→INDEX ■■■ 今昔物語集の由来 [2020.4.4] ■■■ [279] 継子殺戮 小生は、「今昔物語集」編纂者は、"葉限"話を読んだ可能性が高いと見ており、もしそうだとすれば、本朝との文化的違いが大いに気になった筈。 本朝では、単純なモチーフをタネにした小説(「落窪物語」は「枕草子」にも引かれている。)が喜ばれる風土だからだ。 そこで、2,500文字を越す話の収録に踏み切ったのではあるまいか。 【本朝世俗部】巻二十六本朝 付宿報 ●[巻二十六#_5]陸奥国府官大夫介子語 この話、長いが、筋は単純で、陸奥介の後妻に娘が生まれ、全財産をその子に継がせたいので、手懐けた郎党を使って、継子の若君を野原に連れだして生き埋めにするだけのこと。 葉限-シンデレラ型とは全く異なる点に注意が必要だと思う。 虐待ではなく、明確に殺人なので、虐めに耐え、自力で克服することで幸運が舞い込む的なストーリーになりようがないのだ。 と言っても、財産に絡むと。殺しにまで行き付く点が凄いということではない。そもそも、親子・兄弟でも殺し合いは珍しくないからだ。 実は、不思議な継子殺戮譚が別途収載されているのである。すでに取り上げた亀譚の一種なのであるが、亀登場の必然性を感じさせない点でも実にユニークなのである。 この話では、殺戮未遂が何回も繰り返され、もちろん、都度、助かる。父が助ける風になっているものの、命を救っている訳ではなく、死んで当然の場所で生きている息子を単に社会に戻すだけの役割。それ以上、何もしないのである。 一方、執拗に命を狙う継母だが、実子を持っていないようなのだ。従って、何のために、継子を亡き者にしたいのかは自明ではないのである。 このことは、本朝では、継母は継子を殺害したくなるほど憎悪する性情になるのが普通ということを意味していそう。こんなことは震旦ではあり得まい。 しかし、天竺では、継母は、継子の死を望むというのは当たり前のことかも。 【天竺部】巻二天竺(釈迦の説法) ●[巻二#20]薄拘羅得善根語 ○薄拘羅尊者は仏の弟子。[壽命第一] 九十一劫の過去、毘婆尸涅槃後の頃だが、 前世の薄拘羅は貧しき人だった。 頭痛持ちの僧を見て哀れみ、 呵梨勒[ミロバラン]の実を与え、服用すると治癒した。 病んだ比丘に薬を施したことで、 薄拘羅は、死後九十一劫の間、天上人中に転生し 福を得て、楽も受け、罹病することもなかった。 そして、最後に婆羅門の子として生まれた。 ○母が死んだので、父は後妻を娶った。 幼かった薄拘羅は継母が餅を作っているのを見て欲しがった。 ところが継母は悪心から、 薄拘羅を取り上げて鍋の上に擲げ置いた。 𨫼は焼け燋げたが、身体はなんともなかった。 その時、父が外出から戻り、それを見て、 驚いて抱き下ろした。 ○その後、継母はいよいよ瞋恚がひどくなり、 煮えたぎったいる釜の中に薄拘羅を投げ入れた。 しかし、身体は焼け爛れるなかった。 ○その時、父は、薄拘羅の姿が見えないのを訝しみ、 捜すも、見つからないので、呼ぶと、釜の中から返答。 それを見て、驚いて抱き下ろした。身体は平常通り。 ○その後、継母は大いに憎むようになり、 深い川の河辺に薄拘羅と共に行って、河の中に突き入れた。 その時、河底に大きな魚がおり、薄拘羅を呑み込んでしまった。 ところが、福の縁が有るために、 魚の腹の中にいても死ななかったのである。 その時、この河に臨んでいた釣人がこの魚を釣りあげた。 大魚の漁獲を喜んで、市に持って行ったのだが、 買う人が無く日暮れになってしまい魚から臭気が。 その時、薄拘羅の父が来ており、 この魚を買い取り、妻の家に持って行き 刀で腹を破ろうとしたところ、腹の中から声がした。 「お願いだ。お父さん。 我を害しないようにしておくれ。」と。 これを聞いて驚いて、 魚の腹を開いて見ると、薄拘羅がいた。 