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■■■ 今昔物語集の由来 [2020.5.29] ■■■
[334] 償債で牛転生
本朝では、牛に転生して償債する話はほぼ定番になっているようだ。
  【本朝仏法部】巻十二 本朝付仏法(斎会の縁起/功徳 仏像・仏典の功徳)
  [巻十二#25]伊賀国人母生牛来子家語

震旦部には、馬に転生する話が収録されているが、やはり牛でなければということのようだ。牛が説法をじっと聞いているシーンは様に成るし、人が話していると興味を示す動物でもあるからだろう。
  【本朝仏法部】巻十二本朝付仏法(斎会の縁起/功徳 仏像・仏典の功徳)
  [巻十二#24]関寺駈牛化迦葉仏語 [→逢坂山越の寺] [→弥勒菩薩]

それに、法会の講師役人選方法として。最初に出会った人を有縁とみなす話が連結されている。この方式は古代からの卜占由来らしい。
  【本朝仏法部】巻十二本朝 付仏法(斎会の縁起/功徳 仏像・仏典の功徳)
  [巻十二#_7]於東大寺行花厳会語[→「法華経」v.s.「華厳経」]

「今昔物語集」編纂者は、「法会」譚については、「三宝絵詞」から引いているが[→法会一瞥]
、この譚は「日本霊異記」らしい。

  【参照】馬淵和夫,小泉弘[校注]:「三宝絵 (注好選)」新日本古典文学大系31 岩波書店 1997年

出典関係はこんな風になっていると考えられている、と。
この償債話の筋は単純。・・・
長者 高橋連東人は法華経を書写し亡母供養法会の開催を決め、従者に、道で最初に出会った人を講師とするから、お連れせよと命じた。姿に拘るなと云うことで、酔って道に臥している乞食を連れて来た。長らく般若心経神呪の陀羅尼を誦持してはいたものの、その場で剃髪され縄で袈裟らしくしただけ。
(玄奘訳では、この呪は"羯諦羯諦波羅羯諦波羅僧羯諦菩提薩婆訶"。)

乞食は講師は無理と言ったが、留め置かれ法服も用意された。その夜、乞食の夢に東人の母が転生した牛が出現し、生前、子の物を盗用した罪の償いをしていると語る。翌日の法会で乞食僧はその話をすると、赤の牝牛がやってきて場に座す。法事終了後にその牛は死んでしまう。

@震旦《 因縁警喩譚》「償債」
├○唐臨:「冥報記」四十四、王五戒…米5升盗用で驢に転生
│↓@本朝
│└○「今昔物語集」
│ 【震旦部】巻九震旦 付孝養(孝子譚 冥途譚)
│ [巻九#17]震旦隋代人得母成馬泣悲語 [→羊の孝子ぶり]
@本朝
○「日本国現報善悪霊異記」中#15奉写法華経因供養顕母作女牛之因縁
├○「三宝絵詞」中#11高橋連東人…譚末に出典が記載されている。
│└○「大日本国法華経験記」#106[異類功徳譚] 伊賀国報恩善男
└○「今昔物語集」
  【本朝仏法部】巻十二 本朝付仏法(斎会の縁起/功徳 仏像・仏典の功徳)
  [巻十二#25]伊賀国人母生牛来子家語
(牛の色だが、三宝と験記はアメ/飴で、霊異記と今昔は赤になっている。飴=黄色は震旦の素晴らしい牛に用いる用語で、赤牛は日本の用語である。)

ご教訓は、般若心経神呪の陀羅尼や法華経供養ではなく、「償債」による畜生転生となる。
  人の家に牛・馬・犬等の畜の来らむをば、
  皆前世の契有る者也と知て、
  強に打ち責むる事をば止むべし。

馬転生の話[巻九#17]とほぼ同じ。
  「人の許に有らむ、牛・馬・犬・等、
  皆前世の償ふ所有て来れる也」と疑て、
  強ちに呵嘖を加ふべからざる也。


小生は、償債で牛転生の話であれば、こちらが本流のように思う。・・・
  【本朝仏法部】巻十四本朝 付仏法(法華経の霊験譚)
  [巻十四#37]令誦方広経知父成牛語
 大和添上の山村の里の住人。
 12月になり、方広経転読で前世の罪を懺悔しようと考えて僧を招請。
 使いには、どの寺でもよいから、
 出会った僧をお招きするようにと命じた。
 使いは道で出会った僧を招いて連れて帰って来たので
 主人は心を尽くし供養し、宿泊してもらった。
 衾を僧の上にかけたところ
 僧はその衾を非常に欲しくなり、
 明日、お布施を頂戴する前に、
 この布団を盗んで逃げてしまおうと。
 真夜中になり、人が居なくなった隙に、
 衾を持ち出て行こうとすると、
 「その衾を盗んではならない。」との声。
 見つからないと思っていたので、僧は大いに驚いた。
 一体、誰かと、声がした方を見ても誰もいない。
 ただ、そこには牛が1頭いるだけで、不思議なこと。
 ともあれ、恐れて、戻って寝ることに。
 すると夢に牛が出てきて、僧が近づくと語る。
 「我は、実は、この家の主の父。
  前世、人に与える為、無断で我が子の稲を十束盗用。
  その罪で、牛に転生し、今、贖罪中。
  汝は出家者である。
  どうして、安易に、衾を盗んで逃げようとするのだ。
  もし我が申すことが真実か知りたいなら
  我の為、法事で席を設けるように。が
  我はその席に座るから、確かめることができよう。」と
 そこで夢から覚めたのである。
 僧は恥ずかしくなり、明朝、人払してもらい
 主を呼んで一部始終を話した。
 主は悲しんで、牛の近くに寄り、藁を敷き座を設け、
 「牛よ。
  真に、我が父なら、この座に登り給え。」と言った。
 すると、すぐに、牛は、膝を屈めて座に登り坐したのである。
 主は、声を挙げ、泣き悲しみ、
 「この牛は、真に我が父。
  ただちに、前世の罪をお赦し致します。
  知らぬこととはいえ、
  長年に渡り、酷使した我が罪をお赦し下さい。」と言った。
 牛はそれを聞き終り、申の時に、涙を流して死んだ。
 その後、主は、泣きながら
 僧にかけてやった衾、等々の品を僧に供し
 父のための法会を営んだのである。

但し、こちらのご教訓は・馬・犬等の畜への呵嘖を止めるようにということではない。盗んで、現世・後世に報いを受けたりせずに済んだと、僧が思ったというにすぎない。

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