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■■■ 今昔物語集の由来 [2020.3.4] ■■■
[248] "鼠王"
🐀天竺では鼠信仰が盛んだったようである。[→ジャータカの鼠]

それを受けているという訳ではないようだが、一緒に住んでいる鼠の力を借りて外敵から国を護ろうとの話が収載されている。
  【天竺部】巻五天竺 付仏前(釈迦本生譚)
  [巻五#17]天竺国王依鼠護勝合戦語
  ⇒玄奘:「大唐西域記」@646年 巻第十二 瞿薩旦那国ゴースターナ
 遮那国は小国だが豊か。
 国王は毘沙門天の額が左右に裂けて生まれ出た人。
 生来容姿端麗。 乳母に預けられたが、
 乳はもちろん、何も摂らなかったので
 毘沙門天に祈願。
 すると毘沙門天の乳の辺りからが乳出て
 それを飲んでッ成長。
 隣国は凶悪で、百万人の軍勢が集め、攻め込んできた。
 国王は驚き、四十万人の軍勢を率いて立ち向かうことに。
 その夜、大きな塚を隔て敵と対陣し野営。
 そこに、3尺ほどの金色の鼠が出現し、食事をして走っていった。
 そこで、何者かと尋ねると塚に住んでいる鼠王と答えて去った。
 そこで国王は塚の前で
 「出現した鼠は、獣ではあるが、正真正銘の神だ。
  一方、我は国王。
  鼠王もこの国に住んでいるのだから、
  この戦いに力を貸して下さらぬか。
  助力してくれたら、毎年盛大な祭を開催し、
  国を挙げて崇めることにしよう。
  そうしてくれないなら、塚に火を払い焼き殺すつもりだ。」
 と言った。
 その夜の夢に金色鼠が出現し加勢して勝利に導くと言う。
 そこで目が覚め、夜が明けたところで、敵陣を襲った。
 敵方は、象の鞍、すべての武具、馬の腹帯や手綱、等々、
 あらゆる物が鼠に食いちぎられており、どうにもならない。
 百万人の軍勢は逃げ出すしかなかった。
 その後、毎年祭を開催し、国を挙げて尊び崇めた。
 平和が保たれ、益々楽しい日々を送れるようになり、
 人々は願い事を、この場所で祈願するようになった。


震旦にも、毘沙門天信仰の、鼠による護国の、類似モチーフがある。
  【震旦部】巻六震旦 付仏法(仏教渡来〜流布)
  [巻六#_9]不空三蔵誦仁王呪現験語 [→仁王般若経]
  ⇒非濁[n.a.-1063年][撰述]:「三寶感應要略
       中56 釋清虚為三途受苦衆生受持金剛般若經感應
       中58 唐玄宗皇帝自誦仁王經呪請天兵救安西感應

西蕃五国が震旦に攻め入って来た。そこで玄宗皇帝が不空三蔵[705-774年]に対応するよう請う。毘沙門天に加護祈願すると、敵陣に金色の鼠が現れ、弓の弦を喰い切って使用不能にさせた。

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