抱いて出してやった。身体に損傷は無かった。 ○その後、大きくなって、仏の御許に詣で、出家。 阿羅漢果を得て三明六通を具備した御弟子となったのである。 ○以上、仏説。 年齢が百六十になっても、身体に病があることはなかった。 これは、すべて、前世で薬を施したため。 【本朝世俗部】巻十九本朝 付仏法(俗人出家談 奇異譚) ●[巻十九#29]龜報山陰中納言恩語 [→亀譚] 山陰中納言の息子が継母により海に突き落とされるが、山陰が放生した大亀が登場し、その子を甲羅に乗せて救う。 現代感覚では、父親の放生という善行に対する亀の恩返しが、どうして息子を救うことに繋がるのか、腑に落ちない。継子譚のコンセプトの核は、実子可愛さと考えるからである。 その論理からすれば、亡き母の霊が実子を救うというものになりそうなもの。 もう一つ、中途半端な譚がある。 【本朝世俗部】巻十九巻三十本朝 付雑事/雑談(歌物語 恋愛譚) ●[巻三十#_6]大和国人得人娘語 (後半欠文) ○公達の家系だが、受領となり富裕になった国守の話。 本妻と、妾である宮仕えの女房が同時に女子を出産。 本妻は引き取って、実子と一緒に育てることにし、 乳母を置いて、障子一枚を隔てて養った。 継母となった本妻は風流で、 継子を我が子同様に思って過ごしていたが 乳母の方は心根が悪く、 継子を憎しみ面白くなかった。 大和に住む子供のいない家の妻に縁があり 出入りしているので、この女に目をつけ、 継子を抱き取り拉致させたのである。 遺棄して天狗に喰わせてもよいと、 私的に語って。 ○大和 城下に住む五位の藤大夫は勢徳器量な人物だが、 子に恵まれず嘆いており 長年、長谷に参詣し懐妊祈願。 その妻が長谷参詣していた折、 乳母の指示に従い児を抱いてやって来ていた 下衆女に出会う。 そこで、児は、藤太夫の養女となった。 夫妻は心を尽くして養育したのである。 ○児が失踪したということで、家では大騒ぎ。 しかし、とうにもならない。 そのうち、本妻の子は15〜16才になり 年若く美麗で心映えも素敵な右近少将を聟に。 相思相愛だったが、姫君は病死してしまった。 嘆き悲しんだ少将は宮仕えにも身が入らない。 ところが、二月の初午の日に稲荷参詣に行くと、 亡妻に似た藤太夫の養女と出会ってしまい 途端に心を奪われてしまい、 小舎人童に住処を捜させる。・・・(後半欠文) う〜む。 巻二十六には"継母"連続収載譚も用意されているが、題名に"継母"が入っているだけで、本文は欠落。 ●[巻二十六#_6]継母託悪霊人家将行継娘語 (欠文) なにか言いたいことがあるが、直截的には書かないので、読者は考えてみヨと伝えているとしか思えない状況。 ということで、せっかくだから、長い譚の実態がわかるように、以下に示しておいた。 伝えたい事を要点だけピックアップするか如きの記載を旨としているように見える「今昔物語集」のなかでは、かなり異彩を放っている。文芸作品的と言ってよいだろう。 この書きっぷりからするに、"継母"問題を通じた、婚姻問題を提起しているようにも思えてくる。邸宅を始め、従者・使用人等に係る無形財産に至るまで、財産継承は男系なのか女系かを含めて、この当時はルールが揺れ動いていたのであろう。と言うことは、「今昔物語集」以前は、様々なパターンが併存していたことを意味していそう。ここらから、次第に男系に落ち着くと共に、それを契機に通い婚が消滅していったのと違うか。 -----[巻二十六#_5] 陸奥国府官大夫介子語----- 陸奥に住む権勢を誇る兄弟がいたが 兄は弟より何事についても優っていた。 その兄は、国の介として政務を執行していたので、 字として、"大夫の介"と呼ばれ、 国府の庁舎に常駐しており、家に居ることは稀だった。 