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【古都散策方法 京都-その3】 平等院の浄土庭園に浸る
〜 散策について少し考えてみたい。 〜
散歩とは“目的地を設けずに歩く”とされているらしいが、「“遊び心”で、戸外を気晴らしに、“ぶらぶら”歩く」とした方がよかろう。
ただ、“遊び心”は人によって千差万別だから、どう定義してもたいした意味はないが。
よく見かけるのは、散歩のガイドブックらしきものを抱え、場所を確認しながら、その通り歩く人達。最近は、特に目立つ。個人的な体験に基づくだけだから、当たっているか定かではない。
と言うのは、今までご近所で散歩している人といえば、犬連れ。なかには珍しい犬もあり、そんな出会いは楽しいものである。もっとも、たいていは、上目でチラりと一瞥されるだけだから、犬から歓迎されてはいないが。例外は、焼肉を食べた帰りの時だけ。
ところが、最近はメモを持った、通りすがりの中高年に、美術館への道を聞かれるようになった。美術館は混雑間違いなし。一体、世の中どうなっているのかね。
おそらく、こうした人達は、散歩というより「ウオーキング」中なのだ。ともかく大流行。白金の自然教育園などガラガラだったのに、こんなところまで大勢人がやってくるようになったのである。
歩け歩け運動が奏功しているということか。 昨年末、医者にかかって、処方箋薬局にいったら、健康増進で一日もう3,000歩増やしましょうというパンフレットをもらったし、相当力が入っているようだ。もっとも、読まなかったが。
それに、自治体から、歩数系(万歩計とは呼ばないらしい。)を景品としてもらった。歩数記録簿をつけろということかな。
しかし、一番の問題はそういうことではなさそうだが。例えば、小生の場合、年末に喉の痛みが取れないので、お医者さんに見てもらった。すると、喉を見た瞬間、診断結果が言い渡された。寝る前の炭酸系アルコール飲料の取りすぎによる、就寝時胃液逆流の炎症と、断言されてしまったのである。どう見ても、万歩計は宝の持ち腐れ。
話が外れたが、散歩を「ウオーキング」と呼ぶのははどんなもんかね。
どうも“遊び心”を感じさせず、好きになれないが。言葉から言えば、“Flaneur”辺りにしたいところ。
だが、残念ながら、そんな感覚での散歩ができにくくなってきたのが現実。そうなると美術館をネタにした街歩きが増えるのもわからないではない。
お陰で、美術館は大繁盛かも知れぬが、こちらにとっては余り嬉しくはない。新装美術館は、今まではお散歩最適地だったからだ。それが、お庭に簡単に入れなくなってしまい、一つ楽しみを奪われた感じ。
新設美術館に至っては、大通りに面した家族経営の小さな八百屋兼魚屋さんのすぐそばのお宅がビルになっただけのこと。都会のビル化は致し方ないとはいえ、散歩する側にとっては、そう面白いものではない。
とにかく、この辺りから、“ぶらぶら”歩けるところが消えていく。前に住んでいた辺りは、さらなりである。
ちょっと前までは、人っ子一人通らぬ小道沿いに、空き地があり、そこで銀杏がとれたもの。今やその一帯は低層の凝った設計のマンション。
大会社会長宅の大きなお屋敷も潰されてしまった。 そして、いよいよ、緑豊かな旧満州鉄道総裁邸もなくなる。まあ、住宅地で、ジンギスカン料理ではお庭維持費も稼げまい。こうなることはわかっていたことではある。
よく考えれば、もっと昔にも大変化が襲っていた。もともとは男爵家を細分化した地区なのだ。お陰で、緑豊かな家が残っており、静かだった。その環境が好きだったから住んでいた訳だが。今では、そんな面影は無い。
そんな目で京都を眺めると、ビルやマンションは激増してはいるものの、まだまだ散策地区多し。宗教法人が多いせいでもあろうが、ご立派。
〜 京都での散歩は有名なお寺拝観から始めないことが肝心。 〜
と言うことで、前回までの散歩コースをふりかえって見たい。多少思弁的な解説だったが、一番のポイントは、掃除が行き届いてはいるが、都会の人工的なものとは違う、樹木で溢れる静かな地区をのんびり歩くこと。
古都の気分に浸るというのは、これとは違い、精神の遊びである。
普通はそのためにはお寺巡りになる訳だ。しかし、素人は、そこから始めるべきでない。京都では、ヒトも歩けば、お寺に当たる状態だから。どうみても、1.000以上あり、突然訪問すれば、なにがなんだかわからぬ状態に陥ること間違いなし。
