→INDEX ■■■ 今昔物語集の由来 [2020.6.6] ■■■ [342] 阿育王時代 【天竺部】巻四天竺 付仏後(釈迦入滅後の仏弟子活動) ●[巻四#_3]阿育王殺后立八万四千塔語 [→阿育王] ⇒玄奘:「大唐西域記」 三 呾叉始羅國タクシャシラー ●[巻四#_4]拘拏羅太子抉眼依法力得眼語 [→好眼鳥] ⇒玄奘:「大唐西域記」 三 呾叉始羅國タクシャシラー 五 南山窣堵波及拘浪拿太子故事 ●[巻四#_5]阿育王造地獄堕罪人語 ⇒玄奘:「大唐西域記」 八 摩揭陁(陀)國マガダ[上] 二 無憂王地獄處 阿育王は地獄を造って国の罪人を入れた。 その地獄の近くを通ったりすると 無事に帰れることはまず無く、 必ず地獄に入れられるのであった。 ところが、 修行を積んだ聖人が、 その地獄を見ようとやって来た。 そこで、獄卒が聖人を捕らえて、地獄に入れようとした。 聖人:「何の罪も犯していないのに、 どういう理由で地獄に入れるのか?」 獄卒:「国王の宣旨が下されたのである。 "地獄にやって来る者は、 貴賤・上下・僧俗を問わず、入れよ。"と。」 そして、聖人を捕まえ、地獄の釜の中に投げ入れた。 すると、その釜は清浄な蓮が咲く池と化した。 獄卒は驚き、その様を大王に上申。 王も驚き、尊んで、自ら地獄に行き聖人を礼拝。 獄卒:「宣旨が下されております。 "地獄の辺りにやって来る者は、 上下を問わず、地獄に入れるべし。"と。 従って、王も地獄にお入り下さい。」と。 王:「宣旨を下した時、王を除外していない。 言うことはもっともである。 但し、獄卒除外の宣旨も下していないから 先ずはお前だ。」 王は、獄卒を地獄に投げ入れて戻られた。 そして、無益なことだったということで、地獄を壊してしまった。 ⇒玄奘:「大唐西域記」@646年 八 摩揭陁(陀)國マガダ[上] 二 無憂王地獄處 王故宮北有石柱,高數十尺,是無憂王作地獄處。 釋迦如來涅槃之後第一百年,有阿輸迦(唐言無憂,歸曰阿育,訛也。)王者,頻毗娑羅(唐言影堅,舊曰頻婆娑羅,訛也。)王之曾孫也,自王舍城遷都波咤厘,重築外郭,周於故城。 年代浸遠,唯余故基。伽藍、天祠及窣堵波,余址數百,存者二三。 唯故宮北臨殑伽河,小城中有千余家。 初,無憂王嗣位之後,舉措苛暴,乃立地獄,作害生靈。 周垣峻峙,隅樓特起,猛焔洪爐,銛鋒利刃,備諸苦具,擬像幽塗,招募兇人,立為獄主。 初以國中犯法罪人,無校輕重,總入塗炭。後以行經獄次,擒以誅戮,至者皆死,遂滅口焉。 時有沙門,初入法衆,巡里乞食,遇至獄門,獄吏兇人擒欲殘害。沙門惶怖,請得禮懺。 俄見一人縛來入獄,斬截手足,磔裂形骸,俯仰之間,肢體糜散。沙門見已,深摧゚悼,成無常觀,證無學果。 獄卒曰:「可以死矣。」 沙門既證聖果,心夷生死,雖入鑊湯,若在清池,有大蓮花而為之座。 獄主驚駭,馳使白王,王遂躬觀,深贊靈祐。 獄主曰:「大王當死。」 王曰:「雲何?」 對曰:「王先垂命,令監刑獄,凡至獄垣皆從殺害,不雲王入而獨免死。」 王曰:「法已一定,理無再變。我先垂令,豈除汝身?汝久濫生,我之咎也。」 即命獄卒,投之洪爐。獄主既死,王乃得出,於是頹墻堙壍,廢獄ェ刑。 (C) 2020 RandDManagement.com →HOME |