子供がいなかったので、 財産を伝える者がいないので、 若い頃は、懸命に子を授とへて欲しいと祈願していたが そのうち年老いてしまった。 妻の年齢も40を越してしまい、 子供を産むことを諦めていたら、懐妊したのである。 夫婦で大喜びしていたが、 臨月となり、端正美麗な男子を出産。 父母はこの子を大層愛しみ、目を離すことなく養育。 どころが、その母がほどなくして死んでしまった。 大変な嘆き悲しみ様だったが、どうにもならない。 父としては、 「この児に物心がつき、長じる迄は、継母を迎えない。」と、 後妻を娶らなかった。 この介の弟にも子供がいないこともあり 甥であるこの児を慈しみ、我が子のように思うと言うので 兄として 「母がいないので、 我独りで養育しているが、多忙で側にいることができない。 心配だったが、 そういうことなら嬉しい限り。」と語ったので 弟は自分の家に迎えて大切に養育した。 そのうち、子供は11〜12才に。 成長すると、端正な容姿で心根も良く、強要することもないし、 教えられた文章も読解できるようになり 親である兄も弟もすこぶる愛しているので 伺候している従者達からも可愛がられていた。 そんな状況だったが、 それなりの家の寡婦が、介に妻がいないと聞き、 その児の後見人役になろうと心をこめた言葉を伝えて来た。 しかし、その心情がいかにも奇異なので恐ろく感じたし、 多忙で家にも居ないから、 「妻は必要無し。」と聞く耳もたず。 女は、妻になりたいのは 娘が一人いるが、息子がいないからで、 老い先を考えると御児の後見になるしかないのです、 と言って押しかけて来た。 そして、懇ろに児を可愛がったのである。 いかにも「怪」で、しばらく、女を寄せ付けなかったが、 いかんせん男やもめのところに、寡婦が来て居付いて 家事を受け持つようになり、 「どうにもならないな。」と云うことでお近付きに。 その後、いよいよ児を可愛がり、うってつけのように見えたので 父親としても、 「こういうことなら、 今迄、避けて来た意味はなかった。」 と考えるようになって、 すべてのことを任せることに。 その女は、自分の14〜15才の娘も可愛がるので 大夫の介も我が子のように接するようになった。 そして、児が13才になった頃には、 継母は男の財産をすべて管理するまでに。 そうなると、 「夫の、大夫の介は70才で 今日明日も知れぬ。 この男児が無ければ、これは・・・」 との下心が生まれ、 「この子を消失させよう。」と考えるるものの 手立てが無いので 新しく入って来た郎等のなかで 思慮不足で人の言う事を聞きそうな者を見つけ 取り立ててやり寵愛。 物もあれば取って与えるなどしたので、 その郎党は限りなく喜び、 「生死を賭けて、仰せに従います。」と言うまでに。 さらに、親しく話し、コトを託せるようになってきた。 そうこうするうち、 大夫の介が、呼び出されて国府の御館に出かけ、 長らく帰宅しない状態に。 継母は、その郎等を呼び寄せ、 「ここには数多くの郎等が居るが、 考えることがあって、 汝を殊更に寵愛しているのだが それをわかっておるのか?」 と言う そこで、 「犬馬ですら、可愛がってくれる人に尾を振るもの。 何ということを申すのですか。 人なら、喜ばしい事なら喜びますし、 つれない事なら、つれなく思うのは当然です。 限り無きご厚情を顧みれば、 生死も只々仰せに従う所存でございます。 その他のことも同じで、 どんなことがあろうと、背くことはございません。」 との返答。 継母、これを聞きて喜び、さらに、 「思っていた本意通りで、極めて喜ばしい限り。 露ほども隔たりなく接するので、 そのように考えてもらいたい。」 と言い、 「今日は吉日なり。」 と。 そして、娘の乳母の子を娶せたのである。 この郎等には本妻が居たが、 「強い絆の縁を取らせて頂いた。」