた。
 須弥山は、高さ16万由旬。
  水際より上が8万由旬。
  水際より下が8万由旬。
 巣は水際より4万由旬の所にある。
 一方、身体が極めて大きい阿修羅王の住居は二ヵ所。
  一つは海の傍ら。
  もう一つは大海の底。
 前者は、須弥山の峡谷にあり、大海の岸でもある。
 阿修羅王は、須弥山を揺り動かし、
 金翅鳥が巣に生み置いている子供を振るい落とし
 食べようとしていた。
 金翅鳥はこの事を嘆き悲しんで、
 釈迦仏を参詣し申し上げたのである。
  「海の傍らに居る阿修羅王の為に
   我が子が食われてしまいますが
   どうにも護ることができません。
   この難から逃れら手はございませんでしょうか?
   願わくば、
   仏、
   お教え頂きたく。」と。
 それに答えて、
  「汝等、
   この難を逃れたいなら、
   世間には、人が死んだ後に四十九日に仏事がある。
   比丘が対応し、供養を受け、呪願し、施食を取る。
   その施食の飯を取って須弥山の片隅に置くのだ。
   そうすると、その難から逃れることが出来る。」と。
 金翅鳥は、その通りにした。
 やがて、阿修羅王が来て山を動かそうとしたが全く動かず。
 力を込めても、微塵も動かず。
 阿修羅王は力及ばず帰ってしまった。
 山が動かなかったので、金翅鳥の子は落ちなかった。
 お蔭で、平安なまま養育できた。


ちなみに、須弥山では帝釈天と阿修羅が戦っていて、負けそうになった帝釈天の反撃を恐れて阿修羅が逃げる話が収載されている。[→蟲への布施行]
  [巻一#30]帝釈与修羅合戦語

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