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■■■ 今昔物語集の由来 [2019.12.21] ■■■
[174] 蟲への布施行
なんとも、おかしな筋のお話がある。

蓮の上で蜂を狩っていた蜘蛛を見つけた法師が、喰われる直前の蜂を哀れに思ったらしく助けてやった。その後、蜂は大勢の仲間を引き連れ報復にやってくる。蜘蛛は、この襲撃を予想しており、早々と逃亡。蓮の葉裏から糸を伸ばし水面近くにいたという。@法成寺阿弥陀堂・・・
  【本朝世俗部】巻二十九本朝 付悪行(盗賊譚 動物譚)
  [巻二十九#37]蜂擬報蜘蛛怨語
一見、殺生戒と関係しているように思えるが、どうなのだろう。
ある意味、法師より、蜘蛛の方が仏法のなんたるかを心得ていると言えなくもないからだ。
  →「蜘蛛をこよなく愛した人々[4]」@日本の基底文化を考える[2018.5.28]

食物連鎖を断ち切れる訳もないのを知りながら、肉食の蜘蛛の餌を取り上げ、その命を助けるのがはたして慈悲心といえるか、ということ。
そんな連鎖の存在は、すでに荘子の"蟷螂捕蝉 黄雀在后"で語られている訳で。
  【震旦部】巻十震旦 付国史(奇異譚[史書・小説])
  [巻十#13]荘子見畜類所行走逃語 [→荘子]

もちろん、殺生戒を守り通せば必ず功徳があるというのが仏教の思想だが、この収録巻は編纂者がわざわざ"悪行"譚と呼んでおり、殺生無しでは生きられない肉食動物は"悪行"だけで生きている存在なのか問題提起しているとも言えよう。そんなことも考えたことが無い法師の浅はかさを指摘したかったのであろう。
一方、仕返しの殺生は"悪行"では、とも提起している訳で、蜂に"悪行"をさせないための蜘蛛の行動を賞賛していると言えなくもない。法師と比較するから、蜘蛛の知恵が光るのである。

同じような意味で、気になる譚が、巻一にある。

  【天竺部】巻一天竺(釈迦降誕〜出家)
  [巻一#30]帝釈与修羅合戦語
 帝釈天の御妻 舎脂夫人は羅阿修羅王の娘。
 舎脂夫人を取り返そうと、帝釈と常に合戦。
 ある時、帝釈が負け逃げたのだが、
 羅阿修羅王が追いかけて来た。
 須弥山の北面でのこと。
 逃げ道の行く手に、遥かに続く蟻の行列が出現。
 それを見て、
 「我、今日、
  たとえ羅阿修羅王に負けて討たれたとしても
  戒律を破ることはない。
  我、さらに、逃げて行けば、
  沢山の蟻を踏み殺してしまうことになる。
  そんなことをして、戒律を破れば、
  善所に生まれ変わることが出来なくなるし、
  仏道を成就するどころではなくなる。」と言って、
 逃げずに、引き返したのである。
 羅阿修羅王はそれを見て、
 帝釈が、新たに多くの軍勢を得て、攻め立てようとの算段と考え、
 逃げ返って、蓮根の穴に籠ってしまった。
 お蔭で、帝釈天は勝って返ることが出来た。


阿修羅王が恐れて退却してしまったという筋から言えば、普通は、不退転の覚悟で臨んだことで、圧倒的優勢な筈の相手が怯んだと考える方が自然だろう。武士の時代になると、そんな話はいくらでもある訳で。
蟻を踏み潰すことを避けたことで、この結果が生まれたから、殺生戒遵守の功徳から来ているとの論理は常識的には無理があろう。蜘蛛の餌になった蜂を助けるのを"善行"と呼ぶ発想と同じようなもの。
そもそも、合戦は殺生を伴う行為であるにもかかわらず、そちらは止むを得ないという点が腑に落ちない話なのである。そこにどのような論理が働いているのか、さっぱりわからないからだ。
虎と鰐鮫の壮絶な戦いは"悪行"だが、帝釈天の戦いはそう考えてはならぬということであろうか。
  [巻二十九#31] 鎮西人渡新羅値虎語 [→琉球國]

次の話も似たようなもの。
  【本朝世俗部】巻十三本朝 付仏法(法華経持経・読誦の功徳)
  [巻十三#22]筑前国僧蓮照身令食諸虫語
 筑前の僧 蓮照は
 若い時から法華経を修習ふし、昼夜読誦。
 道心は極めて深く、人を哀れむ心は広かった。
 寒いなかで裸の人がいると、着ている衣を脱いで与へたが
 寒いと嘆くことはない。
 餓えている人がいると、自分の食べ物を布施してしまうが、
 食が得られるよう願ったりすることはない。
 さらに、諸々の虫を哀れみ、
 沢山の蚤・虱を身体に集めてて飼っていた。
 その上、蚊・虻が来ても掃うこともせず、
 蜂・蛭が喰い付いても 厭はず、食べさせた。
 そのうち、蓮照聖人は、わざわざ、
 虻・蜂だらけの山に独りで入って、自分の血肉を施すように。
 裸になり、山中で動かずに臥したので、
 当然ながら、虻・蜂が沢山集まり、身体に付いてしまう。
 食べられるから、堪え難き痛みに襲われるが、厭ふ気持ちは無い。
 そのようなことをしたので、
 身体には虻が産んだ卵が入っており、
 下山後、その跡が大きく腫れてしまい、痛み悩んでいた。
 それを見た人は
 「早く治療すべきだ。
  患部を炙けばよい。
  あるいは、薬を塗れば虻の子は死ぬから治癒する。」と。
 ところが、聖人は、
 「なんらの治療もいらぬ。
  治せば、数多くの虻の子が死んでしまう。
  この病で死ぬのが苦しみに当たるとは思えない。
  どうせ何時かは死ぬ身。死は避けられないのだ。
  虻の子を殺そうと考える訳がなかろう。」と、言い、
 治療せずに痛さに堪えてただただ法華経読誦。
 すると、夢に、貴く気高き僧が登場し、聖人を絶賛。
 「貴き事である。
  慈悲の心は広大にして
  有情の者を哀れんで、不殺生とは。」と言い、
 御手で、疵を撫でて頂いたのである。
 そこで、夢から覚めると、痛みが無くなっていた。
 疵口は開いており、
 そこから百匹、いや、千匹もの虻の子が出で飛び散って行った。
 そして、傷は癒え、痛くなくなったのである。
 聖人はさらに道心を深め、法華経読誦を怠らず、そのうち入滅。


信仰とは個人的なものであり、他の有情の者を無理矢理に巻き込まないのなら、どうとなりご自由にと言いたいところだが、生物は相互に連関しているから実はそうもいかない。"風が吹けば桶屋が儲かる"という長い因果関係と、どの行為にも狙った作用に対する、見落としていた反作用が生じてしまうという、複雑な力学が絡んでおり、どのような結果がもたらされるのかは簡単には読めない。
一番怖いのは、個人の精神レベルに、独裁者君臨する組織が関与してくることだが、個人的な行為なら問題は小さいとは限らない。両者は実は紙一重なのである。
読み取れたと思ってしまい、俯瞰的に眺めずに浅知恵で単刀直入に動き始めることと、カルト的原理主義は精神的自由を奪う動きの第一歩とみるべきだろう。
釈尊が経典化や偶像化を嫌った理由はおそらくそこら。殺生や肉食も完全否定している訳でないことがそれを物語る。屁理屈好きの人々だらけの社会だとこの方策も一理あるが、経典無しでは議論を難しくするから、浅知恵やカルトに繋がり易いと見た方が良いと思う。

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