と大喜び。 継母は、こうして、この郎等の心を掌握した後に、 男に娶せた女に言わしめたのである。 「今はことさらのように頼りにしておりますので 思っている事を言わねばならなくなりました。」 男は、 「それこそ己の思う本意そのもの。」 と答えたので、 妻は、夫の心を勘案しながら、言ったのである。 「この我が姫君は、心映え良く、物事もよくご存知で 悉く哀惜の念をおかけになられており 幸運が参ることでございましょう。 実の父上に先立たれて後、 心細くお過ごしになられましたが、 大夫の介殿が母上をお迎えになって以後は、 然るべき契りがおありになったと見え これ以上無いほど大切に育てられ、 "生きているうちに結婚させよう。" とおっしゃっており、 今日明日の事になってまいりました。 そうなると、 大夫の介殿の御財産を分けることなしに 我が姫君に渡るようにしてあげれば、 そなたの世にこそなろうと思いますが、 どう為せばよろしいでしょうか?」と。 夫は、それを聞いて嘲笑い、 「そこごとは、難しい事で、大事気に語っておるが それは、己の決心でどうにでもなる事。 御前こそ、お許しく下されれば、 誰の仕業か分から無いよう、失踪させてしまえる。 財産はどこへどう行くのかね。」と答えた。 妻は、 「かくの如しですネ。 御前もそうお考えでしょう。」と言うので、 夫は、 「吉なに奥様に伝えてくれ」と。 妻は、 「申しあげましょう。」と。 そういうことで、朝早く参上し、 話がありそうな気色であり、 自らの構想でもあったから心得たことでもあり、 急遽、人無き場所に呼び、 どうでもよい話をしているついでに 男は、賢しく思いついたかのように話したのである。 「只、伺候致していました時ですら、 ご厚情を頂戴しておりまして 限り無く感謝致しておりましたのに、 さらに、この女人まで賜りまして、 何か吉い事をしてさしあげなければと思っておりました。 かの児がおられなくなりさえすれば、 姫君の御為に吉き事となると考えるようになりました。 お許し下さるなら、 今日など、人も騒々しくないですし 構想を実現したいと思うのですが、 いかが致しましょうか。」 継母は、 「これほどまでにも、 うしろだてになってくれるとは思ってもおりませんでした。 実に頼りになるお方。」と。 上に着ている衣を脱ぎ、打ち掛けてあげ、 「しからば、思ったように。 それで、何をなさるおつもりか?」と。 男は、 「これは、これほどない程に考えた上で申し上げた事。 愚な事をしでかすことはございません。 ただ、お任せの上、御覧になっていただければよろしうございます。」 と言って立って行った。 継母は、上首尾ではあるが、心が騒ぐ。 男が外に出てみると、折しも、その児が 共に遊ぶ童部無しで、 小弓・胡録を持ってやって来て出会ったのである。 男は見付けたので、かしこまって座ると 走り寄って来る、 いつも共に遊んでいる童の名前を言い、見かけなかったかと尋ねた。 男が 「親のお供で遠くに行ってしまったと承っております。 どうして、徒然なるままに独りでお歩きになっておられるのでしょうか?」 と言うと 「童部を捜し求めておるが、一人もいないからだ。」と。 男は、 「それなら、一緒においで下さい。 伯父の方の父の所へ、お連れ申しましょう。」 と誘うったので、何の心配もせず、コックリ。 「母堂に申し上げよう。」と言ったが、 男は、 「他の人には知らせず、密かに行きましょう。」と。 児は嬉し気に走って行く。 その後ろ姿は、髪が"たわたわ"として、実に可愛気。 男は、可哀そうとも思ったが、 頼もしく見せる爲であり、木石の心になり、 馬に鞍を置き曳き出してきた。 男は 「この児に刀を突き立てたり、箭を射て殺すのはあまり可哀そうだ。 野原に連れて行き掘って埋めてしまおう。」 