→INDEX

■■■ 今昔物語集の由来 [2020.4.12] ■■■
[287] 源信物語 [6:来訪僧]
西塔の読経上手な僧とされている円久の話が主催されているが、これ以上の系譜は不詳。しかし、源信に「葛木山の仙人が読誦を聞いていた。」と報告しており、前々から横川と関係していたように見受けられる。[→源信物語 [5:横川の僧]]

ザッと見ておこう。
  【本朝仏法部】巻十二本朝 付仏法(斎会の縁起/功徳 仏像・仏典の功徳)
  [巻十二#38]天台円久於葛木山聞千人誦経語
 円久は9歳で出家し、比叡山西塔に。
 聖久大僧都の弟子になり、顕密の法文を修習。
 法花経受持。日夜読誦。

   (聖久は不詳。
    西塔の聖救大僧都[909-998年]の可能性も。
    弟の暹賀ともども良源の弟子。仲算との対論で知られる。)
   (円久は源信の知己だから、師弟は横川に移ったと見てよかろう。)

 読経の声は例えるのが難しいほどに貴く、聞いている者は全員涙する。
 そこで、京洛に出て読経することになり、その思えも、めでたく、
 公私に仕へて、止事無い僧と言われるように。
 その後、道心を発し、世の栄華を捨て、愛宕護山の南星谷に籠居。
 無縁三昧ということで、
 12時に宝螺を吹き、6時には懺法。法花経読誦。
 そうこうする間、
 「結縁の為、葛木山で修行しよう。」と思い立ち、10月頃入山。
 峰を通って行ったが、その間も、一心に法華経を誦していた。
 そのうち、極めて高く大きな椙(=杉)の木に出くわしたので、
 その根元で宿泊することに。
 本尊をそこに懸け奉り、その前で法華経読誦。
 月は極めてあかるく、子の刻頃に、
 その木末に飛び込んでくる者がいた。
 ほのかに見えるだけで、木は極めて高いので、何者かはわからない。
 「これは、間違いなく、持経者攪乱を意図した悪鬼の到来だ。」
 と深く恐れはしたが、ひとえに経の威力を頼みにして、
 声をあげて読誦。
 「ついに暁が訪れた。」と思った時、
 その木末に居ると思われる者が、
 細くて幽玄な声で、しかも、極めて貴い調子で
 「是人之功徳。無辺無有窮。如十方虚空。不可得辺際。」
 と誦してから、立ち、飛び去ったのである。
 持経者、
 「何者だろうか?
  見てやろう。」と思って、
 見上げたが、その身体を見取ることはできなかった。
 景色に溶け込む様に飛び去ってしまっただけ。
 その後、持経者が思うには、
 「これは、我の、法華経読誦を聞いて、
  仙人が"貴き"と思って、
  木末に留って終夜聞いてから、"立ち飛去ろう"という時、
  そんな如く誦して 去ったのだろう。」と。
 そして、礼拝し貴んだのである。

   (葛木は役小角の地でもある。) [→本邦三仏聖]
 戻って後、
 横川の源信僧都にこの事を語ったところ、
 僧都はこれを聞いて、泣々く貴び悲しまれたのである。
 円久は臨終時、
 かの南星峰に向いて、法華経を誦して示寂。

   (南星峰は愛宕山の乾[北西]方角の嶺)

   「妙法蓮華経」如来神力品第二十一 偈文
  諸仏救世者 住於大神通 為悦衆生故 現無量神力
  舌相至梵天 身放無数光 為求仏道者 現此希有事
  諸仏謦声 及弾指之声 周聞十方国 地皆六種動
  以仏滅度後 能持是経故 諸仏皆歓喜 現無量神力
  嘱累是経故 讃美受持者 於無量劫中 猶故不能尽
  
是人之功徳 無辺無有窮 如十方虚空 不可得辺際
   この人の功徳は、無辺であって窮まりなし。十方の虚空に、果てなど無きようなもの。
  能持是経者 則為已見我 亦見多宝仏 及諸分身者
  又見我今日 教化諸菩薩 能持是経者 令我及分身
  滅度多宝仏 一切皆歓喜 十方現在仏 竝過去未来
  亦見亦供養 亦令得歓喜 諸仏坐道場 所得秘要法
  能持是経者 不久亦当得 能持是経者 於諸法之義
  名字及言辞 楽説無窮尽 如風於空中 一切無障碍
  於如来滅後 知仏所説経 因縁及次第 随義如実説
  如日月光明 能除諸幽冥 斯人行世間 能滅衆生闇
  教無量菩薩 畢竟住一乗 是故有智者 聞此功徳利
  於我滅度後 応受持斯経 是人於仏道 決定無有疑


 (C) 2020 RandDManagement.com    →HOME