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■■■ 今昔物語集の由来 [2020.7.11] ■■■
[377] 方広経典
巻十四の諸経典霊験譚には、「方広経」が3譚収録されている。
  【本朝仏法部】巻十四本朝 付仏法(法華経の霊験譚)
  [巻十四#36]伴義通令誦方広経開聾語
  [巻十四#37]令誦方広経知父成牛語📖償債で牛転生
  [巻十四#38] 誦方広経僧入海不死返来語📖「三宝絵詞」の高利貸僧

方広[=方等]経とは、広大な教義ということで大乗経典全般を指すとされている。
㊳ではそんなところだろう。
しかしながら、㊱は推古天皇代の聖徳太子が講義した本朝初期頃の用語とされているように見える。そうなると、求那跋陀[譯]:「"勝鬘"師子吼一乗大方便方広経」、跋陀羅[譯]:「大方広仏"華厳"経」を"方広"経典と考えた方がよさそうである。
(他の初期大乗経典としては、「大智度論」に広経の引用を用いるよう。)

㊲は、懺悔するところから、「華厳経」の言い換えで、㊱は女性ではないものの、在家が得た霊験であるから、「勝鬘経」を指していると見ることもできそう。
経典名をわざわざ"方広"に言い換えたことになる。

そもそも、方広とは、経典の文章をその形式と内容で分類する用語であり、"言辭廣博、衆生平等的甚深之法"という意味とされている。だからこそ、大乗仏教の核ということになるのだろう。
その辺りを十分考慮して、この語彙を用いているようにも見える。

つまり、大乗経典を広くカバーするという発想は要注意というコメントを付けているようなものかも。
ややもすると、様々な大乗経典の共通項を探り出し、それを"大乗"の中核思想と見なすことになりかねないが、それでは概念を的確につかめる保証はないと示唆しているようにも思えてくる。

・・・マ、そんなことが気になるように仕向ようということで収載した譚と見なした。

仏教の経典は、釈尊が問に答える形式で記述されている。生々しい肉声が記録されてはいるが、教化演説が記載されている訳ではない。
問題意識を持って、疑問を問いかけなければ仏陀はなにも語ってくれないと言うことになる。凡庸な質問だと中身も薄くならざるを得まい。
そんなことを考えると、大乗仏教のキークエスチョンは「世尊は、どういう理由で、この世に出現されたのでしょうか?」となろうか。

「今昔物語集」編纂者の眼から見て、それが一番はっきりしているのが「法華経」ということかも知れない。と言うか、質問に対応する過程で、感興を覚えた釈尊が、さらに教説を加える場面が多い経典ということでもあろう。

ついついそんなことを考えたりしてしまうのは、話の内容が単純すぎ、なんのひねりもなさそうだから。

 伴義通は重い病気にかかり、突然、両耳とも聞こえなくなった。
 
  (引用したと思しき原典では推古天皇代の衣縫伴造義通とある。)
 さらに、悪性の瘡が全身に発症し、長い年月に渡り治癒せず。
 これは、現世での報いではなく、前世の罪の報いと見て、
 今生で善業を積まないと、後世の報いはどうなるか気になり、
 善根を修めて、世の菩提を祈ることが大事と考えるように。
 そこで、仏堂を飾って、大勢の僧を招請。
 我が身を清めるために、香水を浴び、
 罪を滅するために、方広大乗経が最上と考え
 この経を講じさせることにした。
 そうこうするうち、
 片方の耳で、菩薩の御名を聞けるように。
 そこで、僧に、御恩を垂れ、慈しみをと、頼み、
 僧に礼拝すると、もう片方の耳も聞こえるように。
 義通は、いよいよ心を込めて方広経を講読させた。


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