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■■■ 今昔物語集の由来 [2020.3.7] ■■■
[251] 大伽藍法成寺
法成寺は関白 藤原道長が土御門殿の東、鴨川西岸に造営し、東西2町・南北3町あり、当時最大の伽藍と見てよさそう。

諸国の受領が分担して競うように建造した筈で、壮大かつ華麗な仕上がりと見てほぼ間違いない。
「今昔物語集」では軽く触れているに過ぎぬが。
  【本朝仏法部】巻十二本朝 付仏法(法華経持経・読誦の功徳)
  [巻十二#22]於法成寺絵像大日供養語
  [巻十二#23]於法成寺薬師堂始例時日現瑞相語 [→伝教大師の薬師仏像]

 後一条院代の1019年3月21日
 関白太政大臣
(藤原道長)が法成寺で出家。
 金堂には中尊として三丈の大日如来絵像、
 金堂の前には丈六の百体絵仏。
 供養は盛大に行われた。
 南大門外の左右には幄を立て
 諸々僧衆が参集して来て
 唐・高麗の楽人が奏でるので
 門から眺めると浄土の様。
 入道殿の上方には、
 香染法服を着た僧が居り
 仁和寺の済信大僧正かと思いきや
 誰も知らない僧だった。
 皆、見ていたので、
 仏の化身とか、昔の大師であるとか
 噂は持ち切り。


残念ながら法成寺は遺構の一部さえ残っていないが、浄土の様に映ったということから宇治平等院的な風景が広がっていたと思われる。[→平等院の浄土庭園に浸る]
伽藍構造がどうなっていたのか簡単に調べることができそうにないので、滅茶苦茶な配置記載で恐縮だが、道長死後建造分も含めると、例えば、こんな風に書くことができよう。
 【南】南大門
    塔
    尼戒壇
…中宮藤原嬉子
 【西】鐘楼
    九体阿弥陀堂
/無量寿院…脇侍観音・勢至
    法華三昧堂
 【央】中島+東西橋
 【北】金堂
…大日如来
    十齋堂
    釈迦堂
…百体仏+脇侍梵天・帝釈天
 【東】五大堂
    薬師堂
/浄瑠璃院…脇侍日光・月光・十二神将
    八角円堂
 【奥】講堂
    経蔵
 【別】西北院
…正妻源倫子建立
    柬北院
…上東門院/藤原彰子建立
道長が最初に建造したのは、阿弥陀堂で、次ぎが薬師堂の予定だったようだが、金堂建造が優先されたようだ。
臨終に当たっては、五大堂⇒東橋⇒中島⇒西橋⇒阿弥陀堂と移動したと伝わる。

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