そこで、2回にわたって、“山”の気分でのお散歩をお勧めしてきた。
ここまでは、ほほ〜、程度でよいのである。
ここからは、いよいよお寺の拝観。これが難しい。
例えば、日本文化に興味あると称するフランスからのお客様に、どのお寺を拝観すべきか尋ねられて、どう答えるかな。
無難な答えは、銀閣寺と竜安寺か。しかし、これらを日本文化の代表と呼んでよいものかな。はなはだ疑問では。
だいたい、銀閣寺のシュールさは特筆ものでは。建物といえば、違う様式を重ねた摩訶不思議なコンセプト。このバランスが素晴らしいという人ばかりだが、キッチュ感が嬉しいのではないのかね。それを増幅するのが前にある砂山。木々を少し伐採したら、前衛的な風景が生まれるのでは。思索に耽るなら最高の地である。
残念ながら、人だらけで無理だが。
→「銀閣から学ぶ」 (2005年6月2日)
一言多かったが、こうしたお寺で“禅”の精神性に触れる一方で、狸谷山不動院や赤山禅院の“山岳密教”の混沌とした風景が飛び込んでくるのである。予め心の準備なしに、これを同時に受け入れるのは難しいのではないか。
もっとも、それは理解が難しいという訳ではなく、どう対処するかが難しいということ。
と言うのは、日本で育っていれば、「八百万の神」「山川草木悉有仏性」を感じる体質に染まっているからだ。そうなると、“無の”境地で極限状態の修業を行い“悟る”ことに、違和感を覚える筈はなかろう。
そうなれば、座禅三昧で徹底的に沈潜することで“悟る”のも、行為は対照的だが、たいした違いはなかろうと考えるのが普通ではないか。
〜 京の散策入門編に欠かせないのは浄土庭園と天台巡りだろう。 〜
〜散歩コースのお寺一覧〜 |
-お寺- |
-山号- |
-宗派- |
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【一乗寺】 |
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狸谷山不動院 |
− |
[修験道](非天台系) |
詩仙堂(丈山寺) |
六六山 |
曹洞宗 |
曼殊院 |
− |
天台宗 |
圓光寺 |
瑞巌山 |
臨済宗 |
赤山禅院 |
− |
天台宗 |
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【蹴上-哲学の道】 |
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南禅寺 |
瑞龍山 |
臨済宗 |
永観堂(禅林寺) |
聖衆来迎山 |
浄土宗 |
安楽寺 |
住蓮山 |
浄土宗 |
法然院(万無教寺) |
善気山 |
浄土宗 |
慈照寺銀閣 |
東山 |
臨済宗 |
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【黒谷】 |
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真如堂(真正極楽寺) |
鈴聲山 |
天台宗 |
金戒光明寺 |
紫雲山 |
浄土宗 |
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【他】 |
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聖護院 |
− |
[修験道](天台系) |
知恩院 |
華頂山 |
浄土宗 |
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【宇治】 |
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平等院 |
朝日山 |
天台宗+浄土宗 |
恵心院 |
朝日山 |
真言宗 |
京都の散歩とは、いわばこうした感覚を呼び覚ますためのもの。雑炊的な様々なものが、現代まで生き残っているからこそ、こんなことができるのである。
ちなみに、前回までで登場したお寺を並べて
おこう。
表をご覧になれば、この後に訪れるべきお寺が、おわかりになると思う。
そう、訪れるべきお寺は、浄土感覚を呼び起こすようなところ。仏像拝観ではなく、仏像、仏殿、庭園が一体化しているようなところが望ましい。
