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■■■ 今昔物語集の由来 [2020.7.21] ■■■
[387] 犬山猟男
山猟を生業とするのは、動物殺戮を旨として一生を送ることになるので、仏罰を受けてもおかしくないが、「今昔物語集」編纂者は、そのような扱いを避けている。その業でしか生きていけない辛さを理解しているからだろう。

換言すれば、どのように働いているのか、かなりご存じということでもある。

保証された身分や官職を得ていながら、猟を好む人と峻別していることが分かる。そのため、山猟男については、肉食の餌取法師(差別用語エタの語源の可能性も。)の扱いとどこか似たところがあるように感じてしまう。📖餌取法師

狩猟スタイルは様々だが、犬を使って山で猪・鹿を咋殺する狩猟法は世間では「狗山/犬山」と呼ばれている。山に入れば幾日も帰宅しないことになる。

犬山とはよく言ったもので、犬が一塊の集団となり猪に対峙。ヒトの弓矢の力も借りながら殺戮するという手法だ。鳥猟の一矢一犬とか、鹿兎追いの群れ犬狩猟とは性格が全く違う。犬にとっては、タイミングを外すと猪牙の一撃をくらうことになる、命を落とす危険な戦いだからだ。そのため、熟達が不可欠で、ヒトも又それに合わせた動きをとらないと自分の身を危険にさらすことになりかねないという、かなり高度な猟なのである。
当たり前だが、この猟に従事するということは、大熊との遭遇もあり得る訳で、その場合、たいていは戦わざるを得ず、勝利できるとは限らないのである。

そんな実生活の苦労をわかっているからこそ、ヒトと犬との心の交流を描く犬譚が収録されている訳だ。
  【本朝世俗部】巻二十九本朝 付悪行(盗賊譚 動物譚)
  [巻二十九#32]陸奥国狗山咋殺大蛇語📖犬譚

そのような山猟男の妻が、留守番中に、非寺僧の自称修行僧が訪れてきて、その情欲の餌食になってしまうという話も収録されている。
  【本朝世俗部】巻二十六本朝 付宿報
  [巻二十六#21]修行者行人家祓女主死語
 犬山の猟師の若い妻が独りで家に残っていた。
 そこへ、修行僧来訪。
 尊くお経を唱えてから食を乞う。
 乞食のような下賎さが無いので、供養。
 すると、自分は修行僧であり、陰陽道の祈祷や祭祀を行うと言う。
 3日間精進してから山で祭祀を行うが
 陰陽道も修しており、霊験あらたかとも。
 そこで、猟師の妻は潔斎してからついていって
 山に入って、ご祈祷してもらう。
 終わると修行僧は情欲にかられ、
 抜刀し、女を脅して
 藪の中に引きずり込んだ。
 その最中、たまたま、
 猟師が側を通りかかり、獲物とみて矢を射た。
 命中して僧は絶命。
 妻がいたので驚くが、事情を聞いて
 僧の死骸を谷に棄て去り、
 妻を背負ってかえった。


キャストを考えると、主演は妻で、共演が修行僧、助演が夫の山猟男となろうが、一番見て欲しいのは山猟男の心根ではないか。
そう思うのは、この手の話の流れからすれば、僧に懸想した妻を許さず、僧の死骸に括りつけて一緒に谷底に突き落とした、としてもよかったが、山猟男なのでそれはできなかったということでは。

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