と考え、 弓を手箭に取り、従者を供にせず、白馬曳き待っていると 児は小さな胡録を背負って走り出てきた。 「母堂は、早く行くようにと。」 と言って、騎乗 その伯父の家は5町ほど離れていた。 人に出会わず、40〜50町出て野原に入ったので、 喜んで、道が無い方向にさらに進むと、 らに進むと、 児が 「ここは何処だ。 何時もの道ではないが 何処へ行くのだ。」 と言うが 「これも同じ道でございます。」 と言って、20〜30町ほどさらに入った。 「暫くお待ちください。 ここに署預がありますから、掘ってお見せいたしましょう。」 児は、心細くなり、 「何故に署預を掘るのだ。早く行こう。」 と言うが、 その顔が何とも厳くねぎらい気なので、 男も 「何とすべきか。 人の為の大事とは思うものの、 この児にしても、無縁な訳ではない。 大夫の介殿は、とんでもなくお迷いになることだろうし。」 と空恐ろしくなったものの、 木石の心を発して、土を掘った。 児は 「これは、一心に署預を掘っている。」と思い、 「何処に? 署預、署預。」 と言い立てる。 「この児の方に付いていたなら、悲しさに堪え難かろう。」 と思って涙が出て来た。 「なんとまあ気の弱いことか。」と念じ、 目を閉じ、児を引き落としたのである。 児は怯えて泣くが、男は顔を外に向け、衣服を剥ぎ取って穴に押し入れた。 児は、 「ああっ、心無き者の仕業。 我を殺そうとしているのか。」 と言うが、 何も答えずに土を只々入れて踏み固めた。 心に迷いもあり、よく堅めずに、早々に返った。 継母は、この取り組みに、さり気なくしていたが、 児が自分の首に懸り「叔父のところへ行く。」と言っていた顔が 面影のように思い出され、 「我は、何に狂ってこんな事を思い付いたのか。 実の母も居ないし、我が可愛がっていれば 能く孝行してくれた筈なのに。 この娘のほかに男子はいない。 もし、このことが耳に入ったりすれば、 我が道も絶えても閉ざされ、 女の子のためと思っていたが、逆に為になるかも。 あの男の心情にしても余りに幼稚だし。 少しでも手違いがあったとすれば、 自分から言い出しかねない。」 ということで、取り消した思いだが、 殺して来てしまったので、為すこともできない。 あじけなさで、寝殿の寝室に籠って泣くばかり。 さて、伯父は、急に児に会いたくなり、 恋しい思いがつのったが従者供が皆出かけていた。 呼びに遣って待つ気もおこらないほど恋しく思えてきたので 只、一人居た舎人の男に「馬に鞍を置け。」 と言いて、胡録を掻き負って急いで騎乗し、走って行った。 その途中、 道に生えている草の中から菟が走り出て来たのを目にし 急いで行こうとの心もどこかに行ってしまい 菟に目がいってしまって恋しさも忘れてしまった。 箭を番え、押し懸てて射ること以外の事などどうでもよくなり 野の中へと、走って入って行ったのである。 そこは草深く、数回射たものの、菟を逃がしてしまった。 何時もなら、名うての手の者で、この様に外すことなどないのだが。 「稀有な態。」と思い、 「箭だけでも取り返そう。」と考え、 箭を求め馬を押し廻らし、押し廻らししていると 狗か何かのようなうめきな声が聞こえてきた。 「何処からだろうか。 もしかすると、病人などが居るのかも。」 と思って観るものの、該当しそうなものもない。 怪しく思い、声を聴いていると、 地上ではなく、物に籠った様に土の底から聞こえて様なのだ。 そうこうして、舎人男は求めていた箭を取り集めてしまった。 しかし、この声についても、見定めようと考えたので 「あのうめき声はなんなのか?」と舎人男に問うと まったく怪しいと感じていたので 「何の声でございましょう。 何事でありましょうか。」と応え 走り廻ってみたところ 只今土を掻き埋めた穴と思しき場所があった。 