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■■■ 今昔物語集の由来 [2020.4.20] ■■■
[295] 修羅場
修羅場とは、辞書では、戦闘のあとの血なまぐさい場所とされているようだが、これは能(二番目)に登場する武人霊の苦しみ表現からくる定義。
しかし、現代用法では、もっぱら三角関係清算の壮絶な争いを指す。男が刺されることが少なくない。

両者ともに、仏典に記載されている、天界での阿修羅と帝釈天との熾烈で果ての無い戦い由来の用法だが、随分と概念が異なるところが面白い。
と言うか、両者ともによくわかっていると言った方がよいか。

「今昔物語集」でのこの戦い話は、すでに取り上げた。・・・須弥山での戦いで、負けそうになった帝釈天は逃亡したが、たまたま虫を殺しかねない状況になり、戻って来たから、強烈な反撃を恐れた阿修羅が敗退という筋。
  【天竺部】巻一天竺(釈迦降誕〜出家)
  [巻一#30]帝釈与修羅合戦語 [→蟲への布施行]

日本での用法が頭にあるのでわかりにくいが、両者対立の背景は、簡単に言えばこういうことになる。
  阿修羅…有美女・無美食
  帝釈天…有美食・無美女

要するに、生産性が格段に低く、部族乱立の権力分散社会と、中央が一手に権力を握り経済力がある国との風土の違いを示唆しているようなもの。
 [→ジャータカを知る [88] 阿修羅]

「今昔物語集」では、収載しない方針を採用したようだが、女性問題が両者の対立の発端なのである。こんなストーリー。
 阿修羅王の娘 舎脂は帝釈天に拉致され凌辱される。
 怒った阿修羅王が帝釈天に戦いを挑むことに。
 ところが舎脂は一族を裏切り帝釈天を愛してしまう。
 帝釈天も妃として相思相愛状態。
 娘の裏切りに、阿修羅王激怒。
 天界全体を巻きこむ大戦争に。
 阿修羅は破れ、天界から追放される。

もともと、阿修羅王は娘を帝釈天に嫁がせようと考えていたとされ、帝釈天はそんなことは露知らず、美しく魅惑的な舎脂を奪ってしまったということになっている。但し、阿修羅怒りに焦点がある訳ではなく、帝釈天妃の素性譚といった印象を与える。

帝釈天妃の存在は大きかったようである。
  求那跋陀羅[譯]:「雜阿含經」巻四十
比丘問佛言:「世尊!何因、何縁彼釋提桓因名"舍脂[夫]"?」
佛告比丘:「彼阿修羅女名曰"
舍脂",為天帝釋第一天后,是故帝釋名"舍脂低"。」

この凌辱事件、南アジアの社会風土そのもの。
娘とは"男達の家"の一番重要な"財産"であり、婚姻によって、富貴を得ることがなによりも重要な社会。娘が凌辱されでもすれば、家 v.s. 家の殺戮合戦になること必定。家とは無関係に、相思相愛関係になってしまった娘も、抹殺せねばおさまらなかったりする。自由恋愛はカーストという枠組みを壊しかねないし、カーストとは職業別身分制度の象徴に過ぎない訳で、"男達の家"でなければ経済的に生き残れない仕組みだから、ここのような慣習に固執せざるを得まい。

これは、本朝には縁遠い慣習と言えよう。
そんなこともあって、この手の話を取り上げなかったのかも。
なにせ、本朝文化は、古くは歌垣であるし、貴族も通い婚と、女性が男を選ぶ文化が根付いていたのである。もちろん、実態的には、それは経済婚でもあった訳だが。

そのためが、上記のストーリーを全く想起させない、男女の愛欲譚になってしまたりする。
愛の声を聞いた仙人がその法力を失ってしまうのである。ただ、久米仙人のような、仏法修行者ではない。
  【天竺部】巻五天竺 付仏前(釈迦本生譚)
  [巻五#30]天帝釈夫人舎脂音聞仙人語
 舎脂夫人とは天帝釈の御妻。
 摩質多羅阿修羅王の娘。
  (4阿修羅王@法華経[婆稚 羅騫駄 摩質多羅 羅羅]の一角で、
   九頭各千眼。口中出火。九百九十九手八脚海中出聲。@「佛説觀佛三昧海經」)

釈迦牟尼佛が未だ世に出現される目のこと。
 帝釈は提婆延那仙人の所に行って、仏法を習っていらっしゃった。
 その時に、舎脂夫人は心の中に思ったことは、
 「帝釈が定めて仏法を習ふなど、間違ってもある筈がない。
  あの人には、必ずや、他に夫人が居るのだ。」と。
 密かに、夫人は、帝釈の後に隠れ、尋ね行って見た。
 すると、実際、帝釈は仙人の前に居を正していたのである。
 ところが、帝釈は、夫人が密かに来ている事に気付き、
 厳しく咎め、言うことには
 「仙法は、女人に見せてはならぬもの。
  又、聞かせてはならない。
  早々に、還るように。」と。
 そして、蓮の茎で舎脂夫人を打ったのである。
 そこで、舎脂夫人が、帝釈にあまへ戯れた。
 仙人、夫人のその優雅な声を聞いてしまい、
 心が穢がれてしまった。
 そのため、たちどころに
(外道の)仙人としての神通力が失せ、
 凡夫に成ってしまった。


以下出典と思しきもの。
  湛然[撰]:「止觀輔行傳弘決」巻四
如婆沙中云:佛未出時,
帝釋常詣
提婆延那仙人所聽法,舍脂念云。帝釋捨我欲詣餘女。
隱形上車,車到仙人所。
帝釋乃見之言:仙人不欲見女,汝。還去。
苦不肯去。帝釋以蓮荷莖打之,舍脂乃以軟語謝帝釋。
諸仙聞聲起欲,螺髻落地失通。


  闍那崛多[譯]:「佛本行集經」
昔迦尸國有一仙人,名提波耶那,(隋言上生,)被孫陀利婬女誑惑。而彼仙人。如天無異。諸天猶尚不能奈何。被孫陀梨婬女惑故。

  寶唱[撰]:「經律異相」提波延那聞舍芝聲起愛 十三
佛未出世時。天帝釋常往詣提波延那仙人所聽法。後一時乘寶飾車欲詣仙人。而舍芝言。今者帝釋棄我欲詣餘女。即隱其形上車上。帝釋不知垂到仙人所。顧視見之。而問言。汝等何故來。仙人不欲眼見女人。汝可還宮。舍芝不欲去。帝釋以蓮華莖打之。舍芝以女人軟美之音而謝帝釋。仙人聞之。而起欲愛。螺髮即落耳識而退。

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