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■■■ 今昔物語集の由来 [2020.5.14] ■■■
[319] 豚頭金色天人
小生が、なんらの証拠無しに、独断で、本朝における創作譚と解釈している天竺話を取り上げてみたい。
「今昔物語集」編纂者は、それを知りながら、天竺伝承譚として所収に踏み切ったとみる。やはり止めておこうかと逡巡したようで、欠文になっているが「鈴鹿本」から拾われたのである。
ただ、創作と言っても、フラグメンツの合成譚だと思う。従って、潤色的香り濃厚な説話とたいした違いはないと判断したのだと思う。
  【天竺部】巻二天竺(釈迦の説法)
  [巻二#35]天竺異形天人降語
降りてきた天人が、どういう訳か、穢い処で生まれたモノを食べる。その理由を、釈尊が因縁で解説するという嗜好。

"諸の不浄所生の類を求め食する。"とされ、具体的な食物名が記載されていないが、ゲテモノ食を意味しているのではなかろうか。味や栄養価では、実は上モノだが、忌み嫌われる類でほとんどの人は食材とみなしていなかったのではないかと。

ここでの天人とは、貴種の異邦人だと思うが、天人は、人間界より上位の世界に棲み、とてつもなく長寿命で、苦しみに遭遇することもなく、空中飛行能力があり、生涯に渡って楽しんで過ごすとされているから、食の嗜好も天竺の一般の人々が考える人間界と違っていておかしくない。
「今昔物語集」編纂者はその辺りが気になっていたに違いないと思う。インタナショナルな発想なら、食のタブーの本質には気付いていたに違いないと思うからだ。同時に、そのことを語ってはならないこともよくわかっていた筈。
そう思うのは「酉陽雑俎」に目を通したから。著者は一流のグルメ。食のタブーについても一家言あった筈だが語ろうとしないのは、余りにリスクが高すぎるから。しかし、タブーは各地域の食糧調達事情が規定していると見ていた可能性が強い。もちろんそれに後付け理由が付いてくるのである。例えば、肉食禁忌と、殺戮の戒めとの関係のようなもの。
「今昔物語集」編纂者は早くからそれには気付いていたようで、だからこそ餌取法師譚を収載したとも言えよう。卑しい人々とされるが、その心は清浄そのもので、そこらの僧とは比べるべくもない高貴な人々と見ていたのは間違いなかろう。
🐖この譚では、このゲテモノ喰い天人は、金色に輝いているものの、頭はヒトではなくブタとされている。豚は巨大百頭魚の1つにもなって馬鹿者にされるし、嫌われて不浄とされることが多いが、ジャータカではそのような扱いはされていない。[→ジャータカ 豚]
「今昔物語集」でも、文殊菩薩誕生の際の瑞兆の1つとして、"ブタが竜イノシシを生んだ。[猪誕龍豚]"とあるし。
  【天竺部】巻三天竺(釈迦の衆生教化〜入滅)
  [巻三#_2]文殊生給人界語 [→文殊菩薩]

しかし、説教として語られる内容は、そうなるとは限らない。人々の持つ概念はドメスティックなものであり、それを無理に変えたところで得るものはたいしてないなら、止めた方がよいからだ。要するに、原理主義的なこだわりは避けるべしというのが釈尊の基本姿勢と見た訳である。
従って、釈尊の因縁説教はこうなる。・・・
 過去九十一劫の時、毘婆尸仏の世であるが、
 あの天人は、女人として生まれ、人妻に。
 その家に沙門が来て乞食。
 夫は、"おカネを布施しよう。"と言ったが、
 妻は慳貪なので、誤った考え方をしてしまい、
 顔を赤くし瞋恚。金銭のお布施を止めさせた。
 その罪で、妻は九十一劫の間、この報いを受けたのである。
 (にもかかわらず)身体が金色で光を放つ理由は、
 その沙門に会った時に、一度は腰を曲げて礼拝したとの功徳から。

 然れば、天に生たりと云へども、
 悪業の残れる所、此の如き也。


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