そこで、舎人男は 「この怪しき場所から、あの声が聞こえてまいります。」と。 主人も近寄り聞いてみると、実のところ、そこから聞こえて来るのだった。 「どこかの死人を埋めたが、蘇生し蠢いて居るのだろう。」と考え、 「何はともあれ、人の声である。 思うに、ここを掘りだしてみよ。」 舎人男、は「怖ろし気。」と言うので 「そんなことを言うでない。 もし人なら、人の生命に係るから、大いなる功徳になる。」 と言って下馬し、その土を掻き出した。 只今、迷いながら埋めた場所なので大変に柔らかく、 主人は弓の元を持ち掻き出し、 舎人男は手で土を掻き去る。 やがて、うめき声が近くなってきた。 「そういうことだ。」と思って急いで掘っていると、 よく埋めていなかったので、 穴の底は透けた状態で、そのうめき声は底から聞こえて来た。 続けて掘ると、大きな菜・草・枝で塞がれていたので、 構えて引き上げると、声は高くなっていき、 見ると、裸に剥かれた幼い児が居た。 「ああっ。とんでもないこと。」と引き上げて見ると 恋しく思って、急いで会いに行こうとしていた児なのである。 「あの児だ!」 と分かり、目が真っ暗になり、心も動揺し、 「これは何たること。」と思い、児を掻き抱くと 身体は皆冷え切ってており、胸のあたりだけが少し暖かいだけ。 「まずは、急いで水を口に入れねば。」考えたものの、 遥かなる野原の中であり、水など無い。 舎人男に「水を求めてこい。」と言ってから、 普通ではない状態になってしまい、 装束をわからずに解き、児を懐にかき入れ、肌に当てて、 「仏よ助け給え。 この命、生き返らせ給え。」 とどうにもこらえきれずに流れ墜ちる涙を拭いつつ 児の顔を見れば、唇の色は無く、眠り落ちているかの様。 強く抱き、仏に念じ奉った霊験か、 「唇の色が少し出てきた。」 そこに、舎人男が脱いだ帷を水に浸して、息も絶え絶えに走って来た。 それを取り、口に絞り入れると、 しばらくは出るだけの様だったが、心に願を立てた霊験か 絞り入れた水が少し入った様に見えだ。 いよいよ仏に念じ奉って、絞り入れていると、嘗めた様で、 「喉が少し潤ったようだ。」と見て、 掻き寄せて抱くと、肌も少し暖まってきた心地がしてきた。 と言うことで、生命を留めたとわかり、喜ばしくなったものの 堪えがたき状況でもあり、冷静になって見てみると 目を細目に見開いているので、 喜びがさらに増したが愚な見方でもある。 帷の汁は汚穢と思うものの、何分にも水は無いから、 さらにさらに絞って口に入れると、大いに良く呑み入れる。 そして目から涙が出て来たので、 「既に、生き返っているぞ。」と思ったが、 なかなか感覚が戻らないので、いよいよ願を立てると、生き返ったのである。 坐位にすると、絶え絶えで苦し気なのだが、 日も暮れそうになってきたので 敢えて馬に乗せ、伯父はその尻に乗ってしばらく行くと 暗くなって来たものの伯父の家に行き着いた。 人に見られないようにして、忍んで入れる方から静に入り、 舎人男にも良く口止めし、居間の傍の壺屋に落ち着いたのである。 妻は「何事があったのか。」と、 後を追って入って来ると、 この児が居るのを見て 「これはどうしたこと。 何時もと違った状況ではありませぬか。、」と言う。 「いやもう、馬鹿げたこと。 この児が此処にいるのは、これこれしかじか。」と。 急に思い立ってここから出立してからの委細を語ったので 奇異なことなので、 児に向かって、 「そもそも、どういう事なの?」と訊くが 児は気絶しかねない様子で見上げるだけで、物も言わない。 「今に、心が通常に戻るから、そうなれば話すだろう。」として、 暫くは、人にも知らせずに、夫婦だけで面倒を見た。 日が暮れてしまい、灯火をつけ、お粥を食べれるようになり一安心。 夜中を過ぎた頃、寝ていた児は突然目を覚まして驚き 「これは、どうなったの。」