そして、そんな仕掛けを生み出すもととなった比叡山の天台伽藍巡りは必須だろう。禅寺はその後。
と言うことで、お勧めは表の末尾に示した平等院である。
言ってみれば、“美しい自然”と勝手に決め付けるが、それはなにかを探る散策ということでもある。
それには、“浄土”庭園を眺めるに限る。その原点がわかるのが平等院ということ。ここは外せないのである。
それは10円硬貨で見慣れているということではない。明らかに西方浄土を模した人工的な庭なのだが、眺めれば、それは自然でもある。これだけでも、日本人は仏教徒として育てられていることに気付かされる筈。
そのためには、平等院辺りの散策を、“心して”行う必要がある。団体だらけだし、昔から参道にはお茶屋さんが並ぶので、なかなか心おだやかに拝観とはいかないが、それでは台無し。
まあ、住宅地化が進み、マンションまで立つご時世だから、なかなか浄土感といっても、無理があるのは承知だが、それはそれ、頭で情景を思い浮かべるしかなかろう。
〜 平等院の浄土庭園は対岸も考慮された大掛かりなもの。 〜
ただ、“心して”は結構重要なのである。漫然と適当な時間に訪れてぶらぶら拝観したのでは意味は薄いのである。
地形を考え、それなりの計画は不可欠である。目的を持った散歩となる。
先ず、訪れるなら、下車駅は京阪宇治線の宇治駅にすること。駅を見たいとか便利という話ではなく、宇治橋を渡ることになるとというだけ。拝観の前に橋から川を眺め、両岸の景色がどうなっているのか確認しておこう。
よく知られるように、この地点は日本で最初にまともな橋が架けられたと言われている。重要拠点だったのである。馬の扱いに慣れる関東武士は別だろうが、一般人には渡河は大変だったということでもある。
ただ、ほとんどの人は舟で参拝に来ただろうから、両岸を渡ることが大事ということでもないとは思うが。
そんな時代、関白が、浄土感濃厚なお寺を川の西側に建てたのである。
そこで、右の地図を見て欲しい。このお寺は、どう見ても、もとからあった、ほぼ一直線にならぶ3神社の信仰を引き継いだものである。しかも、お寺の山号は“朝日山”。川向こうの山の名前だ。
そして、その麓の対岸には“朝日山恵心院”。比叡山横川の恵心僧都源信が再興したとされる。そう、「往生要集」でコペルニクス的転回とも思われる主張を繰り広げた僧侶のお寺ということになる。
このことは、平等院とは、古来からの東の“山”への信仰を引き継ぎながら、有難い西方浄土にお迎え頂こうという思想を、徹底的に研ぎ澄ますための施設を意味しているのでは。
しかも、宇治という場所はそれにはまる。宇治上神社のご祭神として、宇治の離宮で生活していた親王の霊が祀られているからだ。この親王、兄が皇位を辞退し続けたため、やむなく自害したのである。哀しくも美しい物語がこの地を覆っている訳だ。
これこそ、日本人お好みのお庭の基本形の一つだと思う。そんな気分で鳳凰堂を拝観しようではないか。
〜 鳳凰堂の“耽溺美”は半端ではない。 〜
小生は、鳳凰堂を眺めると、思わず、「凍れる音楽」と称される薬師寺東塔を思い出してしまう。この言葉は、ゴシック建築を褒めるドイツ哲学的な枕詞でしかないが、下から塔を見上げて、そこに音楽性を感じる気分は世界共通。ただ、キリスト教的な“凍れる”感覚とは一寸違う。
現代の日本人なら、「逝く秋の大和の国の薬師寺の 塔の上なるひとひらの雲」だ。
まずは視覚から入る。そこには、人工的な建造物があるだけだが、空を背景にすると崇高な信仰精神を感じてしまるのでは。これは、ゴシック建築で感じる神の存在感とは違い、仏教的無常観に近いものと思うが。そして、どういう訳か、それが聴覚に繋がってくる。摩訶不思議な感覚の連鎖が生まれるのである。
佐々木信綱の文学的表現は現代ならではのもので、平安貴族はそんな感覚とは無縁だったかも知れぬが、薬師寺の塔の美しさは認めていたと思う。裳階をつけたその姿は、法隆寺の堅苦しい姿とは全く違い、見る人の心に直接響くものがあったに違いないからだ。
視覚上の効果としては、塔の天辺の透かし彫り“飛天”の舞いが大きいかも。
復活した西塔をみればわかるが、この金色の水煙が空に輝き、白壁に朱色の柱と青色に彩られた窓が映えていた訳である。当時の貴族は、この塔を眺めた瞬間、この世のものとは思えないと、大感激したろう。
