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■■■ 今昔物語集の由来 [2020.9.19] ■■■
[447] 射日神話
太陽の震旦神話というと、聖なる3本足の烏と10個の太陽を考えてしまうが、「酉陽雑俎」など、則天武后の前で足が一本墜ちた話[→]を掲載して揶揄しているような類。それは、「山海経」の世界だからだ。
  【扶桑】
  ⇒「山海經」海外東經[→]
 湯谷上有扶桑,十日所浴,在K齒北。居水中,有大木,九日居下枝,一日居上枝。

言うまでもないが、中華帝国樹立によって、神話はすべて解体されてしまったのである。本朝と違って、断片的な残滓しか見つからないため、その意味はよくわからない。
ただ、射日神話の主は羿であり、養由ではない。
  羿羿,帝射官也。@「説文」
  ⇒劉安:「淮南子」卷八本經訓
 逮至堯之時,十日並出,焦禾稼,殺草木,而民無所食。,鑿齒,九嬰,大風,封,修蛇皆為民害。堯乃使羿誅鑿齒于疇華之野,殺九嬰于凶水之上,大風於青丘之澤,上射十日而下殺,斷修蛇於洞庭,禽封于桑林,萬民皆喜,置堯以為天子。
  ⇒劉向[輯]:「楚辭」卷三天問
 羿日,烏焉解羽。

「今昔物語集」編纂者がそこらをどこまで意識していたのかはわからないが、射日神話を"国史"譚として収録している。
  【震旦部】巻十震旦 付国史(奇異譚[史書・小説])📖「注好選」依存
  《16-27 武将・文官》
  [巻十#16] 養由天現十日時射落九日語
  ⇒「注好選」上69養由射日
   此武者也。昔天有十之日。為天下有大旱。即養由射落九之日即令有此一之日也。

 養由は、心極て猛く、
 弓を射るに、まるで掌指で指すようなもの。
 ということで、国王は、養由を武芸の道で伺候させた。
 なににしても優れていたので、国を挙げ、養由に随うように。
  そうこうしているうち、
 天に10もの太陽が出て、照らす一方となり、雨が降らず旱魃に。
 どうにもならず、草木は耐えられず、皆、枯れて消失。
 このため、国王から、大臣・百官、民に至るまで、
 皆、限りなきほどに歎き悲しんでいた。
 その時、養由、心に思うに、
 「天には1つだけ太陽が出るが、
  それは、人の業力のお蔭。
  ところが、今、にわかに、10もの太陽が出現。
  そのうち9つは、必ずや、
  国に災いをもたらす怪物だろう。」と。
 そこで、養由は、弓を取り、箭に力をため
 天に向って太陽を射て、9つの太陽を落とした。
 もともとあった1つの太陽は従前のように照らし続けた。
 その時になって初めて
 養由によって射落された9つの太陽が
 国に災いをもたらす怪物であることを知った。
 ということで、皆、養由を讃めそやした。


はたして、この話、"国史"扱いできるか、という問題がある。・・・
  【養由基,楚之善射者也】
  ⇒司馬遷:「史記」本紀[4] 周本記"三十四年,・・・"
 楚有養由基者。善射者也。去柳葉百歩而射之。百発百中之。左 右観者数千人。皆日善射。
  ⇒ 「説苑」正諫 「論衡」儒掾@「戰國策」蘇肢燻君
    「漢書」賈鄒枚路傳 「藝文類聚」楊柳 「太平御覽」射上、楊柳下


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