と見て 伯父:「ここは我が家だ。お前はこううしてこうなった。」 児:「父は?」 伯父:「父はまだこの事をお知りなっておられない。 国府にいらしたまま。」 児:「お告げしなければ。」 伯父:「今、お告げするが、 ともかく、何事があったのか。 これを為した輩を覚えておるか。 早く聞いておかめばならぬ。」 児:「覚えておりません。 よく分かりませんがが 何とか丸という男が "そうそう、伯父の所へ行こう。"と誘うので 母堂に告げ、その男と一緒に来ました。 途中、その男が"署預"と言って穴を掘り、 我を引き落としたのです。 そこまでは覚えておりますが その後は覚えておりません。」 伯父:「その男が為すことをみると、本心からしたことではなかろう。 人から教えられての事だから、継母の謀略だろう。」 伯父は、そのように心得たのであった。 夜明け前だが、心もとないので、 少し明るくなったので 妻に返す返す言い置いて、児の食事も済ませ、 従者共を呼び集めて兄のもとへ行った。 行き着いてみると、家中は静まりかえっており、人もほとんど居ない。 「介殿は?」と問うと、 「国府に居られます。」との答。 「申し上げるべき事があり参った。 児も国府に居るのか?」と問うと 継母が聞いていて、 「奇異ですこと。 あの児は昨日から見かけませんので、 そちらに参っていると思っておりました。 何たることでしょう。 もしかすると、 人の心を迷わそうと、お謀りになっているのでしょうか。」 と只々泣きに泣く。 伯父は「この女の心は、とんでもなく悪辣。」と思ったが、 「暫くは、人に知れせまい。」と考え、 「怪な事を言うようだが、 人を謀るとしても、言い方があろうと言うもの。 久しく会っていないので、不審に思って会いに来たというのに。」 と言うと、 「しからば、それはどういう意味なのでしょうか。」と 罵り合いになる。 「捜索せよ。」と言う話になったのを聞き、 あの埋めた男が出てきて、他の人より目立つように泣き騒いだ。 伯父は 「先ず、介殿に急いで告げ奉れ。」ということで 人を走らせるに当たって「文で奏上する。」と言い、 書をしたためて派遣。 「申し上げたき事が有り参上致しましたが、 "児が失踪"と承り、奇異なことであり、 急ぎに急いでご帰宅の程。 共々、申し上げるべき事もありますので。」 使者は、馬で走ったので程なく到着。 息も絶え絶えに「若君がいなくなりました。」と言う。 これを聞き立ち上がったが、高齢でもあり、 ふたふたとなり、ほとほとしてしまった。 上司に伝えることも敢えてせず、只、目代のもとに、 こんな事があるのでと言い残して戻って来たが 道中、落馬しそうになるのを従者共が集まって抱えることで、 皆辛うじて家に着いた。 「先ずは、どういう事なのだ?」と問うと、 継母が向かい合って、臥し転げ回って、 「主はご高齢におなりで、久しく添うことはできませぬ。 我は、今しばらく、日々を送れましょうから、 あの児をこの世の財宝と思ってきました。 どういうことで、失踪してしまったのでしょう。 あの児を、敵と思って殺す人が有る筈もありませんし。 只、あの児は厳かな趣きがあり、 上京する人等が稚児として法師に差し出そうなどと考え、 誘拐し逃げ去ったかもしれません。 ああ〜、悲しいこと、悲しいこと。」 と言い続け、声をあげて限りなく泣く。 父の大夫の介は、泣くにも泣けずにおり、 只、嘆息して落ち込んでいるだけ。 伯父は、 「哀れ。生きているというのに。」と思ったが、 出来事の思いが頭に浮かび出て、憎しみが湧くものの その気持ちなど無きが如くに 「今更どうにもなりません。 しかるべくして、そうなったのでございましょう。 それはともかく、己の家へ。 お心をお慰め致しますから。」 と誘った。 