言葉での表現は難しいが、一瞬、“荘厳”な光を感じ、そこに“優雅”さを見出したといったところか。土着のドロドロした信仰臭を消し去った、純粋さに心が動かされると言ってもよいだろう。ともかく、洗練度が半端ではないということ。
平等院鳳凰堂は、そうした薬師寺東塔の美的感覚を踏襲しているように思う。
流石、聴覚・視覚の繋がりがわかっている頼通だけのことはある。薬師寺は学びや国家鎮護思想を感じさせるが、先ずは、それらを一切払いのけた。そして、ただひたすら、阿弥陀如来来迎の姿を、官能の世界から徹底的に追い求めたのである。
しかし、人々を救うことなど埒外だからといって、贅沢三昧を見せつけようとの意志はほとんど感じられない。伝わってくるのは、耽溺“美”の純粋さ。ここまでやるのか、といったところ。
だからこそ、すべてが人工的な作りにもかかわらず、なんとなく自然感覚を呼び覚まされるのである。
そんな観点で眺めると、鳳凰堂は、池の中島に建てたと見るより、蓮池の上に浮かぶ建物にしたかったのではないかと思えてくる。水面はもっと高かった筈。
それに、翼楼の柱は池からスッと真っ直ぐに立ててこその美しさ。柱に穴を開けて材木を通して強度を保つなど愚の骨頂だ。あれは絶対に後世の補強である。頼通がそんなことをさせる訳がない。
それに、正殿の左右に配置された、全く繋がっていない翼楼で、音楽を奏でる位の芸当もありそうだ。
そう思うのは、“飛天”の位置。鳳凰堂は、塔ではないから、屋根上にはつけられない。どこかと思ったら、正殿の壁面だそうである。沢山の小さな菩薩像が音楽を奏で舞っているそうだ。と言うことは、翼楼からの音が正殿の方に滔々と流れ込み、部屋の内部に響きわたる仕掛けということなのでは。 なにせ、仏像上の天井には光の反射効果を狙ったと思われる多数の鏡までついているとか。
梵鐘も、清んだ音色になるように設計させた筈だ。残念ながら、除夜の鐘の音はレプリカになるそうだ。本物は、姿の美しさを見てもらうためか、展示室に。
よく観察すれば、まだまだ色々ありそう。ともかく、その凝り方は尋常ではない。
もともと宇治は、京を朝発てば夕刻前に到達する、貴族の別荘地域。最初は気楽な別邸感覚だったのが、源信に感化され、本気で浄土を実現しようと、のめり込んでいったのではないか。全精力をこのお寺に注いだに違いない。
当然ながら、宇治川での魚獲りも厳禁。
う〜む。
源氏物語宇治十帖の世界はフィクションとは思えなくなってくる。芸道は達者だが、政治力はからきしの、源氏の弟である桐壺帝第八皇子を想い起こさせるからだ。宇治の山荘に隠遁し、仏道に打ち込んで死んでいく。
そして、娘の浮舟は恋の悩みで入水自殺するが、横川の僧都に助けられる。そして、仏道一途。
高貴な人々の人間模様だが、なんとなく無常感漂うお話。いかにも、宇治とは、藤原氏菩提の地という背景が濃厚。当時の貴族、とくに姫君達にとっては、そのことこそが、息抜きに訪れる最適地を意味していたのかも。そして、姫君が集まれば、それを追って殿君がおしかけるのは世の慣わし。
〜 鳳凰堂は朝。 〜
ところで、話はとぶが、小生は、鳳凰堂は沈み行く夕日を背景に眺めるべきものと思っていた。西方浄土感を味わうなら、それが当然と考えたのである。
しかし、残念ながら、夕刻が近づいた景色はそれほどのものではない。閉門時間に近づく頃は閑散とするから気分は悪くないが、薬師寺のような情緒感は湧かない。
その理由は後日わかった。夕日に映える宇治一帯との発想は、素人の浅知恵だったのである。
このお寺を拝観するなら早朝なのである。それは、実は、山号で明らか。ここは朝日山なのだ。川向こうの山から朝日が昇り、小鳥が囀るなかで、瑠璃光が次第に鳳凰堂を照らしていく。それこそが西方浄土の風景なのである。残念ながら、見たことはないのだが。
当時は、宇治川東岸(此岸)から、朝日が差し込む西側(彼岸)を眺めながら、船を池に漕ぎ入れて阿弥陀仏を拝んだのではなかろうか。そんなことを考えると、このお寺の構想の凄さがわかる。
従って、ここを「浄土庭園」と呼ぶべきではない。阿弥陀仏拝観もそぐわない。庭園とお堂・仏像は別々のものではなく、すべてが一体化しているからだ。(従って、平泉の毛越寺庭園とは違う。鳳凰堂の対岸には、東方瑠璃光浄土の薬師如来のお堂もあったに違いないのである。)
大衆信仰とは無縁なお寺にもかかわらず、よくぞ残ってくれたものだ。奇跡である。
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