大夫の介は、 「どのような故があるか見て、 ともかく聞いて生死を判定してから 法師に成ることにしよう。 今迄、世に生きてきて、こんな目にあうとは。」 と終えをあげて泣くも道理。 しかし、ともかく、策を講じて大夫の介を家から出したところ 郎等達はただけすべてがお供して来た。 その中に、かの児を埋めた男もいた。 こ奴を将に連れて行こうと考えていたのだが 自分の心で付いて来たので、「大変によろし。」と思いながら 道中、なにげない風にして目を付けながら、行き着いた。 そこでも、大夫の介は臥し転げ回って泣く。 弟は誘って家の中に入れようとし、 気のおけない郎等一人を呼び放ち かの児を埋めた男に気付かれないよう見張らせた。 そして、「2〜3人ほどでよく見守り、 "搦よ"と言ったら確実に捕捉するようにと言い置き 大夫の介を家に入れ、児が居る壺屋に入らせて児を見せた。 大夫の介は「児を取り隠し、人を迷わそうとしたのだな。」と判断し 怒りに怒りまくった。 「戯にも限度がある。忌々のような事で人を迷わすなど。」と言う。 弟は 「あは〜。ご鎮静のほど。 このような次事がございまして。しかじか。」と、 泣く泣く話したのである。 大夫の介はこれを聞いて、言うべき言葉もなく、 児に問うと、有のママ答える。 大夫の介、奇異なことであると思い、 「先ず、その男だが、そこに居たが、逃げたりはしないか?」と言うが、 弟は「見張り人を侍らせております。」と言い、 搦めとらさせると、 かの男は「これは、どういう事か。」と言いながらも、 「哀れ。こうなると思っていた事だ。」と。 大夫の介は太刀を抜いて斬首しようとしたが 弟は引き止め、 「事の次第を、確かに問い質してから、何でもなさるべき。」と言い 放ちてから尋問。暫くは、言わなかったが、 責められ問われると、すべてをありのま言ったのである。 大夫の介は「継母の心。奇異なり。」と思い、 人を向かわせ家を堅めさせた。 隠そうとすれども、皆の聞くところとなり、 従者共に、長年に渡り「上」としてかしずかれていたのが 遠慮をすることもなくなり言うようになってしまったが 継母は頑強さを貫いた。 「これはどういう事です。 思い懸けぬことです。 あの児が出てきて、我がしたと言うなどと、可笑しいこと。」 と言ったが、 「殺したのだから、よもやあり得まい。」と思っていたからだろう。 大夫の介は、弟の家に4〜5日逗留。 児が良くなるようにに祈祷するなどして、 「帰宅しよう。」と決めたが、 「あの女が家に居るなら、目を合わせることに。」ということで、 弟を家に派遣し、継母を追い出させ、その乳母を搦め取り、 継母の娘も態よく追い出してしまい、 故ある者共が一人もいないよう掃き出してから 児を伴にし、家に返ったのである。 このことを聞き及んだ者は、この継母を憎み、まずは寄せ付けなかった。 そのため、母も娘も奇異な者として、迷って歩くことに。 「かの児を埋めた男の首を刎ね、その妻の口を裂こう。」としたが、 弟が 「児の由を考えると、良くない。」と制し、只の追放とした。 児を穴に埋めた男が、心迷って、菜・草・榑を投げ入れたが、 児に生き残れる宿報があったため、 児に何も付着せずに、穴を塞ぐことになり 隙間ができたため、息が出来て生きることができたのだ。 これも前世の報である。 その児は成長し元服。伯父も父も亡くなり、 その二人の財産を併せて伝承したので、この人も大夫の介となり、 ことのほか豪気で有徳の者となった。 以上は、その大夫の介に会った人からの聞き語り。 これらを思うに、継母の心根は極めて愚か。 我が子の如く思って養育していたなら、 路頭に迷うなどあり得ずに、孝養を受けた筈。 現世も後生も、心の持ち方でこうなってしまったと語り伝へられている。 (C) 2020 RandDManagement.com →HOME |